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誰かが言わなきゃならない

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2009.05.26
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 藤原三代が造った平泉の毛越寺庭園の池。壮大な伽藍はすべて焼失し、今は池を中心とした平安時代を代表する広大な庭園だけが残っている。水面には空の青や周囲の低い山や植え込みが映っている。伽藍があった当時はそれらもすべて逆さまに水面に映っていたことだ。

 見る人は実際の空や周囲の低い山、植え込みなどを見ると同時に水面にも同じものを見、どちらが本物か判別出来なくなる。水面に映った景色の方が、本物と錯覚するくらいに魅力的である。禅でも悟りの心境を水面に映った月の如くと言う。

 この世は幻であり実態があるように思い込んでいるだけという仏教の教えを悟らせるために、この池を作ったのではないか。山からの水を引き入れたこの穏やかな池の水は絶えず新しいものに置き換わっているが、そんな気配は見せずに水面はいつも穏やかである。

 






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Last updated  2009.05.26 14:10:37
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