音楽
三島由紀夫の「音楽」読まれたことはありますか?私は15年くらい前に読みほとんど忘れていたのですが思い出すことがありました。自分の過剰な若い自意識に気力も知力も体力もついていかず自分をただ、もてあます日々に発狂しそうになりながら三島由紀夫を読むと心静まることもあり電車に乗るときは鞄に入れておくと安心したような気もします。「音楽」うろ覚えで全然違っているかもしれません。主人公の女性はある精神科医を訪れます。目を見張る美しさに自己顕示欲を表すかのような派手なコート。外見とはうらはらの控えめで気弱そうに話す彼女の頬のチックや(ストレスなどから自分の意思に関係なく顔の筋肉が痙攣すること)話の間合いや佇まいから彼女の中に女同士の牽制に疲れ果てた、プライドの高く人の善い性格を見ます。彼女が精神科医を訪れた理由は「音楽が聞こえない」ということでした。原因を探っていくうちに「音楽が聞こえない」というのは彼女なりの「冷感症」の比喩だったということがわかります。私はここの部分を「(性的なことに関連付けられたものだけではなく)心の動く感じの事」と解釈しています。彼女は「音楽が聞こえるよう」今まで超えられずにいた心の壁と対峙する日々が始まりました。それはそれは壮絶な日々の始まりです。しかし最後に彼女は精神科医にこのように電報を送ります。オンガク キコエルオンガク タユルコトナシ最近、仲良くなった人がいます。その人のことを思うと、この「音楽」や昔の自分のことが思い出されます。馬鹿で可愛かった自分。賢かった自分。愚かな自分。美しかった自分。(容姿のことではありません)汚らしい自分。自分のことを何も気付かなかった自分。自己嫌悪ばかりの自分。自己愛の強すぎる自分。今になってやっと音楽が聞こえるような気がします。遅すぎる気もしますがいいんです。オンガク キコエルオンガク タユルコトナシ今日の日記、のじさんに捧ぐ(いらない、と言っても勝手に捧げます)