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三人寄れば文殊の知恵

お釈迦さんの成道と真珠湾攻撃

十二月八日は仏教ではお釈迦さんが
悟りを開いた日と言われています。

お釈迦さんは29歳で王子の身を捨て出家し、
6年間に渡って修行を続けたといわれています。

その間に並外れた苦行を行い、21日間が限度と言われる断食を
その数倍続けたともいわれています。

しかし、その結果として悟りには至りませんでした。
そして快楽と苦行の両極端からはなれた中道を歩もうと
決意したと言われています。

まず、川で沐浴して、埃まみれの体を洗い清めました。
川辺で休んでいるとスジャータ(フレッシュの名前になっています)
と言う娘がやってきて乳粥(サルピスーカルピスの語源です)を
お釈迦さんに差し出しました。

それを食べて体力を回復したお釈迦さんは菩提樹の木の下で
禅定に入り、十二月八日の明け方ブッダ(目覚めた人)となりました。

禅宗ではお釈迦さんの成道にあやかって十二月一日から七日まで
不眠不休で座禅をするそうです。(臘八大摂心)

昭和16年12月8日、日本海軍は真珠湾の米海軍基地を
攻撃して、太平洋戦争の戦端を開きます。

そもそも、アメリカは真珠湾攻撃は不可能と考えていました。

そのような大艦隊の燃料補給をどうするか?

どうやって覚られずに、近づくか?

真珠湾は水深が浅く通常の魚雷は使えない。

もし仮に真珠湾にたどりついたとしても、迎撃されたら
日本海軍は壊滅的な打撃を受けます。

それを、幸運にも助けられ日本はクリアーしてしまいます。

十二月七日(アメリカ)午前6時、当時波は危険なほど荒れており、
船の最大傾斜角(ゆれ)は15度!
発艦の限界とされた10度を超えていました。
その中で、183機の第1攻撃隊は一機の事故機もなく
わずか15分で全機が飛び立ちます。

そして約1時間後167機の第二攻撃隊が出撃。

日本の6隻の空母から発艦した350機の航空機によって、
アメリカが誇る真珠湾の戦艦8隻を含む20隻、
航空機350機を破壊!
アメリカが誇る真珠湾は一日にして壊滅しました。

(予断ですが、映画パールハーバーのように、ゼロ戦が次々と
 撃ち落されることはありませんでした)

予想を遥かに超え、世界を震撼させた大勝利でした。
しかし・・・  

現在、この戦争を始めとして戦前の日本についてキチンと
総括することなく、再評価しようとすると右翼のレッテルを
貼られるのは残念です。

一方的に戦争をしたことが悪かった、日本が悪かった
と言うことはありません。

よかったこと悪かったことを見極めて、後世の糧とすることが必要で
いたずらに目をつぶり、評価を止めてしまうことは、
何の意味もありません。

そもそも何のために真珠湾を攻撃したか?
当時、日本はアメリカから経済統制を受けており
その打開が目的でした。

ところがそのときすでに、日本は中国と五年あまりに渡って
戦争状態にありましたが、 なんと18万を越える戦死者を
出していました。
せめて、この中国戦線に決着をつけて、対米戦に
踏み切るべきだったのではないでしょうか?

さらに、戦争はあくまで手段です。
初戦の大勝で環太平洋地域を制圧したあとのどこで、
戦争を終わらせるか、その計画もありませんでした。

現在、莫大な借金を抱えながら、それを精算する政策なしに、
問題の解決を先送りし、先の見通しが立たない状態は
当時と全く変わっておりません。

現在の子供たちに未来の展望はあるのでしょうか?
いずれ莫大な借金は子孫に廻されるのです。
このままでは、日本国民があの戦争でこうむった損害を
上回る可能性さえ出て来ます。

このように、日本を取り巻く状況を考える時、
再び危機が訪れているのは明らかです。
もう一度太平洋戦争について考える
いい機会ではありませんか?

さて、お釈迦さんの成道と真珠湾攻撃が
どうつながるのでしょう?

ところで、行というと寒中の水行・滝行など、自らの肉体を
苦しめる行が想像されるようです。
歩きの四国遍路なども同じように捉えられる傾向があり、
野宿などが評価されるようです。
しかし、これらは本来の行の前行に過ぎません。
すなわち、日常生活から非日常の行の世界に入るための
区切りの役割でしかありません。

実はお釈迦さんの苦行も膨大な前行だったと
いえるかも知れません。

本来の行は静かな禅定の状態なのです。
心も体も落ち着いた状態でなければなりません。

人類は、自分たちの生活の向上を目指して、
絶え間ない努力をしてきたように思えます。

しかし、一方では多くの生物を地球上から葬り去り、
その地球自体の環境すら変えています。

果たして戦争計画もないままに真珠湾攻撃を
行なった日本とどう変わるのでしょう?
苦行を行なって体調を崩したお釈迦さんのような状態と
言えるかも知れません。

もう十分ではないでしょうか?

むしろ立ち止まって、乳粥を飲む時代が
来ているような気がします。

密教の教えは自己と他者とを分けません。
自己と他者は隔てがなく、つながっています。
すなわち、自己が他者であり、他者が自己でもあるのです。

この他者は人間に限らず、生物に限らず、無生物をも含む、
この世のすべての存在です。

この世界は人間の物ではありません。
もうそろそろ自覚すべきではありませんか?


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