善通寺は弘法大師の誕生地善通寺は弘法大師の誕生地法事の後の会席での話です。 70代と思われる施主さんが 「ところでお尋ねしたいことがあるんですが」 「何でしょう」 「最近はお大師さんは善通寺で生まれたんでないとかいう人も いるんですがどうなんでしょう」 「そちらの説のほうが優勢ではないですか?」 「ええ~お大師さんは善通寺で生まれたんでは ないんですか?」 「まあ、信仰的にはともかく史実としてはどうでしょう?」 「私はよく善通寺にお参りに行くんですが・・・ 行くとお大師さんが生まれたところとかいう地下へ入って・・・ でも、それは嘘なんですか?」 「いや~、嘘というわけではないんですが(汗)」 「善通寺でお大師さんは生まれたって聞いたんですが・・・ そうではないんですね!」 「いや~、まあ実際に見たわけではないんで・・・ ただ、高野山大学の教授の説ですから・・・・なんとも」 「高野山大学の先生が言われるんなら・・・ そしたら、善通寺はお参りしても意味がないということでしょうか?」 「いや~、善通寺は信仰上は誕生したといわれる・・・ 本拠地はあそこにあったはずですし・・・ 今まで信仰がありましたので・・・ いや~善通寺はいいお寺ですね。 宿泊者がいなくて一人でも宿坊へ泊めてくれるんですよ」 「へえ~そうなんですか」 「そうなんです。なんか悪い気がしますけどね」 「ありがたいでしょう」 「そうです。昔は曼荼羅寺と寺領が接していたとか 聞いたことがあります」 「へえ~」 危ういところを復活? 少し前の機会に50代前半と思われる施主さんが 「最近の教科書はわれわれの習った歴史と変わってきましたね」 「ええ、そうらしいですね」 「聖徳太子も厩戸皇子とか言いますね」 「聞いたことあります」 「足利尊氏とか源頼朝の肖像画が別人とか言いますね」 「西郷隆盛もあんな顔ではないとか?」 「そうらしいですね」 「しかし、違和感がありますね!」 「仏教でもそんなのありますか?」 「ありますよ。弘法大師の誕生地は畿内とか、 奥の院に眠っていないとか」 「ええ~そんなのあるんですか?」 「30年ぐらい前は高野山外の先生が『お大師さんは火葬された』と 本に書いて衝撃的とされたぐらいですけど」 「お大師さんは奥の院で眠られているんではないですか」 「それが違うようなんです?」 「そしたら真言宗の教えが変わってしまうんではないですか?」 「いや~、そういう訳ではないですが・・・ 真言宗はお大師さんが眠っているとかいう信仰ではないですし」 「でも、お大師さんが奥の院にいて人々を 救ってくれるんではないですか?」 「いや~、まあ、お大師さんは高野山には いらしゃるという・・・」 「南無大師遍照金剛とか唱えるのでは・・・」 「ええ~、まあ~・・・」 「でもお大師さんが奥の院に眠ってないとか言うと、 ちょっと違ってくるんでは?」 「いや~どうでしょうか?いないというか、いるというか・・・」 「そしたら、奥の院にお参りして意味があるんですか?」 「いや~、それは信仰上の意味があって・・・ ところで、奥の院には大木があるんですが 昔は高野山は木を売って維持費にしていたんですよ」 「へえ~そうなんですか?」 「ええ、山林部というのがあって木を 管理していたんですが・・・」 「そんなに山があるんですか?」 「山林は農地解放で手放していないですからね・・・」 再び危ういところを復活? 史実を立てれば、信仰から遠ざかる。 信仰を立てれば、嘘つき?嘘つき?嘘つき? 知らなければ、良いとも言えません、 どうしたものでしょう? しかし、武内教授の説はすごく怖いですね(汗) 最終更新日 2009年01月30日 ジャンル別一覧
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