高知に自然史博物館を

2011/03/04(金)11:53

大学入試と不正行為

 大学の入試問題を試験場からネットに流して解答をもらった,というニュースが話題になっている.それは不正行為である,犯罪である,というのが世間一般の受け止め方らしい.たしかにズルい行為であるが,それほどの悪事なんだろうか? というのが私の正直な感想である.  日本はタテ社会である.人間に優劣上下をつけてタテに並べる.それによって維持されている社会である.そのために様々な差別選別の手法を発達させて来た.中でも大学入試は,コネや賄賂が通用しないという「公平性」を確保することにより,ジャッジに対する不満や批判を受けにくい堅牢なシステムとして維持されてきた.入試という関門を突破することの困難性は,その大学の「格付け」ないし「権威」にもつながる.  そういうシステムを維持せねばならないという強い動機を,関係者は持っているだろう.試験問題をネットに流す行為はこのシステムの根底を揺るがすものだ.言わば政治犯である.だから既存システムから恩恵を受けている人たちは血まなこになって犯人探しをするし,重い刑罰を求める.  戦後の学校教育の中で筆記試験が好んで採用された背景には,圧倒的に多い生徒数という問題があったかもしれない.論述式でない解答方式にすれば採点は簡単である.生徒の1人1人の個性に向き合う必要もなく,簡便かつ「客観的」に生徒を「評価」できる.まことに官僚的によくできたシステムで,戦後の教育史の中で批判は多々あったと思うけれど,結局このシステムが日本の学校教育を覆い尽くすようになった.  それをさらに決定的にしたのが,大学入試への「全国共通テスト」の導入である.大学の格付けなどという作業は,それまでは朝日新聞社や受験雑誌や入試業者が個別にやっていた,いわば私的な作業だった.それが国の主導で全国一斉に数値化,客観化される仕組みができた.「レベル」,「ランク」などという言葉を,教育関係者が日常的に口にするようになった.  共通テスト(センター試験)の導入は2つの変化をもたらした.  ひとつは,試験の手法の精緻化である.マークシート方式の採用で,選択式の問題が多用されるようになった.それに合わせて設問のほうも「偶然による正解」を排除するようノウハウが蓄積されていった.  もう1つは,国民を序列化し振り分けるシステムの普及である.数字で表現されることで否応なしに優劣上下が決まる.そういうシステムが市民権を得るとともに,人をタテに並べるという発想をあまり抵抗なく国民が受け容れるようになった.  そもそも庶民の社会は「平等」が基調である.上下関係などというものは軍隊,警察,官僚のものであった.けれども序列化の手法がこのように精緻化され完成度が上がってきたことで,同様の「評価」方法が各方面で採用された.こうして官僚社会の手法が国民全体に適用範囲を広げて行った.  そこに今回の事件が起きた.1匹のネズミが,システムの支柱をガリガリと齧ったのだ.そのネズミを何としても見つけ出し,重い刑罰を与え「見せしめ」にせねばならない.関係者のアセりようは傍目には滑稽に見える.日本というタテ社会を支えるシステムは,これほどまでに筆記試験に依存していたのか,と改めて思う.たかが筆記試験にである.  最近は会社の人事の中でも,個人的な印象などのアナログな情報が再評価されているという.あまりに筆記試験に頼りすぎている大学入試のあり方について,少し再考する良い機会ではないだろうか.  それとともに,今の日本のタテ社会ぶりにも思い至って欲しい.いま日本がとても窮屈な国になっていることに,みんな気付いているのだろうか.

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