日淳上人全集より「批判に於て尤も焦点とすべきは宗教に於ける本尊の問題である。」 「依て宗教の如何を判断するは此の本尊においてせなければならぬ、即ち本尊が真実正当であるかといふことによらなければならない。」(日淳上人全集122~123ページ) 「血脈の家にあらずして如何して法の正しさを得ん。先づ大聖人に賛ずるものは第一に血脈の正系を尋ね、然る後に法を学ぶが肝要なり。」(日淳上人全集43ページ) 「歴史は雄弁に物語ってをる。爾来六百五十余年聖祖の御金言はいよいよ証明せられ此の間教法上の論争は相次いで起こってはをるが、唯の一度でもその法に誤謬あるを指摘したものがない。日本国体と等しく敗北したことがないのである。此れに反し他宗凡ゆるものが吾が門流より破折されその誤謬を暴露してをる。然るに尚且つ迷執より覚めないのである。宗旨的偏見とは論戦をなすことをいふべきではない。敗れて猶改むることを知らざるをいふのである。 真に道に忠実なるものは謙虚と強さとをもつてをる。若し自ら誤れるを知らば正しきにつくに吝かではない。而して他の誤りを見ば此を除くに真剣である。聖祖は正しきに移るは丈夫の道であると仰せられてをる。」(日淳上人全集118ページ) 「而して体系は本尊が根源であり全部である。依て本尊を同じうするか否か此れに於て一切を決して破邪顕正論争をつくさねばならぬ。徒らなる妥協は信心に住するものの節操ではない。」(日淳上人全集119ページ) |