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三人寄れば文殊の知恵

伊予・土佐境界の謎(39番・40番)

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前回「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)か
笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」という
お話をいたしましたが、月山と篠山は寂本の霊場記では
札所として扱われています。

霊場記の中で札所として扱われているのは九十三カ所です。

現在札所でないのは金比羅、州崎の堂、慈眼寺、月山、笹山の
五ヶ所です。
あと「付」(準札所?)として、取星寺、星谷、吸江寺、仙龍寺が
紹介されています。

38番札所の足摺から41番札所の三間町へ向かうには中間地点の
宿毛は宿毛です。
月山神社をお参りすると39番延光寺へは海岸沿いの宿毛から
かなり内陸部へ入らなければなりません。

また宿毛から三間町へは直線的に進むと篠山を通ることになります。

40番観自在寺から道指南には3つのルートが示されています。
そのうちの一つは篠山道といって篠山周りのルートです。
このルートはなんと地図上では戻るような形になるのです。

江戸時代の道は高低があっても直線的に作られています。
そのほうが近いからです。
車がある今の時代と違ってわざわざ戻ることになるルートを
示しているのはなんとも不可解です。

さらに、40番札所観自在寺は本尊薬師如来です。
仏教についてご存知の方は?と思われるでしょう。
観自在寺という名前ならば本尊は通常
観音菩薩でなければなりません。

観自在寺の脇仏は阿弥陀如来と十一面観音です。
これも普通はありません。

寺に伝わる縁起からもなぜ観自在寺という名前が
ついたのかの説明はありません。

民俗学の大家である五来重氏が四国遍路の寺という本を書いて
八十八の札所について独自の分析をしています。
ところが39番、40番は抜け落ちています。
謎は深まります。

私は39番札所は延光寺ではなく月山、
40番札所は観自在寺ではなく篠山だった可能性が
あると見ています。

四国霊場は江戸時代の江戸時代の初期位まではっきりと
確定していませんでした。

中村市の石見寺というお寺は南路誌によるとかつては四国霊場の
札所だったと記されています。

40番札所は篠山観世音寺を移したと考えれば寺号の謎も本尊の
謎もルートの謎も解けてきます。

篠山は現在でも難所でありそれを平城と呼ばれていた現在の
観自在寺を札所にという動きがあったと思われます。

その時に山の札所であった篠山を海の札所である観自在寺に
移すにあたり、海の札所であった月山を山の札所である
延光寺に移したものと考えられます。

しばらくは両者が札所であった時代が続き、江戸時代の初期に
統一されたのではないでしょうか?

最古の遍路日記といわれる澄禅大徳の日記(1653年)では、
きちんと月山もお参りし、延光寺もお参りしています。

江戸初期までは「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)
か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」
ということが元札所を重要視する教えとして伝えられていたのでは
ないでしょうか?

