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三人寄れば文殊の知恵

阿波から土佐へ、室戸と神峰(24番~27番)

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日和佐を出ると次の24番札所最御崎寺まで80キロ以上あり
普通に進んで2泊3日です。

この間には番外霊場がいくつかあります。
まずは鯖大師です。

お大師さんが鯖を積んだ馬子に
鯖を所望しますが呉れなかったので、
「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれで馬の腹病む」
と一句詠むと馬が倒れて苦しみはじめました。

困った馬子が鯖を一つ差し出すと
「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれて馬の腹止む」
とお大師さんは一句読み、貰った鯖を海に返してやりました。

詳しくは鯖大師に宿坊があります。
泊まって住職から直接聞いてください。

ところで江戸時代の真念法師の遍路道指南には
「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれで駒ぞ腹病む」
「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれて駒ぞ腹止む」
と行基菩薩の話になっています。

もともとはお大師さんの話ではなかったものがお大師さんの
伝説へと変わって行ったことが解る実例です。

また鯖はもともと生飯(さばと読みます)のことではないか
とも言われています。
生飯(さば)と言うのは自分の食事の一部を餓鬼などの鬼神に
供養することです。

また峠には手向けの神という神様がいて、その神様に何か
供養すると無事に通行できるといわれていました。
そこで生飯(さば)を供養していたのが、魚の鯖に変わって
しまったと言う説です。

鯖大師の辺りはかつては八坂八浜といって大変な難所だったと
いわれていました。
そこを安全に通ることを願って生飯(さば)供養を
していたのが、鯖大師のはじまりかもしれません。

鯖大師を過ぎると海南です。
ここにはかつて重要な番外霊場?がありました。

海部の大師堂のちに弘法寺といわれたところです。
ここには江戸初期に「遍路札所の日記の板」というものが
売られていたようです。

この話は澄禅大徳の四国遍路日記(現存する最古の遍路日記)
にでてきます。
澄禅大徳は江戸時代の梵字の大家として知られています。
この人が遍路日記を書いているのは意外です。

余談ですがこの日記には江戸初期の札所の惨状が描かれていて
面白い?です。
ボロボロで住む人がいない札所があり、住んでいるのが得体の
知れない坊主?だったり、 お参りしていたら寄付を言われたり、
当時の高僧である澄禅大徳が必死になって川渡しを
懇願するところなどなど、最後に道のりは488里、河が488瀬、
坂が488坂と書いていることからして相当苦労された様子です。

同時代あるいは少し後に遍路をしていた真念法師はこの現状を
何とかしようと四国霊場の整備に掛かられたのでは
ないでしょうか?

先ほどの「遍路札所の日記の板」は、現存する最古の
ルートブックである真念法師の道指南より
古いものと思われます。

現在「海部の大師堂」はA寺となっています。
訪問しましたが「遍路札所の日記の板」の話は全く
わかりませんでした。
ある遍路研究者の方ともお話しましたが
「もし出てきたら大変だ!」といわれています。

お持ちの方がおいででしたらぜひご連絡を。

海南から海部を過ぎ、宍喰に入ります。
宍喰には温泉もあります。
宍喰からすぐに甲浦に入りますがここは高知県で、鉄道もここで
行き止まりです。

ここでちょっと神社参拝についてお話したいと思います。
四国遍路は神仏両参りといわれていますので、私は神社も
積極的にお参りしました。
よく札所だけしかお参りしない人がいます。
以前申し上げたようにこれはいけません。

何故神社にお参りするか?
その理由ですが一つには四国の人たちに
感謝していただきたいのです。
四国人である私が感謝せいというのはトンでもないと
思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、
そうではありません。

四国霊場を生み育ててきたのは紛れもなく四国の人間です。
それも長年にわたって維持してきたのです。
現在でも遍路という歩いて参拝できる形が残っているのは、
弘法大師・真念法師と言う父親があっても四国の人たちが
母親となって守ってこなければ、西国・坂東の霊場のように
歩いてお参りする形は遥か昔に消滅していたことでしょう。

ですから四国の人たちには感謝の念を送って欲しいのです。
その具体的な現れが土地の氏神を祀る神社への参拝なのです。
有名な神社に自分の願いを掛けるのではなく、無名の神社に
感謝のお参りをして欲しいと思います。

