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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

遍路日記その20~22

6月4日 一夜明けた朝。再び四国遍路に挑みます。

本来なら今日から泊まりの予定だったのですが、昨日の経験から
日帰りとして多少でも荷を減らし負担を軽くしました。

スニーカーを選ぶことも考えたのですが、今日の行程は山道が多く
雨が予想されるので、登山靴を選択します。

十分に慣らしができていないため、
登山靴は履いた瞬間に足が痛い。

歩き遍路のサイトを見ると、登山靴を勧めているケースが多いです。

確かに、ある程度の荷を背負い、山道を歩くことが多い
歩き遍路にとっては、登山靴はベターな選択かも知れません。

一方で、登山靴は重くて足に負担を掛けることも事実。

それゆえ足を痛めることもあります。
また、普段から歩いて慣らしておかないと履きにくい
ことが多々あります。

むしろ私のような素人はスニーカーがベストかもしれません。

徳島駅前から横瀬行きのバスに乗ります。
乗客は一人。
昨日の帰りのバスも乗った時は私一人。

バス会社の採算が取れるかどうか心配になります。

バスは徳島駅から南下して、勝浦川沿いに走ります。
途中から通学の高校生が乗ってきます。
昨日乗った「西岡上」のバス停を過ぎ、
登り口の「生名」へ向かいます。

「生名」のバス停の前には、商店があり、
そこで食料を購入します。

20番鶴林寺から21番太龍寺に至り、太龍寺を下るまで
商店はありません。水・食料は確実に必要です。

今日の目標はとりあえず20番札所まで登り、その時点で
21番札所を山道で目指すか?

あるいは、いったん現在位置まで戻りバスで徳島まで戻り、
21番札所の下まで公共交通機関を使うか?

問題は今にも泣き出しそうな空。

雨天となったならば、20番~21番間の山道は
難しいかもしれません。

7時40分ごろ出発しようと背負子を背負っていると
軽装の若いお遍路さんがすぐ前を歩いていく。

向こうはこちらに気づいたか気づいていないか?
お互い挨拶はしませんでした。

その、お遍路さんについて行こうと思ったら、
あっという間に見えなくなりました。

車道から農道に入り坂がだんだんきつくなってきます。

先ほどの若いお遍路さんが道の真ん中に
大の字になって寝ています。

若いということはうらやましい。

そこで抜いて行ったのですが、本格的な山道に入る手前の
ベンチで休んでいるところを抜き返されます。

もう一人大きな荷物を背負った若いお遍路さんが
私を抜いていきました。

本格的な山道(ただし整備されています)は
延々と続くように思えます。

この道は永遠に続き、終わりがない、
そう覚悟を決めなければ登ることはできませんでした。

ただ、有り難かったのは雨が降ってこなかったことです。

不意に視界が開け、鶴林寺の駐車上に出ます。
登り切った!
登り口から一時間半を超えていました。

駐車場を横切り、山門をくぐり鶴林寺の境内に入ると
平地だからか急に体が軽くなりました。

霧の中に立つ杉の大木の間はきれいに掃き清められ、
まるで私を迎えてくれているような気がしました。

荷物をベンチに置き、本堂への石段を登ります。
荷が無いと足はなんと軽いことか!

先ほど私を抜いて行った青年は大きなリュックを背負ったまま
本堂以外の三重塔などを丁寧にお参りしています。
僧侶でもなさそうですが、熱心に祈願しています。

一方、軽装の青年はベンチで座って休んでいます。

実は、このお遍路さんこそが「お大師さん」だったのです!

ところで、19番札所から20番札所までの間には
重要な番外霊場が3つあります。
慈眼寺・星の岩屋・取星寺です。

四国遍路の最古のガイドブックは
寂本の「四国遍礼霊場記」ですが、この本には
7つの番外霊場が載せられています。

金毘羅宮・篠山観世音寺・月山・洲崎の堂の4つと
上記の三つです。

7つのうち3つがこの19番→20番の間にあるのは
不思議です。

まず、取星寺と星の岩屋は、どちらも19番の奥の院と
称しています。

空に悪星がでた時にお大師さんが星の岩屋で祈願したところ
取星寺に落ちたと言う説があるが定かではありません。

星の岩屋は丁度、鶴林寺から勝浦川をはさんだ
対岸の山の中腹にあります。

本堂への石段の脇には鳥居杉があり、本堂脇には岩屈
そこを抜けると滝の裏に出ます。
滝を裏から見るので「うらみの滝」とも言います。

クスノキにお不動さんが彫ってあります。
すなわち「生木不動」です。

慈眼寺は20番札所の奥の院と言われ、途中に灌頂の滝と
呼ばれる徳島最大の滝があります。

納経所から本堂までは少し登りますが穴禅定と呼ばれる
行場(鍾乳洞)があります。

さて、俗に四国遍路はお大師さんに出会う旅ともいいます。

しかし、実際にお大師さんに会った体験談は
あまり聞いたことがないでしょう。

そもそも、お大師さんに出会うということは
いったいどういうことでしょう?

