真言宗某派が熊本地震支援のための托鉢(募金)を行っていますので
行ってきました。
今まで4回行っているようなんですが、2回だけ参加した。
しかも2回とも大きく遅刻して実質は1回分も行っていない(-_-;)
実は、この会派のリーダーは実は托鉢の達人?
東日本大震災の時もこの派は托鉢を行っていたんですが、
最初は街を歩く人たちが次々と入れてくれた喜捨(募金)も
だんだん日が立ち49日を過ぎて毎月11日に行う頃には
すっかり減ってきました。
それに伴い、参加者も激減。
最初はずらっと並んで20人を超えていたのが、月日が経つにつれ
櫛の歯を抜くように居なくなって、ついには私が遅れて行った時
たった一人の人がサイの角の如く托鉢を行っていました。
その方こそ現在のリーダーです。
今回もお経は他の方に任せ、熊本地震支援の旗を片手で支え
声を枯らしながら、募金のお願いをされています。
一方、私はお経をあげるだけ、募金をされる方がいれば
頭を下げますが、他の方みたいにお経を切って
「ありがとうございます」とは言わない。
愛想が無い坊主だと思われているだろうな(*^_^*)
はっきり言わせてもらえば、募金なんかしてもらわんでも
良いんだよ。(言い過ぎ)
ただただ、熊本の地震で被害にあった方々のために
お経をあげて祈る。
それが坊主の仕事「利他」ですよ。
お金を集めようと必死になるのは見苦しい.
(言い過ぎ)
まあ、そこまで言うと、人通りの多いところで
でわざわざ声を上げてお経を唱えるのも
如何にもパフォーマンス掛かっていて
お寺で静かにやれよって言われそうですけどね(*^_^*)
まあ、そういいながら、硬貨をチャリンって入れる人と
紙幣を入れる人では、紙幣を入れる人には深く頭を
下げているような気がするし、財布を出している人がいると
すぐに期待するし、これは全く修行が足りん(-_-;)
それに電光掲示板で時間が判るところでしているので
「あと何分」とか気になったりするし、一応時間が
大体決められているので、終了時間になっても終わらないと
「はやく終われよ」とか思ってしまう(-_-;)
これこそ修行が足りんし、大体遅刻してきて
早く帰りたいのは図々しい(-_-;)
まあ、それは置いといて、托鉢って面白いんですよね。
前回、東日本大震災の時は、声の出し方が勉強できました。
今回は一時間ですが、前回は二時間半だか三時間だか
してました。
三時間ずっと声を上げ続けるのって難しいんですよね。
普通の人なら、完全に声が枯れてしまいます。
そこは坊主ですからね。
素人とは違うわ。と言いたいところですが、
私が見ている限りでは他の人も大して変わらない(*^_^*)
普通の法事や葬式なんかでは、せいぜい四十分ぐらいですから
そんなに長く声を出す練習はしてないです。
だんだん小さくなってますね。
屋外で声を出しているので、つい大声を出そうとしてしまうが
それでは持たないし、声も出ない。
ところが、徐々に声量を増やしていくと、終わるころには
普段以上に声が出ることを発見した!(^^)!
東日本大震災の托鉢でその奥義をマスターした
と言いたいところですが、その加減が判らない(-_-;)
やはり、途中で必要以上に声を出そうとしてしまい、
声量が頭打ちになることが多いですね(-_-;)
ずっと声を出し続けることって、坊主でもそういう機会は
なかなかありませんから、チャンスなんですけどね。
実のところ、自分のお寺でしたらいいんですが、
「修行が足りんので」三十分もお経を上げ続けると
なんかもういいかと思ってしまう(-_-;)
ちなみに浄土宗を開いた法然上人は毎日6万回
ないし7万回の念仏「南無阿弥陀仏」を唱えていた
と言いますが・・・難しいな(-_-;)
>電光掲示板で時間が判るところでしているので
>「あと何分」とか気になったりする
と書きましたが、これが重要なんですね。
>「あと何分」とか気になったりする
という時点では修行が足りないというより修行になってない。
「あと何分」のはずが「永遠に続いても何とかなるわ」
となった時点で、実は修行は終わり。
この体験が重要です。
まあ、一時間では足りんわ(*^_^*)
(その前に遅刻するな)
>財布を出している人がいるとすぐに期待する
駅前で並んでやっているとこれも仕方ないとも思うんですが
一人で托鉢廻っていると、こういう心構えでは
貰えないですね(*^_^*)
>喜捨なんかしてもらわんでも(相手のために祈る)
という感じにならないと。
それが相手に伝わるんでしょうね。
とりあえず何軒か断られて、そこからですよ。
すいません。
だらだらと托鉢について書きました。
水曜日にも行ってきたんですが、一番記憶に残ったのが
多分高校生だと思うんですが、財布からわざわざ
五千円札を取り出して入れてくれた。
高校生にとっての一万円って大きいと思うし
財布をにはそのお札しかなかった。
一万円入れてくれた人もいる。
こっちに合掌しながら、募金箱ごとにお金を入れてくれた人もある。
右から歩いてきて、お金を入れてまた右へ戻っていく人もいる。
わざわざ、募金を入れに来てくれたんですね。
今回の托鉢の思いは結構伝わっているみたいですよ。
人通りが多いところで、宗派の名前を書いた旗を立てて
托鉢と言いながら、募金をするというのは、
「本来の托鉢から見たら邪道」とかいう人もいますけど、
まあ、そういう僧侶の形もあっては良いんではないですか。
私も上に書いたように意見はありますが、
できるだけ協力させていただきます。
皆さんもよろしくお願いいたします。
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