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顕正会の誤りについて

顕正会の誤りについて

正本堂の意義について

正本堂の意義について
                    昭和四十七年三月二十六日


 唯今、教学部長から「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時に於ける事の戒壇である」と、定義を公表致しました。これについて、もう少し詳しく私の見解を述べてみたいと思うのでございます。

 その解釈は、「正本堂は広宣流布の暁に、一期弘法抄に於ける本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。現在は未だ謗法の人が多い故に、安置の本門戒壇の大御本尊は、公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置の処は即ち、事の戒壇である」

 これは先程、昭和四十年二月十六日の私が申しました言葉の意味とピタリと合っておるわけで、それを判り易く要約すれば、こうなるのでございます。

 このなかの「一期弘法抄の意義を含む」という事について、もう少し述べたいと思うのでございます。

 先ず、この解釈に当って二方面から考えてみたいと思います。

 第一は、世間儀典的。第二は、出世間内感的。

 大体儀典的というのは、儀式礼典と考えて下さればいいんです。

 先ず、一期弘法抄に、

「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と仰せになっており、

 また、三大秘法抄には、

「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、云云」と、こう説かれております。

 これを先ず、第一の世間的儀礼に考えますと、この国主とは誰を指すのかということが問題になってきておるのであります。

 勿論、大聖人様の時代、また大聖人様の御書において、国主とは京都の天皇も指しておりますし、或いはまた、鎌倉幕府の北条家を指しておる場合もございます。で、今、この国主と申して、三秘抄並びに一期弘法抄の国主或いは王という言葉は、直ちに日本の天皇陛下と断定することが出来るでありましょうか。なかなかそう断定できないはずであります。

 ある人は、三秘抄に「勅宣並に御教書を」という言葉があるから「天皇」だと、こう即座に考える人があります。

 しかし、本来、この勅宣という言葉は日本だけの言葉ではなく、即ち中国から来た言葉で、中国の皇帝に対して、皆、勅宣という言葉を使うのでありまして、この勅宣という言葉があるからして、日本の天皇だと断定することはできないのであります。

 また、大聖人様は「仏勅」とこう申します。仏の言葉を仏勅と申しております。或は開目抄に宝塔品の三箇の大衆唱慕のところに第一勅宣という言葉をお使いになっております。仏の言葉をもっても勅宣という。必ずしも勅宣という言葉は、日本の天皇陛下だけだと、こう断定するのは、ちょっと早すぎるのではないかと思います。

 又、三秘抄の王という言葉をもって、日本の天皇と断定しているのは、結局は明治時代、勿論大正、昭和の初めにかけてもですけれども、国立戒壇という考えの上から、こういう言葉が出たものと思います。

 ところが、我が宗では真実をいうと、古来から広宣流布の時の国主は転輪聖王である。しかも転輪聖王の内の最高の金輪聖王である。金の転輪聖王である。こう相伝しておるのでございます。

 皆様、それを忘れておるかも知れませんが、既に昔からそういうことを相伝しておる。しかし、明治時代以後、それを忘却しておる人が多くなったのでございます。それ故に、直ちに明治時代に於ては、国立という観念から、この一期弘法抄や三秘抄に於ける王は天皇だと、こう断定してしまったのであります。

 この考えは、日本が世界を統一するんだという考えのもとから天皇が転輪聖王だという考えが起ったものではないかと思われるのであります。ところが、御書を拝しますと、王というのは一国の王というのではなく、より高次元の意味で使われております。

 北条家に対しては、「僅か小島の主に恐れては閻魔法王の責めを如何せん」という御書もございます。

 で、この島の長がどうして一閻浮提広布の時の転輪聖王といえましょうか。なかなか簡単には云えないと思うのであります。

 これについて、先程さしあげた――堀猊下が、日恭上人伝補という、日恭上人の伝を少し書いております。それにこういうことが出ております。

 「印度の世界創造説は全世界中の各史に勝れて優大な結構であり、又其に伴ふて世界に間出す転輪聖王の時代と世界と徳力と威力と宝力と眷属との説が又頗る雄大であって、其中に期待する大王は未だ吾等の知る世界の歴史には出現してをらぬ」

広宣流布の時の大王は未だ出て来ない。

 「唯僅に彼の阿育王が世界の四分の一を領せる鉄輪王に擬してあるばかりである。仏教では此四輪王の徳力等を菩薩の四十位に対当してあるが、別して大聖人は此中の最大の金輪王の出現を広宣流布の時と云はれている程に、流溢の広宣は吾人の想像も及ばぬ程の雄大さであるが小膽、躁急の吾人はこれを待ちかねて致って小規模に満足せんとしてをる。
(乃至)
金輪王には自然の大威徳あって往かず戦はず居ながらにして全須弥界四州の国王人民が信伏する。」

