三人寄れば文殊の知恵

2012/10/16(火)21:09

あなたはお祭りを知っているか?

習俗全般(61)

昨日は近隣のお宮の秋祭りだったようです。 夜になって隣の神社から聞こえる太鼓の音と、昼間何やらハッピを 来た人がゾロゾロ(と言っても数人)歩いているので、ようやく 「そうかお祭りなんだ」と判ったぐらいです(*^_^*) 神社には何本も祭りであることを示す幟が立ってますが 閑散とした境内には何故かむなしいです。 私の記憶にあるお祭りは賑やかでした。 いくつかの集落で、ちょうど同じ時期に春祭りがありました。 学校は休みになり、農林業はもちろん、自営業者も仕事を休み 町をあげてお祭りがおこなわれて、子供たちは お小遣いをもらって、屋台へ走りました。 境内の参道から、さらに外の道路に沿ってたくさんの屋台が 並んでいました。 最近は無くなりましたが、以前は「ひよこ」が人気でしたね。 今から考えると、オスのひよこを鶏卵業者が安く(ただ?)で 売っていたのでしょう。それが屋台で売られていました。 私の年代では、誰もがその可愛さに一度は買ったことでしょう。 しかし、長時間揺られて運ばれたひよこは弱く、 寒さに震えながら、看病むなしく2~3日の短い命を終えました。 たまに成長することがあっても、オスですから 長期間飼われることはありませんでした。 あとは、飴屋、割り箸の半分位の二本の棒の先に、 水あめをすくって渡してくれます。 時には緑や赤や黄色の着色料が付いていて、その二本の棒で 飴を回すと空気が入ってカラフルな色に変わります。 しかし、回し過ぎると飴を落としてガックリ(;一_一) お祭り自体はどうでもよくて、屋台で何を買おうか見て回るのが 楽しみでした。 ところで、私は7歳の頃、父親と死別しました。 そのためか、母親はかなりお金には苦労したようです。 お祭りのときに、200円だか300円だか、その小遣いが もらえませんでした。 ずいぶんしつこく母親に「お祭りの小遣いくれるって言ったのに」 と言い続けた記憶があります。 今から考えると、ずいぶん情けない話です(;一_一) 家々でも御馳走が作られました。 私の家では用意されなかったのですが 「スズメ」とか「イナゴ」とか・・・(*^_^*) 「スズメ」は骨ばっかりで食べにくいんですよね(*^_^*) 長じてから、あるお宅へお祭りに招かれたことがあります。 次々に御馳走が運ばれてくる。 全部食べないと失礼かと思ったのですが・・・ それにしては多すぎる(@_@;) 後からお客さんが来ましたから・・・私は食べ過ぎ(;一_一) それはさておき、お祭りがどれだけ楽しみだったかという話です。 しかし、最近はそんな祭りも少なくなりました。 もともと、農村であるいは漁村で、その年の豊作・豊漁を祈願する。 また、その年の収穫・漁獲に感謝する。それが祭りの起源です。 農業も漁業も人間の努力だけでなく、天候など人為的以外の要因に 左右されることが少なくありません。 それゆえ、祈願し感謝する祭りが重要だったのですが・・・ 近年はいかがでしょう? 多くの人はサラリーマンとして会社から給与をもらっています。 会社が発展し給料が増えるためには、神様に祈願することが 必要かどうか?また給料が増えたからと言って神様に 感謝することが必要かどうか? それ以前にお祭りだからと言って休みにはならないですね(*^_^*) そう考えると、残念なことですがお祭り自体がすたれていくのは、 やむを得ないのかもしれません。 しかし、人間の根本は食べること。 それに携わる人が減り、人間がそれに感謝できない社会は いびつとしか言えないような気がします。

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