今後触れる機会もないでしょうから、ここでその後のフェルセンについても書いておきましょう。
話は先のことになるのですが、マリー・アントワネットの死がヨーロッパ中に知れ渡ってたきに、各国の宮廷は一応喪に服したのですが、彼女の悲劇的な死が動揺をもたらすことはありませんでした。本当に嘆き悲しんだのは祖国スウェーデンに帰っていたフェルセン伯爵ただ一人だったでしょう。そののちフェルセンは多くの女性と関係を持ちましたが、彼女のことを忘れることはありませんでした。彼は色男のイメージがあるかも知れませんが、軍人としてもひとかどの人物だったようで、祖国スウェーデン王国の大元帥にまでのぼりつめるのです。しかし、1810年6月20日、彼はスウェーデン王太子の葬儀に参列したとき、首都ストックホルムで民衆によって虐殺されてしまいます。人々は彼が王太子を毒殺したと疑ったからでした。フェルセンの死から数ヶ月して、裁判所は彼の無罪を宣言し、盛大な葬儀が行われたのでした。マリー・アントワネットと出会って、幸せだったか否かは他人がとやかく言うことではない、ということにしておきましょうか。
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Last updated
2004.04.19 07:55:05
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