15年前、私が初めて四国にやってきて
お遍路をしたときの話です。

足摺で高野山で修業したという若い僧と出会います。

たまたま、同じ宿に泊まったところ、
いろいろ真言宗の話やら弘法大師の話をしてくれました。
そして何故か、その僧がどこまでもついてきて
私にしつこく托鉢を勧めます。

当時、素人で仏教にも全く興味のなかった私は、
それが嫌でその僧が托鉢している間に先に進み、
その僧を完全に振り切った。

と思ったら・・・

歩き遍路17回という行者さんに捕まります。

気合いの入った修験者の格好で強面、威圧的な態度と
声の大きさに普通の人は圧倒されます。
さながら、不動明王の化身?

「お前は托鉢をするんだ」

と言われ、その行者さんと一緒に強引に
托鉢をさせられます。

その行者さんが酒を飲んでいるうちに逃げ出して
やっと自由を手に入れた・・・
と思ったら、足を捻挫?してほとんど歩けない状態に・・・

その間に若い僧が追い付いてきて、笑いながら

「托鉢する運命にあるんですよ・・・」

托鉢の話はさておき、その行者さんが私に言った言葉が
今でも忘れられません。

遍路の途中で酒屋に入り、私に質問します。

「お大師さんはどこにいる?」

「・・・」

その時、たまたま前日同じ宿だった遍路三度目という
お遍路さんが、水かジュースを買いに酒屋へ入ってきました。

行者さんはそのお遍路さんを指差して

「お前のお大師さんはこの人だ」

その時はその意味が全く判りませんでした。
後にその意味がわかってきます。

四国遍路は不思議です。

必要な物は必要な時に、
必要な人も必要な時に、

自分の目の前に現れます。

当然のことながら、お大師さんは必要な人の前には
必ず姿を現してくれるのです!

さて、20番鶴林寺から21番太龍寺に至る道が難所です。

来た道を下り、登り口の生名に戻ることも考えましたが、
時間もまだありますので、直接山道で21番札所へ向かう
ことにしました。

距離は6,5K標高500Mから50Mまで下り、
再び520Mまで登ります。

まず、下りが問題です。
かなり急な下りです。

荷物の負荷が足にかかり、意外に体力を使います。
さらに疲れているときは足を痛めやすいので、
ゆっくり慎重に下りていきます。

かつては、20番→21番を1時間半を切り、
車のお遍路さんより早く着いたものですが、
今は昔(*^_^*)

一部の道では草が生い茂り、通行しにくいところが
ありました。この時期になると通行不能になるへんろ道も
少なくありません。
四国の温暖な気候は驚くほど草木を成長させます。

わずか二キロで45分もかかりましたが、無事に
降りられたことに感謝して、麓の八幡神社にお参りしました。

八幡神社のすぐ下のあずまやで休憩します。
先ほどの青年が先客です。

少し下ると集落があり、那賀川を渡ります。
那賀川は渇水と言われており、水は少ないですが、
川幅は驚くほど広いです。

橋を渡ってしばらくは舗装路を谷沿いにだらだら登って
民家がない山の中を進んで行きます。

途中にあずまやがあり、再び青年と出会います。

さらに進むと急に視界が開け、こんな山奥に
田畑が現れます。そこから急な山道に入ります。

途中で休み休み登っていきます。
坂道では滝のように汗が噴き出します。
もし雨天で合羽を着ていたら登れないでしょう。

しかし、少し休むと汗がすっと引き、涼しくなってきます。
しばらく、休んでいると鳥の声が聞こえてきます。
必至になって登っているときは、周りの景色を見えない、
音も耳に入らない。
こうやって、静かにしていると周りもだんだん見えてきます。

少し登ると、道は緩やかになり、コンクリートの
道に出て、太龍寺の山門が見えてきました。

もう1時近くなっており、鶴林寺から
3時間経過していました。
境内に入ると4人の歩きらしいお遍路さんがいました。
どこから出現したのでしょう?
一人は、先ほどの青年。
二人は夫婦?カップル?
もう一人は、先ほど鶴林寺の登りで抜いた年配の女性でした。
私が抜かれていないのになぜ???

