「新年あけましておめでとうございます。」
ところで
新年を変換しようと「しんねん」入力すると
「真念」が出ますね(*^_^*)
※真念法師
四国遍路の父
四国遍路を二十余度行ったといわれ、四国霊場を整備した。
1、遍路石(みちしるべ石)の建立
2、遍路宿の建設
3、四国遍路道指南(1687年)
四国霊場のルートブックの執筆。
4、四国遍礼霊場記(1689年)
四国霊場のガイドブックのプロデュース
5、四国遍礼功徳記(1690年)
四国遍路の奇瑞・霊異をまとめて執筆
この3部作によって四国遍路ブームが起こったといわれます。
一説には四国遍路の札所番号をつけたとも言われています。
四国遍路の開創者
少し前に、巡拝団の方からこんな相談を受けました。
「私は旦那寺の座禅会に勧められて参加したんですが、『無』に
慣れないんです」
「何回ぐらい参加されたんですか?」
「三回ぐらいです」
「それは無理でしょう(*^_^*)」
「何回行ったら無になれるんですか?」
「どうでしょう?」
「三人文殊さんは『無』になれるんですか?」
来た~(*^_^*)
「なれないです」
「・・・」
そもそもこういう質問は座禅会をしている旦那寺の和尚に
聞くべきですけどね(*^_^*)
ちなみに、こんな話があります。
「拈華微笑」という公案があります。
「インドの霊鷲山お釈迦さん説法中にが華を拈(ひね)った
大衆はその意味を理解することができなかったが、
迦葉尊者だけがその意味を理解して微笑したため、
お釈迦さんは迦葉尊者に禅の法門を伝えた。」
さて、この意味はなんだったか?
私が坊主になる前にある真言僧にこの意味を聞いたところ
「禅宗の坊さんに聞いてください」
と言われてので私の実家の旦那寺の禅宗(臨済宗)の
和尚さんに聞いてみたことがあります。
「それが以心伝心ということじゃ」
「なんでお釈迦さんは華をひねったんです?」
「・・・」
「では、なんで迦葉尊者は笑ったんです?」
「迦葉尊者じゃないからわからない」
「・・・」
こういう答え方はどうなんだろうと思いましたが、
今なら私が答えられますね(*^_^*)
「実は決まった答えは無い」
座禅しながら考えていたら答えが出ますね。
では適当に答えたら当たるかというと・・・
「100%当たらない」
ただ肝心なところですが
「答えが正しいかどうかは見てわかる」
※私は公案をやったことないから推定です。
さて、元に戻ります。
「何回行ったら無になれるんですか?」
「どうでしょう?」
「三人文殊さんは『無』になれるんですか?」
来た~(*^_^*)
「なれないです」
「・・・」
「なれてもなれなくてもいいんですよ。
『無』になることが目的ではありません」
本年もよろしくお願い致します。