ラテンな駐在妻日記

2008/07/14(月)08:37

パナマカーニバル2008 (パレード) ~ 後篇

パナマ 行事と祝日(19)

こちらからの続きです。 急な大雨で待ちに待たされ2時間遅れで5時半過ぎ、 やっと動き始めたカーニバル最終日のパレード。 でも開始のアナウンスがあるワケでもなく、先導のパトカーがいるわけでもないので、 進めない進めない。 みんなパレードを良く見たいから、どーしても正面に出てきちゃうのよねぇ ↓ ↑パレードの先頭は、パナマの民族舞踏衣装ポジェーラの巨大人形。 手が動きま~す。 ↓こーんな感じで引っ張られてま~す。 先導車の後部座席には運転手の家族と思しき女性や子供たちが満載だったりしま~す 次に続くは楽隊(ラッパ隊)。トラックの荷台に山積み。↓ この人たち、あの大雨の時、すでに荷台にスタンバっていたため、 降ろされることなく荷台で濡れねずみになっていました。楽器もずぶ濡れ。 ヤケッパチで大雨の中吹いたりしてたけどね・・・・・・。かわいそーにやっと本番。 土曜日から4日間あった昼間のパレードは、毎日違う山車が出ていたそうです。 最終日の今日はさながら「カーニバルクィーン揃い踏み」 ↑逆光で良く見えませんが (あんなに大雨だったのに、この時にはもう強い日差しが戻ってました。)、 最初の山車のてっぺんには、 2008年パナマ・カーニバルクィーン(スペイン語でレイナ reina ) ( Reina del Carnaval Panama 2008 ) ↓拡大したけど、イマイチ鮮明じゃない。(スミマセン) 2番目の山車には、 2008パナマカーニバル第一大使( Primera Embajadora del Carnaval Panama 2008 ) ↓ そして3番目には 2008パナマカーニバル第二大使( Segunda Embajadora del Carnaval Panama 2008 ) ↓ 将来のレイナ ↓ まあこの辺りまではさすがにきれいなレイナ(クィーン)たちでした。 続いたのは、町名をたすきがけにしたいろいろな町のクイーンたち。 この辺りはほとんどノーコメントでございます。 そーなの、パナマの女の子、なぜかあまりお美人じゃあないんですよね・・・・・・。 美人で有名なコスタリカやプエルトリコのご近所国だというのに そして山車は果てしなく手作りチックで、がんばってま~す 各山車の先導は手作りのお揃いの服を着た子供たち&その付き添いの大人たち。 踊ったり・・・・・・、 演奏したり・・・・・・、 あと、口から火を噴いたり。 ちょうど日本のお祭りの山車の前後に、 ハッピ着てぞろぞろ続く町内会の子供たち(&その保護者)、という感じ。 ↓観衆の目の前でパフォーマンス大サービス!  の後は、すかさずチップを要求。 これは日本では絶対に見られない光景ですね。 こんな山車が次々と続く中、でも一番大きな観衆の大歓声を浴び、 圧倒的に人気だったのは、なんといってもこちら! ↓ おかまちゃ~んっ みーんな拍手喝采大喜び! カーニバルクイーンもおかまちゃんには完敗でしたネ 2時間も遅れてパレードが始まったので、終わる頃には日も沈み暗くなっていました。 7時ごろ。 でもカーニバルは今からが佳境 続々と人は来るし、思い思いのところに持参のイスを置いて涼む家族たち。 宴会状態に突入の若者たち。そぞろ歩き雰囲気を楽しむカップルたち。 露店もにぎわって、日本の夏祭りの夜の浮き浮き気分を思い出させる感じ。 うっわぁ~、パナマにもこういう顔があるんだぁ! と、私も嬉しくなってもうちょっとそれを楽しんでいたい気分でしたが、 なんといっても雨の中1時間半も待ち、 西日がガンガン照る大混雑の中パレードを見た後だったので、かなり疲労気味。 そしてあの大雨に濡れた露店の食べ物を食べるわけにもいかず、お腹も空いた・・・・。 (もちろんパナマ人たちは平気で食べているのだけれど。) ということで、残念でしたが退散しました。 私たちが昼間入ったゲート前には、この時数百メートルの長蛇の列。 そしてカーニバル中ずっと中継をしていたテレビチャンネルでは、 7時から始まるコンサートの様子を夜通し流していました。 (パナマシティのカーニバルのメインは、毎夜いろいろな「インターナショナルアーティスト」を  招へいしてのコンサートだったみたいです。) そして毎晩あがっていた真夜中の終了の花火が最終日のこの日あがったのは・・・・・・・、 翌朝の6時ごろでした。 私はベッドの中で音だけ聞いていましたが、まだ日本から戻って間がなく 時差ぼけぎみだった夫は、白み始めた空にあがる花火観賞をしたそうです。

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