話を聞くと、お接待でロープウェイ乗り場まで車で
乗せてもらったということです。
今日は21番の麓の宿に泊まると言います。
やっと納得しました。

太龍寺は弘法大師の「三教指帰」に出てくる阿国大瀧嶽と
言われています。

ここにはかつて奥の院である龍王の窟という
洞窟がありました。
弘法大師が求聞持法をしたとしたらここだったの
ではないかと思われます。

戦前までは存在していましたが、現在はありません。
驚くべきことにセメント会社に売られてしまい
失われてしまいました!
貴重な霊場であっただけに残念極まりありません。

大きな杉の木立に囲まれた静かな場所です。

西の高野と言われています。

最初ここへ来た時には大きな寺院なので、なるほどと
思ったものですが、多少大袈裟です。

確かに、大師堂は高野山の奥の院の雰囲気に似ています。

ミニ高野ぐらいが適当です!

お参りしているうちに、4人の歩き遍路さんは
いなくなっていました。
ロープウエイを使うので、もう彼らとは
会うことはないでしょう。

太龍寺から13時40分のロープウェイで下ります。

ところで、歩いて四国遍路をしていると
よく聞かれる質問があります。

「歩くと何日ぐらいで廻れるか?」

少なくとも私に取っては意味のない質問です。

四国遍路は一周約1200キロ、1日30キロぐらい歩けば
40日ぐらいで廻れるというのが前提にあるようですが・・・

その前提はおかしいのでは?

私はかつて、一周平均60日~65日かけていました。

「ずいぶん遅いですね!」

と言われたこともあります(*^_^*)

ちなみに、私の平均歩行距離は
一日40キロ~45キロぐらいでした(*^_^*)

決して遅くはないはずです。
平均速度は遅くないのに、一周廻る日数が長い。
何故でしょう?

まず、お参りの時間が考慮されていません。

私は以前にも申し上げましたが、一か所あたり
30分以上かけてお参りしています。

一方、歩きのお遍路さんの中には、お参りよりも
歩くことに重点を置いている人が少なくありません。

88か所も廻ったら、50時間は違いが出るでしょう。
すなわち、同じ速度でも5日ぐらいは
余計にかかるということです。

もう一つは、番外霊場をたくさんお参りしていることです。
片道50キロある、太龍寺の奥の院の黒滝寺や、
海上の大三島、石鎚山上、などは代表ですが、
それ以外にも一周あたり100か所以上の
番外霊場をお参りしています。

時間がかかって当然です。

「歩くと何日ぐらいで廻れるか?」

という質問があまり意味のない理由が
お分かりいただけたと思います。

今回は流石にたくさんの番外霊場はお参りしませんが、
重点的にいくつかはお参りしています。

ところが、気に入らないのは

「全部歩いているんですか?」

と人から聞かれて

「いえ、公共交通機関を併用しています」

と答えると、

「そらそうでしょうね、歩いたら大変ですからね」

となんとなく低く見られること。

公共交通機関を使っただけで評価が下がるんかい???

さて、ロープウェイは弘法大師が修行した場所といわれる
南の舎心を通過していきます。
ここには弘法大師像があります。

舎心はもともと捨身だったとも言われています。
北にも舎心がありますが、どちらも大きな岩の上で
断崖ですから「捨身」という字が本当でしょう。

かつて南の舎心から鷲敷の中山薬師に下る道があったと
言いますが、私は下ったことはありません。

現在、遍路道と言われているのは、太龍寺への車道の
だらだら坂を阿瀬比まで下り、そこから山越えをして
22番札所の平等寺に向います。

私はロープウェイで下り、バスで阿瀬比に移動して
山越えを目指します。

ロープウェイ乗り場から、最寄りのバス停までは
800メートルです。

雨が降ってきましたので、合羽を着て、ポリ袋で
雨用の覆いを掛けます。
準備をしているうちに14時近くなりました。

バス停のある195号線へ向かう途中に、
蛭子神社があります。

見事な鳥居杉のある神社ですが、時間を見ると14時15分
バスは14時20分なので、参拝は諦めます。

和食東のバス停からバスに乗り、歩道もバス停の表示もない
阿瀬比のバス停で降ります。
乗客は例によって私一人でした。

いきなりバス停の表示もない道路でバスが止まったとおもったら
そこが阿瀬比でした。
下ろされて道を挟んだ対面には、かつて商店だったとおもわれる
建物があり取り残されたようにポツンと一台の
自動販売機が置かれています。