と、こう出ております。だから、実際に広宣流布した暁の、国主が天皇だとか、或いは、我々の人民の支配者だと、即座に決定するということは難しい。もっと大きな大理想のもとの転輪聖王を求めておる。

 で教行証御書の終りの方に、三行目に

 「已に地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし、日本・漢土・万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値えるなるべし」

こう説かれております。大聖人様が出現して、いよいよ広宣流布になる時は、この金輪王が出現するんだ。その為に、大聖人様がこうしておられるのは、金輪聖王の出現のためのお祝いの、優曇華の華に値えるが如くであるということをおっしゃっております。だからこれらを見ても大聖人様の考えは広布の時には金輪聖王が出現するのである。そして戒壇を建立する。その時には法主は我々の日目上人、一閻浮提の座主日目上人の出現、ということは、本宗の伝統的相伝であります。これを皆な忘れて、簡単に三秘抄或いは一期弘法抄の時の王様は天皇だということをいわれ、それで又、国立戒壇ということをいっておる。それを今、そういう考えを改めて、昔の仏教の精神に返らなければならないと思うのであります。

 で、更にここで今度は第二番目の出世間の内感的に考えていくと王ということばはどうであるかと、こう考えていきます。

 そうすると御義口伝に、一番最後の厳王品のところには、この「王とは中道なり」と仰せになっております。又、法門可被申様事に、「仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり」と仰せになっております。ここに於て仏の言葉を仏勅と申し、勅宣と申されておる。仏を賢王と申される故であります。

 で、三秘抄・一期弘法抄の戒壇建立について、もし、世間儀典的な考えを以てするならば、広宣流布が完成した時には転輪聖王が出現して建立するという事になる訳で、その金輪聖王は誰かといえば、

 御義口伝に、化城喩品の処に、

 「御義口伝に云く、本地身の仏とは此文を習うなり、祖とは法界の異名なり、此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり、此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり、転輪とは生住異滅なり、聖王とは心法なり、此の三如是は三世の諸仏の父母なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして、其祖転輪聖王なり。金銀銅鉄とは金は生・銀は白骨にして死なり、銅は老の相・鉄は病なり、此れ即ち開示悟入の四仏知見なり、三世常恒に生死・生死とめぐるを転輪聖王と云うなり。此の転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり。此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり。爰を以て平等大慧とは云うなり。」

と、こう仰せになっております。即ち結局は金銀銅鉄の輪王は、我等大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経を唱え奉る者の当体である、というべきであります。

 故に出世間内感的に於ける戒壇建立の相を論ずるならば、三秘抄の王法仏法等のお言葉は、大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経の信心を離れて存在しないのであります。

 我等、弟子檀那の末法に南無妙法蓮華経と修行する行者の己心にある有徳王、覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を其のまま以て末法濁悪の未来に移さん時、と申されたと拝すべきであります。

 三秘抄に有徳王・覚徳比丘とあれば、じゃ有徳王とか覚徳比丘という人物はいつ出て来たか、又そういう人と同じ人があるのかといわれる時に、有徳王・覚徳比丘は涅槃経におけるところの釈尊己心の世界の人物である。しからば今、末法に於いて、我々大聖人の弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱える、我々の己心においての有徳王・覚徳比丘の王仏冥合の姿こそ、我々の己心にあると考えなければならないのであります。

 これ実に我々行者の昔の己心の姿を顕わされていると拝すべきであって、その己心の上に勅宣並に御教書がありうるのであります。

 即ち、広宣流布の流溢への展開の上に霊山浄土に似たらん最勝の地、富士山天生ケ原即ち大石ケ原に戒壇建立があるべきであります。

 故に、今回建立の正本堂こそ、今日における妙法流布の行者である大聖人の弟子檀那が建立せる一期弘法抄の意味を含む本門事の戒壇であると申すべきであります。

 又、日寛上人の事・義の戒壇について、もう一重加えて解釈するならば、寛尊は所化の弟子を教導する為に、戒壇を事義の二段に別けられ、三大秘法を六義に別けられて説かれておるのでありますが、詮ずるに六義は本門戒壇の大御本尊を顕彰するためであって、本門戒壇の大御本尊は六義の正主である。本門戒壇の大御本尊を顕わさんがために、六義に立て分けて説明せられたのに過ぎない。たとえば、曽谷殿御返事(新定二〇〇一)に、「法華経は五味の主の如し」と仰せになっております。乳味、酪味、生蘇味等のその五味の主であると申されておる。これは、五味は一代聖教で一代聖教は法華経を説き表すので、一代聖教を説く主眼は法華経である。故に法華経は五味の中ではなく、五味の主体であるとの意味でございます。

 今、この言葉を転用して本門戒壇の大御本尊安置の処を戒壇と申すは、六義を超越した所謂独一円妙の事の戒壇であるからであります。

 「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇である」と宣言する次第でございます。


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