甲浦から少しいくと野根に入り東洋大師(野根大師)
があります。
かつては遍路宿であったとも言われています。

この野根から室戸の佐喜浜までが飛び石・はね石といわれる
難所でした。
現在は見通しのいい道路となっています。
ほとんど民家がない場所が10キロ以上続きます。

室戸市に入ってすぐに入木という小さな集落があります。
ここに仏海上人の庵があります。
仏海上人は地蔵尊を3千体!刻んだと言われており、
ここで即身仏と成られています。

ここまで来ると目指す室戸岬はすぐです。
室戸岬には御蔵洞という岩窟があります。
ここでお大師さんが虚空蔵菩薩求聞持法を修された時、
明星が現れてお大師さんの口に飛び込んだと言われています。

またお大師さんの「空海」という名前はこの室戸岬の海と空から
つけられたといわれています。
ぜひお参りしたいところです。
この御蔵洞のすぐ脇から少し登ると24番札所最御崎寺です。
この最御崎寺は東寺と呼ばれ、26番札所の金剛頂寺が西寺と
呼ばれています。

久しぶりの雑記帳です。前回はこちら

室戸は台風銀座とも呼ばれ最御崎寺までの海沿いの家は
要塞のように壁で囲まれています。

24番札所最御崎寺から下って少しいくと室戸の町に入ります。
25番札所津照寺はすぐです。
23番から24番までが長かっただけに少しあっけない
感じがします。
この津照寺は階段が急でいつも上から誰か落ちてこないか
ひやひやです。

25番から26番金剛頂寺まではすぐです。
この金剛頂寺が本来の室戸の札所ではないか?と
私は考えています。
室戸岬(金剛頂寺)足摺岬(金剛福寺)の二つがその昔の
修行道場だったのではないでしょうか?

ところで、室戸には2つの番外霊場があります。
24番奥の院といわれる四十寺と26番奥の院といわれる
池山神社です。

四十寺はかつて最御崎寺がここにあったとも
言われています。
山中の無住のお寺です。
今の時期なら行けますが、もう少し暖かくなると草が生い茂り
いくことができません。

池山神社は案内のない山道を約4キロ入っていきます。
途中枝分かれも何箇所かあります。

不案内の山中でよく行けたものだと思います。
不思議なことに歩き遍路それも野宿(私の場合はテントなしで、
寝袋だけでした)をしていると眠っている野性が
よみがえるのでしょうか?
どんどん神経が研ぎ澄まされていき、朝起きたら天候も
わかりますし、方向感覚がよくなってきます。
適当に進むと目指している方向に進みます。

池山神社は山中を歩いていると目の前の林が開けて大きな湿地の
中に神社の社が出現します。
思わず「おお~」と声を上げたくなります。

26番札所から27番札所神峰寺までは海沿いの道を歩いて
約30キロです。

お遍路はとかく何故か早くまわらなければいけないような
脅迫観念に襲われますがたまには砂浜でゆっくりしましょう。
この辺りの方は親切な方が多いようです。

土佐黒潮鉄道が室戸の隣の奈半利までのびてきています。
この鉄道を利用する手もあります。

神峰寺は「まったて」と呼ばれる急なのぼり坂です。
宿を麓にとって打ち戻るのも一つの手です。

麓には「食わず貝」といわれる石の貝が出ます。
お大師さんに意地悪したので貝が石になってなって
しまったという言い伝えですがただの化石です。(笑)

神峰寺は桜の名所でもあります。
ここはお寺が札所ですが明治時代、神仏分離令によって
しばらくお寺がつぶされていました。

現在お寺の上に神社がありますがここが昔の札所です。
今はすっかり寂れていますが、ここには灯明岩という
大きな岩があります。

有事の時にはこの岩が光を放つとも言います。
近年では敗戦の時光ったと古老から聞きました。
ぜひお参りしたい神社です。

ここから28番札所の大日寺まで30キロぐらいです。

ちなみに徳島の打ち始めでは、30キロとはとてつもない
距離のように感じますが、この辺りまで来ると30キロは
一日で着く距離で、それほどでもないように
感じられるのは不思議です。

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