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三人寄れば文殊の知恵

戦争に加担した責任とは?

先日ビックリするニュースを聞きました。

浄土宗、戦争責任を検証 戦後63年、加担を反省へ

~~~~~以下引用~~~~~~~~~~

知恩院などを包括する浄土宗(京都市東山区)は、
宗派として初めて、戦争に協力してきた近現代史の検証作業を本格化する。
検証を進めたうえで、あらためて戦争加担をわびる方針。
終戦から63年。ようやく戦争責任を自らに問う。

3月8日京都新聞

~~~~~以上引用~~~~~~~~~~~

この件に関しては、
疑問に思うことがあります。

1、なぜこの時期に戦争責任を検証するのか?

2、戦争に協力するのは問題か?

3、どう責任を取るのか?

戦後63年と言うように、当時戦争に関わりを持った世代が
高齢化しています。

浄土宗を運営している世代からも、そのような方は
姿を消しているのではないでしょうか?

したがって、そのような方がいなくなってから、
今から考えると悪かったというような言い方になりかねません。

かつて、司馬遼太郎さんが、
「なぜ戦争に反対しなかったか?」
と問われて
「そういう時代ではなかった」
と答えたのを本で読んだことがあります。

この話を最初読んだ時は言い訳のように思えましたが、
今はそうではないように思います。

時代によって「正悪」の判断基準が違います。

戦争はよくないとは言いますが、日本史・世界史から
戦争を除いたらどうなるのでしょう?

ほとんど歴史というものが
描かれなくなってしまいます。

かといって戦争を肯定している訳ではありません。

その時代の判断基準で物事を考えなければ
いけないのではないでしょうか?

実はこれは非常に重要なことだと思います。

現代でいえば、原子力発電所などは
明らかに後世に禍根を残す
(大量の放射性物質が長期間にわたって残存する)
にも関わらず、自分達の生活のために
これについて考えていない人も少なくありません。

未だに
「原発の代替エネルギーがない限り、
原発をやめるのは非現実的」
という主張をする人が少なく無いことでもよくわかります。

あと何十年かして、年取ってから
「なぜ原発なんかに反対しなかった」
といわれて
「原発は間違っていた」
とでもいうのでしょうか?

私が言いたいのは後世になって間違いとわかることでも
その時代に生きていると感じにくいのではないかということです。

また、そもそも戦争に協力したのが
悪いことなのでしょうか?

戦争と選挙は勝たなければいけません。
そのために協力したのがいけないのでしょうか?

私は自衛隊の海外派遣には
現時点では反対です。

しかし、現代でも自衛隊の海外派遣について
国際協力という旗を持ち出されると
容認する意見が多いように思います。

いつ戦闘に巻き込まれるかわからない
危険があると思うのですが・・・

また、日本は戦争に負けてよかったなどという人がいますが、
とんでもないことだと思います。

戦争が終わった後も、数え方によっては
数十万人の日本人が処刑・強制労働などによって
命を落としています。

戦前には千島・樺太・満州・朝鮮半島・台湾などに
日本人は多くの財産を持っていましたが、
敗戦とともに没収されたままです。

さらに今につながる米軍の軍事基地・北方領土問題は
そのときの負の遺産です。

負けてよかったなどといえるものではありません。

また、仮にもし先の日米戦争に勝っていたら
戦争協力は悪かったというでしょうか?

仏教者はいつの時代にも
戦争には反対しなければいけません。
ただ、戦争に反対して侵攻してくる外敵を放置していると
外敵に自分達は皆殺しにされるかもしれません。

実は浄土宗の教主ともいうべき阿弥陀如来は
皮肉なことに、異民族との戦争によって生まれた仏様です。

「殺生罪を犯したものであっても、救われる」

とするのが阿弥陀如来であったはずです。

結果からいえば、なぜ、戦前に戦争に反対しなかったか?

ということになりますし、そのとき戦争協力した
仏教者の苦悩というものもあったように思います。

それを無視して、今頃、戦争協力に謝罪するというのは、
あまりにも時代に迎合しすぎる考え方で
浅はかとしか感じられません。

さらに、実は仏教界は大きな戦争協力を行なっています。

「戒名」です。

昭和の戦争以前の戒名は

○○○○信士

というような戒名が一般的で、

「居士」とか「~院」とつく院号などはあまりありませんでした。

ところが、先の戦争時に英霊には
相当の戒名を授けるようにということで、

○○院○○○○居士

というような江戸時代なら
お寺を建てたぐらいの貢献があった人にだけ付ける
戒名を授けました。

これなど、戦死すれば救われると誤解されかねない
行為としか思えませんし、戦死者達の
「立派にお国のために死んでいった」という
精神的な支柱にもなっていたはずです。

まさか浄土宗も、

「戦争協力のもとに授けた戒名だから返してくれ」

とは言えないでしょう。

しかし、これこそ最大の戦争加担です。
どう総括するんでしょうか?

自分達だけが悪かったと謝罪しておしまいというのでは
筋が通らないように思います。

本当に戦争責任について考えるならば、
曖昧な謝罪などすべきではありません。

その責任を背負ったまま、
自らの行動を律していくことではないでしょうか?

現代ではこの戦争責任と同じように
後々責任を問われかねない問題が少なからずあります。
それに対して、誤らないで答えて行くこと
それが重要なことだと思います。

最終更新日 2008年03月11日


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