イスラム国問題は後藤さんもヨルダンのパイロットも
殺されて結局最悪の事態になってしまいました。
最初から交渉する気など無かったのかとも思えます。
さて、ヨルダンは女性死刑囚の死刑を執行しました。
ヨルダンは報復と言っていますが、日本だったらどうでしょう?
日本では、法務大臣が「個人的な思想」によって
死刑を執行したり、しなかったりします。
そのことを多くの日本人はあまり不思議に思っていませんが
法律で定められている刑罰を法務大臣が「個人的思想」によって
変えてしまうことは奇妙なことです。
実は、これは日本人の思考の特徴なんです。
日本では罪を犯した人間であっても、なんとかして助けて
あげようと、あらゆる救いの手を差し伸べ、それでも無理なら
水に流して許そうとします。
しかし、世界的にはこのようなことはありません。
例えば中国の儒教では徳を重視しますが、日本のように
「罪がある人間を赦し、死んだらそれを忘れる」のが徳ではなく
「罪がある人間は断罪し、死んでも許さない」で賞罰を明確にする
事が必要とされます。
イスラム・ユダヤ・キリストではもっと厳しいです。
神様が決めたことはどんな理由があっても守ります。
日本のように「神様が決めたことであっても皆が認めれば
守らなくてよい」とは考えません。
法律を守るか守らないかという問題が起きた時、一神教を
信じている国家ではどんな事があっても守ります。
一方で、日本人は皆で決めたことが正しい正しくないに
関わらず守らなければいけません。
日本では約束を守らない事は罪です。
イスラム教のように約束したときに「神がもし許すなら」と
付け加えたとしたら約束を破る言い訳にしか思えません。
さて、実はイスラム・ユダヤ・キリストの神様は同じだと
知っていましたか?
ただ、救済される人が違います。
イスラム教、キリスト教はそれぞれの教えを信じる人だけが
救われます。ユダヤ教は(これがユダヤ人が差別された理由ですが)
ユダヤ人だけが救われます。
同じ神様を信仰しているが故に、お互いの宗教にとっては、
他の宗教は神様の教えを捻じ曲げているというトンデモナイ教え。
日本人の感覚ではお互いに仲良くしたら良さそうと考えますが
自分の宗教を捻じ曲げているような教えの人間を許せるわけが無い。
まして、神様の教えは一神教にとっては絶対なのです。
その絶対の教えを捻じ曲げる人間を許せるか?
簡単な問題ではありません。
いかがでしょう?
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
いいね! 0
もっと見る