2004/03/22(月)14:44
春が来た
金曜日に久しぶりに電車が見える公園に行くと
桜が蕾をつけていました。
電車から見たここの景色は、もうすぐ桜並木になるのでしょう。
近所の川沿いには見渡す限り、菜の花が一面に咲き乱れ、
緑と黄色の絨毯が広がっています。
しばらく家の中ばかり居て
外に出てみたら急に景色が様変わりしていることがあります。
「やられた!」と思い、
あわてて春の服を買いあさりに行ったものです。
霞のかかった春の宵を
霞のかかったアタマで飲み歩いたものです。
必死で春を満喫しようとしていました。
今でも、外が急に春に変わっていたりすると
なんとも、やりきれない、切ない気持ちになるのです。
心の準備が出来ていても春は。
ある人のメッセージのお返事に
「春に負けないように。『願わくは』と詠った御仁などくそくらえでございます」と送りました。
なんのこっちゃか意味がわからなかったでしょうね。
本当はこの詩に対する憧憬があるのですが、
そういうとそのお方に対し励ましになるどころか心配なさるといけないと思ったのです。
(そして、私はおセンチ(死語)とは程遠い、図太い神経の持ち主ですから)
その詩というのは、ご存知の方が多いと思いますが
死ぬのなら桜の頃その木の下がいい、と詠んだ西行の詩です。
間違えていてはいけない、と思い
久しぶりに広辞苑を引っ張りだしました。
日記のテーマ「今日どんな本をよみましたか?」。
はい。辞書です・・・。
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
*西行(さいぎょう) 平安末・鎌倉初期の歌僧。俗名、佐藤義清。法名、円位。鳥羽上皇に仕えて北面の武士。二十三歳の時、無常を感じて僧となり、高野山、晩年は伊勢を本拠に、陸奥・四国にも旅し、河内国の弘川寺で没。