昨日は近隣のお宮の秋祭りだったようです。
夜になって隣の神社から聞こえる太鼓の音と、昼間何やらハッピを
来た人がゾロゾロ(と言っても数人)歩いているので、ようやく
「そうかお祭りなんだ」と判ったぐらいです(*^_^*)
神社には何本も祭りであることを示す幟が立ってますが
閑散とした境内には何故かむなしいです。
私の記憶にあるお祭りは賑やかでした。
いくつかの集落で、ちょうど同じ時期に春祭りがありました。
学校は休みになり、農林業はもちろん、自営業者も仕事を休み
町をあげてお祭りがおこなわれて、子供たちは
お小遣いをもらって、屋台へ走りました。
境内の参道から、さらに外の道路に沿ってたくさんの屋台が
並んでいました。
最近は無くなりましたが、以前は「ひよこ」が人気でしたね。
今から考えると、オスのひよこを鶏卵業者が安く(ただ?)で
売っていたのでしょう。それが屋台で売られていました。
私の年代では、誰もがその可愛さに一度は買ったことでしょう。
しかし、長時間揺られて運ばれたひよこは弱く、
寒さに震えながら、看病むなしく2~3日の短い命を終えました。
たまに成長することがあっても、オスですから
長期間飼われることはありませんでした。
あとは、飴屋、割り箸の半分位の二本の棒の先に、
水あめをすくって渡してくれます。
時には緑や赤や黄色の着色料が付いていて、その二本の棒で
飴を回すと空気が入ってカラフルな色に変わります。
しかし、回し過ぎると飴を落としてガックリ(;一_一)
お祭り自体はどうでもよくて、屋台で何を買おうか見て回るのが
楽しみでした。
ところで、私は7歳の頃、父親と死別しました。
そのためか、母親はかなりお金には苦労したようです。
お祭りのときに、200円だか300円だか、その小遣いが
もらえませんでした。
ずいぶんしつこく母親に「お祭りの小遣いくれるって言ったのに」
と言い続けた記憶があります。
今から考えると、ずいぶん情けない話です(;一_一)
家々でも御馳走が作られました。
私の家では用意されなかったのですが
「スズメ」とか「イナゴ」とか・・・(*^_^*)
「スズメ」は骨ばっかりで食べにくいんですよね(*^_^*)
長じてから、あるお宅へお祭りに招かれたことがあります。
次々に御馳走が運ばれてくる。
全部食べないと失礼かと思ったのですが・・・
それにしては多すぎる(@_@;)
後からお客さんが来ましたから・・・私は食べ過ぎ(;一_一)
それはさておき、お祭りがどれだけ楽しみだったかという話です。
しかし、最近はそんな祭りも少なくなりました。
もともと、農村であるいは漁村で、その年の豊作・豊漁を祈願する。
また、その年の収穫・漁獲に感謝する。それが祭りの起源です。
農業も漁業も人間の努力だけでなく、天候など人為的以外の要因に
左右されることが少なくありません。
それゆえ、祈願し感謝する祭りが重要だったのですが・・・
近年はいかがでしょう?
多くの人はサラリーマンとして会社から給与をもらっています。
会社が発展し給料が増えるためには、神様に祈願することが
必要かどうか?また給料が増えたからと言って神様に
感謝することが必要かどうか?
それ以前にお祭りだからと言って休みにはならないですね(*^_^*)
そう考えると、残念なことですがお祭り自体がすたれていくのは、
やむを得ないのかもしれません。
しかし、人間の根本は食べること。
それに携わる人が減り、人間がそれに感謝できない社会は
いびつとしか言えないような気がします。
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