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カテゴリ:習俗全般
一昨日、出雲へ向かいました。
目指すは出雲大社。 冗談で「出雲へ行ってみたい」と恒例の地蔵講で切りだしたところ 参拝団のメンバーから「行きたい」という希望がありましたので 企画しました。 いつものバス会社に打診したところ・・・ 「えっ、出雲へ行くんですか?」 「ええ」 「今年は出雲大社は平成の大遷宮で大変です。 参拝に1時間半待ちとかあります」 「そうですか、ではやめます」 「いえ、平日なら30分待ちぐらいかも」 「いや~年配の人が多いですからね、来年にします」 「そんなに掛らないかもしれません」 なんとか勧めようとするバス会社(*^_^*) 「では一応待ち時間があるということで企画しますが 集まらなかったらキャンセルでいいですか?」 「結構です」 ということで出雲行きを計画。 逆説のおっさん井沢元彦の説によると 1、出雲はなぜ「いづも」と読むのか? 元は「雲が出る」という意味の「出雲」に「いづも」という 当て字をした。 「いつ」は「厳」であり「も」-「もの」-「もののけ」 つまりは「いづも」-「厳かな霊」という意味になる。 それになぜ「雲」という当て時をしたのか? 「雲」はすなわち「霊魂の象徴」であり 一方で「アマテラス(太陽)を隠すもの」が「雲」であり 「死の象徴」でもある。 その昔は高貴な人が亡くなることを「雲隠れ」といった。 2、大国主の国譲り 天照大御神ら高天原にいた神々は、 「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」 とし、何人かの神を出雲に使わした。 最初に使わそうとした 「あめのほしおみみ」は葦原中国は大変騒がしく、 手に負えないと断念。 次に使わした「あめのほひ」は大国主の家来となり、 三年たっても高天原に戻らなかった。 と取り込まれる その次に使わした「あめのわかひこ」に至っては、 大国主の娘と結婚し、自分が葦原中国の王になろうとして 八年たっても高天原に戻らなかった。 ついには「たけみかずち」を使わした。 「たけみかずち」は出雲国伊那佐に降り至って、 とつかのつるぎを抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらを かいて座り、 大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は 仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。 伊那佐というのは否(いな)然(さ)つまりはイエスかノーかを 問うたのである。 大国主神は、自分の前に息子の事代主神に訊ねるよう言った。 事代主神は「承知した」と答えると、船を踏み傾け、 逆手を打って(呪う)その中に隠れた。 建御名方神は力競べをして負け、州羽の海(諏訪湖)まで 逃げ出した。 「たけみかずち」は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。 大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、 私もこの国を天津神に差し上げる。 その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと 同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。」と国を譲った。 3、国譲りの謎 大國主神の子である事代主神(ことしろぬし)・ 建御名方神(たけみなかた)が天津神に降ると、大国主神も 自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。 武力抵抗せず降伏したことになっている。 でもそんなことがあるんだろうか? 実際は滅ぼした話を、国譲りの話として 美化したのではないか? 4、大国主は冥界の神 出雲大社の公式ページによると 「だいこくさま」、すなわち大国主大神さまは、 幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)とも称されます。 幽冥(かくりよ)とは、神の世界のことで、人々の亡くなった後の 霊魂が帰る世界でもあります。 この幽冥は我々の世界からは見ることのできない世界で ありますが、大国主大神は、幽冥主宰大神として、 この幽冥をおさめられ、人々の霊魂をもおさめられる神さまです。 5、雲太、和二、京三 出雲太郎(出雲大社)大和次郎(東大寺大仏殿)京都三郎(京都大極殿) 出雲大社はかつては十六丈(48m)あり、日本最大の建築物であった。 これは奇怪なことである。 為政者の宮殿よりも、国教の大聖堂よりも、天皇家に負けた 大国主の神殿のほうが大きい。常識ではありえない。 6、出雲大社の配地 本殿は南向き、大国主は東側に配置され「何故か」西を向いている。 一方、南向きに配置されているのは御客座五神である。 これはいったい何を意味するのか? つまり、参拝者がお参りしているのは大国主ではなく、 脇神なのである。 一方で出雲大社の神主である出雲国造は「なんと」アマテラスの子孫 つまり、天皇家の親類である。つまり、為政者の弟を代々 「滅ぼした王を祀るために」置いたのである。 7、出雲大社の特異性 しめ縄が普通の神社とは逆 柏手は4回打つー死に通じる。 これは死の世界を意味しているのではないか? 8、結論 大国主は国譲りなどではなく、大和朝廷に激しい恨みを持ちながら 国を奪われた。 その大国主を封じて、鎮魂のために造られた建物が出雲大社である。 長々と逆説のおっさんの説を書いたんですが、 これは是非、出雲に行って見ねばなるまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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これはまた、テーマが同じですね。私も出雲大社行ってみたいです。
