カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は私の母の命日です。
去年は妹と仕事を休んで、二人で過ごしましたが、 今年は東京で一人だし、仕事を早退して上野の寛永寺にでも 行こうかと思っています。 もう9年なのか、まだ9年なのか。 ちょうど3年前の昨日に大阪からバスで7周忌の為に実家に 帰っていた途中に池田小の事件がおきていて、 なんで上空にヘリコプターが一杯飛んでいるんだろうと 思ったことを思い出しました。あれから3年なのね。 ******************** 今日は恐ろしく暇で早退してもよかったのですが、 いました。特に何の変哲もない一日。 今、とってもエンバーミングに興味があり そういうページばかり見ています。 何故かというと、2つ理由がある。 一つ目は最近亡くなったレーガン元大統領が レーガン記念図書館の墓地に埋葬されるというのを知り、 日本以外の葬送儀礼と歴史に興味を持ったから。 二つ目は単純に母親の命日が近かったから。 人間の死に対する捉え方というのは、 遺体保存処理という形でも垣間見ることが出来る。 あいにく日本は他の欧米諸国と比べて、遺体保存処理の 習慣が根付いていないので棺に遺体を納めても 保存処理は施さないことが多い。 早くに火葬にしてしまうからだろうが。 昔は土葬の習慣もあったようだが 欧米のそれとは全く趣が違う。屈葬も多かったみたいだし。 最近は宇宙葬というのもあるみたい。 と人事のようですが誰にでも死は訪れるもので。 いつ死ぬかなんて誰にもわからない。 明日死ぬかもしれない。でも全く私は実感がない。 自分が死んだときはどうするんだろう。 献体も悪くないなと考えたりしたけれど、献体というのは 火葬するのも病院関係者の人の手によるし、遺骨が家族の 手元に戻ってくるのは1~2年後だということを知り もっと自分に死が近づいてから考えても いいかと思ってしまった。 しかし自分が死んだら家族以外で悲しむ人は いるのだろうかとか、思ったりもする。 自分が大切だと思っていても、相手はそうは 思っていないかもしれない。悲しいけれどそれは有りうる。 難しい。 私の人生の目標として、自分の体にメスを入れないで 死にたいというのがある。ただ、がん体質だし、 もう10年もしたらどうかは解らないけれど、でも 健康でいたい。それがあってこそ仕事も出来て 楽しいことも本当に楽しいと感じられるわけだから。 なんか今日はいつもの日記と違うなぁ…。 ------------------------ 帰りにどこかお参りできる場所にでも行こうと思いましたが あえて行きませんでした。家にも電話していない。 帰りにジャスコで吾亦紅の花を買って花瓶に挿した。 9年もたつと、鮮明に急に思い出すこともあれば すっかり忘れていることもある。ただ、私の母親は 45歳から全く歳をとらないことだけは確か。 歳をとった姿は想像も出来ない。 もし生きていたらとか、「たられば」は嫌いなので 考えない。考えてはいけない。 去年は彼氏に電話して、怒られたことだけを覚えている。 俺に電話する暇はないだろう、今日しか考えられないことを 考えろと言われたな…。 あれから1年たつのか…。 まさか東京でこうやって仕事するとは 夢にも思っていなかったな…。30までに 東京にいくことにはなるだろうなとは漠然と 思っていたけれど。 人生は解らないもんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年06月09日 20時42分53秒
コメント(0) | コメントを書く |
|