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カテゴリ:我思う故に我あり
こんな意見がありました。
==================================== ==================================== 臓器移植法が国会で採決されました。 一番大きな改善(?)内容は15歳未満であっても「死亡の判定」がされ保護者の同意があれば臓器提供者(ドナー)となる事ができるという事です。 15歳以上への対応については基本的に変わっていないようです。 改正された15歳未満についての内容について議論が盛んに行われています。 ドナーを待っている15歳未満の子供を持つ親(もちろん移植される本人)にとっては大きな喜びであろうと思われます。 何億というお金を掛けて渡米したりする必要が無くなりました。 が、しかし ・・・・・ ここで論議の焦点となるのが「死亡の判定」です。 国会に出された案にはA案からD案まであるそうで、その違いは明確なようで曖昧模糊としています。 厳密な言葉の違いはいろいろありますが、概ねA案とB案の違いは ・・・・・・ <A案> ”臓器移植を前提にした「脳死」を「法的な死」と判断する” <D案> 延命措置を採るか尊厳死を採るか、すなわち、まだ回復する可能性があると判断するか、死亡(脳死=法的な死)と判断するかは保護者が判断する。 「死亡」したと判断しても、A案、D案とも、ドナーとなるか否かは保護者が決定できる点は共通しています。 A案では「脳死」した時点で「法的な死」となります。 D案ではそれを保護者が決定する訳です。 ドナーを待っている人は、より健康な臓器が欲しいというのが本音でしょう。 その方が臓器移植の成功率も高いでしょうし、移植後の臓器の働きもより安定するのではと思われます。(反面、拒絶反応も強いかもしれませんが) そういう意味では「脳死」と判断された時点で、すぐに臓器を提供して欲しい訳です。 一方、「脳死」判定された子供の親は、まだ心臓が動き、血が流れているのに、脳の機能が停止しているからと言って、子供の「死」を認められるでしょうか? まだ体温のある子供に「貴方は死にました」と宣告できる親がいるのでしょうか? 難しい問題ですよね。 きっと永遠に答えの出ない議論なんではないでしょうか。 方法の是非はともかく「15歳未満の臓器提供を可能にする」という主旨から言えば、法改正しても提供者が増えなければ意味が無い訳です。 どこかで妥協点(協調点)を見つけ民主主義の基本的ルールである「多数決」で決まる事になるのではないでしょうか? ==================================== ==================================== ここで気づいたのですが「法的な死」は「臓器提供を前提にした」という事を明確にして欲しいという事です。 明確に記載して残しておかないと大変な事になりそうです。 「法的な死」を言葉通り受け取ってしまえば、「法的には亡くなったのだから」と医者が死亡診断書を書き、戸籍で「死亡」とされたら ・・・・・ 「脳死」しても心臓が動き、血流があり、体温があり、「まだ生きている」と親が考えても「法的には死亡」と扱われたら、健康保険は使えない(被扶養者から外される)ので、意識が回復するのを期待し、家族は全額実費で治療を続ける事になります。 保険を使ってでも高額な費用が必要なのに、一般庶民にはとても無理な話ですよね。 例えとしては悪いですが、昔はテレビやラジオが調子悪い時に、思い切り叩いたりすると元に戻ったというのは良くあった話です。 脳も回路が複雑に絡まった組織です。 「脳死」と判定されても、ひょっとしたら何らかのショックや刺激で一気に回復するかも知れないと期待を持つ親の気持ちは理解できます。 自分の子供が「脳死」と判断されても、まだ「身体」が生きていたら治療を続けるでしょう。 そこには何の迷いもありません。 そんな状況で「貴方の子供さんは死亡しました」なんて言葉を受け入れる訳が無いと思います。 では、自分が「脳死」の当事者だったらどうでしょう? もし自分が「脳死」状態になったとしたら、いつまで続くか解らない治療を続け家族に精神的・経済的な負担を負わせる事ができるでしょうか? 私の臓器提供意思表示カードには、全ての臓器が「yes」になっています。 それが私の答えです。 しかし私の臓器では、あまり使い物にはならないかな?(笑) 立場が違うと全く出る答えが変わってきます。 ドナーを待つ親子、脳死状態の子供の治療を続ける親、臓器提供に関する法律を作る議員、臓器移植を行う医者、子供を持つ親、独身の若者、・・・・・・・ やはり誰もが納得する結論を出すのは難しい、いや、不可能だと思います。 考えれば、考える程、解らなくなります。 はっきりしてるのは ・・・・・ 自分の子供が臓器提供を待っているとしたら、少しでも早くドナーを見つけて欲しい 自分の子供が「脳死」したら、身体が生きているうちは可能性に期待し治療を続けたい 自分が「脳死」したら、家族の負担になるより、ドナーとして役に立ちたい たまには、まじめに考え、悩んでみる「社会派」の浮浪雲でした(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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