大国主は大和の三輪山にも祭られていますね。しかも最古級に古い。当時の出雲の国は今の出雲国ではなくて大和を中心とした日本列島中央域だったと思うのですよ。 その証拠かどうか記紀神話の出雲神話が出雲風土記の神話とどうも合致しない。 出雲国造家が天津神系ということは政権側の都合で出雲に大社が造られたんですよ。戦争したんなら旧国人は何処に行ったと言うのでしょう。皆殺しにするなら神話すら抹殺するはずです。祟りを恐れるなら尚更。 ストーリー構成を見てもスサノオ・大国主の物語が根幹になっているように感じます。 (2013年10月18日 14時12分49秒)
奥円さん
私は記紀には詳しくないので、細部は判らないんですが、大国主の怨霊の話はあり得ると思います。 私は飛騨の出身なんですが、飛騨でも両面宿禰の伝説があります。両面宿禰という怪物が暴れまわっていて、大和朝廷に討伐されたことになっていますが、飛騨では両面宿禰は英雄として祀られています。 ある程度伝説には事実が含まれているのではないでしょうか? (2013年10月19日 21時15分39秒)
出雲大社の巨大な高層建築は、正面が横を向いている事などから、幽閉して隔離したとしか考えられませんね。
国譲りは高天原系の神々を中心に作られたとしか思えません。 そうすると日本国中に大国主命系統と、須佐之男系統を祭主とする神社がそれぞれある事がとても面白いです。 私の知識はあまり深くなく、多くは高橋克彦の小説「竜の柩」から得た事が中心です。 内容のスケールの大きさを信じるかどうかは別にして、この神社の系統の違い流れに関する情報はとてもおもしろく凄いと思います。 もしまだ読んでらっしゃらなかったら是非一度読んで見てください。 牡牛と竜との系統へと流れる、とても面白いですよ^^ (2013年10月19日 22時21分04秒)
ぢんこωさん
>出雲大社の巨大な高層建築は、正面が横を向いている事などから、幽閉して隔離したとしか考えられませんね。 >国譲りは高天原系の神々を中心に作られたとしか思えません。 >そうすると日本国中に大国主命系統と、須佐之男系統を祭主とする神社がそれぞれある事がとても面白いです。 >私の知識はあまり深くなく、多くは高橋克彦の小説「竜の柩」から得た事が中心です。 >内容のスケールの大きさを信じるかどうかは別にして、この神社の系統の違い流れに関する情報はとてもおもしろく凄いと思います。 >もしまだ読んでらっしゃらなかったら是非一度読んで見てください。 >牡牛と竜との系統へと流れる、とても面白いですよ^^ > ----- それは面白そうですね。 また見つけて読んでみます。 日本の神社は明治期に祭神が強制的に変えられてしまいました。明治の神仏分離令です。 一般には仏教に打撃を与えたと考えられていますが、もっと影響が大きかったのは神道です。 祭神がもともと自然発生的に祀られた地の神様から強制的に替えられ、すべてアマテラス系のニセモノの神様が祀られ、すべての神社がニセモノになってしまったのは本当に残念です。 (2013年10月20日 18時01分25秒)
(ーωー)面白かったです
(2013年10月28日 02時29分40秒)
>3、国譲りの謎
これはタケミナカタは国随一の腕力を誇る神です 彼が簡単に捻られてしまった。 もし井沢さんの意見に沿う形の解釈をするなら 国随一の勇将が討ち取られた(または諏訪に逃げた) ゆえに降伏したと考えるのが適当かと思います。 ちなみに諏訪からは出雲で産出する鉱石が出ています。 諏訪と出雲が貿易や交流があったことが伺え、 それゆえにタケミナカタが諏訪大社に祀られているのも 納得はできます。 >6 これには諸説ありますが、天皇家(大和朝廷)が国津神を こちらに向かせないようにしている(うざいから)。 もうひとつは当時はあの地域は朝鮮半島からの防備上重要な地域でした。 そこで大国主を半島に向けることで防人の神として鎮座させた。 まあこれが学会では一番有力な説です。 >7 これはその通りだと思います。冥界がキーワードであると思います。 >8 激しい恨みはわかりませんが、時の権力者がもうひとつの大きな勢力を 支配下に入れたわけですから、鎮めるための意味は大きいと思います。 出雲は風土記を読むといいと思います。地理状況も大社が今とはまったく違う場所に あったことがわかりますし、半島が稲佐の浜から見えることから 軍事的脅威を考えたことは想像できます(半島の後ろにある大陸脅威) (2013年10月30日 02時40分46秒)
慶次2000さん
>>3、国譲りの謎 > >これはタケミナカタは国随一の腕力を誇る神です >彼が簡単に捻られてしまった。 >もし井沢さんの意見に沿う形の解釈をするなら >国随一の勇将が討ち取られた(または諏訪に逃げた) >ゆえに降伏したと考えるのが適当かと思います。 なかなか鋭い洞察ですね(*^^)v >もうひとつは当時はあの地域は朝鮮半島からの防備上重要な地域でした。 >軍事的脅威を考えたことは想像できます(半島の後ろにある大陸脅威) ----- その説はどうなんでしょう? 現在ならいざ知らず、当時としては朝鮮半島から日本へは山陰へ直接上陸するより、対馬経由のほうが安全性が高いのではないですかね? その理由なら福岡や佐賀に作るんではないですかね? (2013年11月06日 20時12分12秒)
慶次2000さん
>>3、国譲りの謎 > >これはタケミナカタは国随一の腕力を誇る神です >彼が簡単に捻られてしまった。 >もし井沢さんの意見に沿う形の解釈をするなら >国随一の勇将が討ち取られた(または諏訪に逃げた) >ゆえに降伏したと考えるのが適当かと思います。 なかなか鋭い洞察ですね(*^^)v >もうひとつは当時はあの地域は朝鮮半島からの防備上重要な地域でした。 >軍事的脅威を考えたことは想像できます(半島の後ろにある大陸脅威) ----- その説はどうなんでしょう? 現在ならいざ知らず、当時としては朝鮮半島から日本へ侵攻するには山陰へ直接上陸するより、対馬経由のほうが安全性が高いのではないですかね? 当時の航海技術がどれほどか判りませんが、歴史的にも朝鮮半島からの軍が出雲に上陸したケースは無いでしょう。 実際、元寇では対馬経由で侵攻してますし、緊張が高まった時防御を固めているのは山陰ではなく北九州でしょう。 軍事的脅威に対抗するのが理由なら鎮守の神社は福岡や佐賀に作る方が自然ではないですか? (2013年11月06日 20時17分15秒) |