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三人寄れば文殊の知恵

クマと もりと ひと

先日数キロ離れたところから、
歩いて帰ってきました。
運悪く、途中で尿意を催しました。
ところが付近にトイレがありません。
しばらく我慢して道沿いの公衆トイレで用を足しました。

用便すら自由にできない社会?
これが果たして幸福な社会なのでしょうか?
そんなことをふと思った時こんな記事を見つけました。

クマと もりと ひと

40年も昔、私の育ったところでは見渡す限り、
段々畑が広がり、その奥に山が見えていました。
ほとんどが未舗装道路で
その道を馬が荷車を引いていました。
馬が道の真ん中で糞をします。
何故かその馬糞に乗ると背が高くなるという言い伝えがあり、
馬糞を見つけると争って上に乗っていました(笑)

その頃なら、トイレに困ることはなかったでしょう(笑)

段々畑には新しい道路が作られ、未舗装道路は舗装され
田圃には建物が建っていきました。
それでも、私が長じるまではあちこちに空地があり、
遊ぶ場所には困りませんでした。

今はそれらの空地がすべて駐車場となり
あるいは建物が建てられ、今は当時の面影もありません。

都市化して便利になったかも知れません。
ところが生きやすくなったのでしょうか?

熊だけでなく動物にとって生きにくくなっている地球が
人間にとって生きやすいということはないでしょう。

人は単独で存在しているわけでなく
外の世界とつながっています。

密教では人間もその他の生き物もさらにはこの世の中を
作り上げているすべてのものが、どんどん細かくしていくと
同じものでできている、しかもその境はない
と伝えてきました。

現実の素粒子の世界もそのようになっています。
自分の体と、その外の気体・液体・固体とには
密度の違いがあるだけで境などはありません。

40年前、既に自然破壊が問題なっていました。
その当時から考えられないほど、破壊は進んでおり、
未だに改善される見込みがないのは残念です。
ほとんど自分の体を傷つけているといっても
言い過ぎではありません。

本当に考えたいところです。


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