日々にあらたに!

2013/05/19(日)21:34

今足りないのは「創造力」ではなく「想像力」だ!

ビジネス(74)

アベノミクスの大胆な金融緩和と財政出動の期待が膨らんで、円安株高が加速されてきた。失われた20年とも呼ばれる長くて暗いトンネルから抜け出したかのように見えるが、それほど容易いことのようには思えない。金融緩和も財政出動も所詮はカンフル剤にすぎないだろう。あるいは点滴やサプリメントにも喩えられよう。点滴を打てば、直に元気を取り戻す。サプリメントを摂れば、栄養バランスは改善されよう。しかし根本的な体力増強には、全く無力と言って良い。体力の回復はどうしたらできるか?それにはたくさん食べてたくさん運動できるようになることだ。そうして、体力増強や身体能力の成長が図れる。国の経済もまた同じ。だから3本目の矢の「成長戦略」が放たれた。これは今後第2弾第3弾と続くらしい。だが、政府がいくら矢を放っても、民間が主体的に動かなければ、目に見えた成果は現れまい。「笛吹けど踊らず」で終わるかもしれないのだ。 ここへ来て、折角株価も上がり、世の中いい感じになってきたのだから、この機に乗じて、大いに活気を取り戻したい。そのために今一番求められていることは何か?私は、それは「創造力」ではなく「想像力」だと思う。クリエィティブではなくイマジネーションなのだ。これまで日本は、「想像力」よりも「創造力」を追い続けてきた。製造業で言えば、如何にして人とは違う「創造的なものをつくるか」ということに、情熱を傾けてきたのではなかろうか?しかし今その「創造力」は、一時期に比べて枯渇してきた。何故か?それはとりもなおさず新たな「想像」を見いだせないからなのだ。「想像」とは、こうありたいという未来の姿を思い描くこと。その姿に近づこうとして「創造」が起こるのである。「初めに想像力ありき!」となのだ。「想像」はまた、何をしたいのか、どこを目指すか、ということだと言って良い。これに対して「創造」は、如何にそこに到達するか、その方法をどうやって編み出すか、いうことなのである。 ところでこれまで目標を生み出す「想像」は、自分でわざわざ誂えなくても、実は与えられてきたのではなかったか?それは、「欧米に追いつけ追い越せ」という言葉に象徴される。そこでは、「創造」の目指すところが、「欧米のレベル」にあるわけだから、敢えて「想像力」を働かせて目標を定める必要がなかったのである。ところがそこに到達してしまった今は、自ら「創造力」を掻き立てる「想像力」こそを、働かさなければならなくなってきたのである。我々は今、このことを強く認識しなければならない。

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