鶴林寺の麓で購入した水はこれまでの行程で飲みきって
いましたので、その自動販売機で水を購入します。

雨は本降りになって来ました。
22番平等寺までは約5キロです。

舗装路からコンクリートの農道へと進み、山道に入ります。

歩行距離は10キロ程度ですが、午後になって疲れたからか、
鶴林寺、太龍寺の山道で消耗したからか
意外にきつい上り坂に苦しみます。

あと少しと言い聞かせながら、一歩一歩雨の中を進みます。

程なく大根峠を越えます。
なんとなく充実感を憶えて、22番札所に届いたような
気になりましたが、幻想でした。

だらだらした下りがこれでもかと続きます。
実際は大した長さではないのでしょうが、
永遠に続くくだりのように思えます。

雨の中休む場所もありません。

いい加減疲れきった頃にやっと山道を抜け、
舗装路に出ました。

いつの間にか雨は上がっています。

少し舗装路を歩くと、地元の人が用意してくれたらしい
ベンチがあったのでありがたく休ませてもらう。

「四国の田舎ではお遍路さんに優しい。」

「休憩所を用意してお遍路さんをお接待してくれる」

県外からやってくる人はそう感じているらしい。

半分は本当です。でも半分は違うとおもう。

四国の田舎ではどんどん人が減っている。
人が田舎に来ることが少ないのだ。
だから、人が来て話してくれたらうれしいのだ。

だから、お遍路さんを見てニコニコしながら挨拶をしてくれる人を
見ると複雑な気がします。

休憩しながら、時計を見るとビックリ仰天!
もう15時30分過ぎ!
阿瀬比から1時間も経っている!

平等寺をお参りしてから、JR新野駅から列車で
徳島に戻る予定で新野駅発の徳島行きは
16時56分を予定していました。

遅くてもこれには乗れるという見込みだったのですが・・・

次が18時23分。
1時間半も間があります!

平等寺までは2キロ、そこから新野駅まで2キロ!
1時間に4キロ進んで、お寺に30分滞在したら・・・
17時過ぎ(汗)

休憩しようと下ろした荷物をあわてて背負います。

勢いよく平等寺を目指しますが、気ばかり焦って
前へ進みません。

頭の中を計算が駆け巡ります。

18時23分の列車で帰ったら・・・
帰りは8時過ぎ、つかれきってしまうでしょう。

もし新野で泊まったら?
泊まりの準備をしていないので、明日徳島へ帰ることに

最初から室戸を廻って高知を目指す予定で準備をしていれば
焦ることはなく、新野で泊まれば良い。
日和佐(23番)まで進んでも良い。

しかし、昨日の失態が頭に残り、荷物を最小限に抑え
徳島へ引き上げることを前提に予定したのが裏目です。

そうはいうものの、最初から泊まりを予定して荷造りしていたら
鶴林寺、太龍寺へ登れたかどうかわかりません。

22番平等寺に着いたのは4時頃でした。
お参りを省略することも考えてしまいましたが、
お参りあっての巡拝という信念をここで曲げては挫折と同じです。

丁寧に理趣経を上げます。

ちょうど同じ頃やってきた歩きのお遍路さんは、本堂に札を納めると
そのまま下っていきます。

なんとなく気になりましたね(苦笑)

お参りが終わると16時30分です。
新野駅へ大急ぎで向います。

早く歩こうとしますが、体力が無くなっているのか足がもつれます。

途中で高校生に挨拶されますが、キチンと挨拶を返す余裕もありません。
ようやく踏切が見え、新野駅が見えました。
喉はからからです。
阿瀬比で購入した水は飲みきって、平等寺には名水がありますが
それを汲む暇はありませんでした。
とりあえず、合羽を脱いで、飲み物を買おうとおもっていたら、
脱いだと同時に列車が入ってきました。

水~水をくれ~と思いながら各駅停車に揺られて帰りました。

6月4日 三ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 18キロ


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