足摺では私は一日の歩行記録を作りました。

たまたまその日は宿を取ることができず、土佐清水の中心地から
西側を回って足摺岬を目指しました。

途中に集落もほとんど無く、日が暮れると明かりもなく
暗闇の中を歩き続けます。
車も通りません、多分スカイラインを通るのでしょう。

足摺のすぐ近くまで歩き推定64キロです。

荷物は20キログラム程ありましたので、
普段はペースは40キロ程度でした。

さすがに一日の歩行が50キロを越えると翌日は
足が疲れてあまり歩けません。

ちなみに帝国陸軍の歩兵は40キログラムの荷物を背負い
30キロ~40キロ行軍したといわれています。

私が戦前に生まれていたら倒れていました。

ところで、以前真念庵のすぐそばでSさんという人が善根宿を
しており私も泊めていただいたことがあります。

Sさんは定年を過ぎて年金で生活しながら真念庵のすぐそばに
家を借りてお接待をしており、私に真念法師の話を
詳しく教えてくれました。

Sさんは真念法師が四国霊場に対し功績があるにも関わらず全く
評価されていないことを嘆いていました。

Sさんの夢は各札所に通夜堂を建てることであり、もしそれが
かなわないならば真念庵に88の通夜堂を造るという
途方もないものでした。

残念ながらSさんの夢はかないませんでしたが、いくつかの
札所には通夜堂ができたようです。

Sさんは今も四国各地を回ってお接待をされています。

足摺から月山神社へ至る道沿いに竜串と言う名勝があります。
一度ご覧あれ。

海沿いの道を延々と進んでいき、大月町に入り人里
はなれたところにポツンとこの神社があります。

御神体は三日月形の石です。
拝殿の後ろを少し登ると見ることができます。

かつてこの神社の本尊は勢至菩薩だったとも言われています。
江戸時代のミニ八十八で見た記憶がありますが、本尊が
勢至菩薩のお寺など聞いたことがありません。
ぜひ拝見したいものだと思い、当時(十数年前)100歳になると
いう老神主にその話を聞きましたが、ご存知ないという話で
とても残念でした。
その方ももう鬼籍に入られてしまったことでしょう。

また、この付近には宿がありません、私はとぼとぼ歩いている
ところを呼び止められ、近くの公民館に泊めてもらいました。

高知の人は本当に親切です、また、徳島の人も劣らず親切です。

ところで、私がお四国参りの話をして驚かれるのは善根宿を
何度もいただいていることです。
善根宿とは、一晩の宿をお接待していただく、すなわち
泊めてもらうことです。

最近の歩きのお遍路さんでは一部にそのような善根宿の情報
を集め、ただで泊まることをを期待して行く人もありますが、
とんでもないことです。

私の場合は同じルートを通ったこともありませんし、
日数も全く違います。
ですから、あまり同じところで泊まることはありません。

私が歩いていた当時、善根宿で有名なTさん宅がありました。
そこは遍路道沿いにありましたので知っていましたが、
一度も泊めてもらったことがないのは私の誇りです?

しかし、何故かとぼとぼとみすぼらしく歩いていたのでしょうか(笑)
よく善根宿をいただきました。

不思議なことにお遍路さんをいつも泊めているような方ではなく、
私を泊めるのがお遍路さんを初めてお接待するという方が
多かったのも思い出に残っています。

私の知り合いの方などは5回以上歩いてお参りしていますが、
一度も善根宿をいただいたことがないと言う人がいます。
その方のほうが、私より坊さんらしいと思いますし、
不思議な力をお持ちです。

どう考えても、泊めて価値があるのはその方の様な気がします(笑)

そのあたりなんともいえない仏の後押しを感じます。

足摺からの打戻では逆打ちのようになりますので、
何人もの人に会います。

四国遍路の体験談の中で私に托鉢をさせてくれた僧侶に
あったのもこの足摺の打ち戻りです。

三原村を抜けて39番延光寺へ向かいます。
三原村にはかつていくつかの善根宿がありました。
しかし、無くなってしまったのは残念でした。

延光寺は宿毛にあります。
宿毛は高知県最西端の町で、土佐くろしお鉄道が
ここまで来ています。
長かった修行の道場をようやく終わりです。

宿毛を出て国道沿いに40番札所観自在寺のある
御荘に向かいます。
一本松町に入ると愛媛県です。
かつては御荘の手前に城辺と言う町があり、
国道を進むと「御荘4キロ」という看板があるのに、
まだその手前の城辺町に入らないので、
歩き疲れて頭までおかしくなったかと思ったことがありました。

城辺町と御荘町はくっついているような町でしたが、
街灯の種類が旧道街の途中で変わっているので、
ここが町の境だと判りました。
今はそのあたりは愛南町という名前に変わっています。

この町では「ナイトショップいしづち」という
コンビニに出会いました。
愛媛県を中心とするチェーンですが驚く無かれ、
定価より高く売っていました!

観自在寺はこの街中にあります。

ところで、四国人はおおらかな性格でしょうか?
小さな商店では賞味期限切れの商品など
普通においてあります!

かつて小さな商店でパンを買い、その後同じ商品を
スーパーで買いました。
スーパーで買ったものは半額の値札が付いていたので
当日に食べ、翌日小さな商店で買ったものをかぶりつくと
味がおかしい?
賞味期限は一週間前に切れていました(笑)

またある商店でパンを買おうとすると黒い転々が、
胡麻のパンと思い買おうとすると黒かびです。
賞味期限を見ると三週間前に切れています(笑)

また、私の居候していた某寺院のすぐそばの商店は
何週間も同じ雑誌を置いていました(笑) 

まあそんなこともありますので気にせずに
四国はお参りしましょう。 素光

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