先日、ある僧侶の方が長年使われている数珠を見せていただきました。
「これ何年使っているんですか」
「20年以上使ってますね」
「20年ですか!20年前は私は坊主でないですよ」
「嘘でしょう、それはないわ」
このブログでも14年経ってますし、
ずいぶん長く僧侶をしているように偉そうな顔をしていますが
私の僧侶歴は意外に短い。(*^_^*)
しかし、一方では、僧侶歴が短い割にはキャリアを積んでいるのも事実。
真言僧で高野山山籠、四国遍路、虚空蔵菩薩求聞持法を経験している
人は多くは無い。
真言宗はもちろん、仏教全般・他の宗教に関してもそれなりに勉強している。
お寺の本堂改修と墓地整備を経験し、様々な仏教団体の企画にも
積極的に参加し、写経・講・巡拝などを教えを広めるイベントも行ってきた。
僧侶の葬儀は大変だが、何度か取り仕切った。
それのみならず税金とか資産運用などに至る寺院運営についても
コンサルができる程度には勉強・経験した(と思う)
ワードもエクセルもメールもインターネットも使えるように
なったのはこのお寺に入ってから。
市の仏教会で89ケ寺中88番目という下手な字も書道有段者になった。
たぶん、総合力なら他の人に負けない自信はある。
でも、なんか足りない(ーー;)
最近といっても、ここ二年ぐらいの間ですが、昔いた高野山の
お寺の夢を何回か見ました。
何故か、そのお寺に復帰する夢。
当然のことながら、当時の役僧や寄宿していた学生は出てきませんが
住職や副住職その奥さんは出てきます。
そういう夢を見るということは不満があるのでしょう(*^_^*)
実際のところ、そのお寺に残っていたらと考えることはあります。
仮に20年時間を巻き戻したら、そのお寺に残るという選択肢もある。
今、居住しているお寺に入るとき、ある僧侶から
こんなアドバイスをいただきました。
「○○寺をやめて入るんだから・・・」
その方からすると、現在居住しているお寺より
高野山の○○寺に残ったほうがメリットがあると思われたのでしょう。
ちなみに当時の○○寺での給料は15万~20万円程度。
恐ろしく安いと思われそうですが、衣はともかく、食住はただ。
食べるものも、光熱費と合わせた住居費も全く要らない。
しかも、給料は額面では無く手取り。
さらに、源泉徴収分や保険料・年金までお寺が
払ってくれていたのだ。
一般の給与者の感覚からすると30万~35万円ぐらいの
感じだろう。
私はそれ以前に会社勤めをしていたので、かなり優遇されていた
ことを理解していましたが、若い役僧は給料の安さに
不満を漏らしていました。
また、副収入もあるので、給料をそのまま貯金に回すことが可能。
なお、私がいたお寺はかなり待遇が良いほうで、給料が無いお寺も
ありましたよ(*^_^*)
仮に○○寺に残っていたとしたら、給料を全部貯金して
その貯金を担保にお金を借り不動産投資に回すことができれば
現在より資産が多くなっていると推察できる。
しかし、それ以外は現在より敗けるだろう。
やはり、自営業者みたいに人生の選択肢を自分で決められるのは強い。
なぜこんなことを書いたかと言うと、以前ある人にこんな話を
聞いたからです。
「○○年巻き戻したら、現在のキャリアを持っていたら
かなり成功すると思う」
いやいや、巻き戻してもあまり人生は変わらない。
確かに人生を巻き戻したら、ある時点での自分に不利な分岐は
変えられるかもしれない。
しかし、その分岐をクリアしたとしても、新しい未知の分岐が
現れるときには、やはり最良の選択はできないような気がする。
仮に、次の選択肢をクリアしたとしても、永遠に最善を
選ぶ続けることは不可能だ。
やはり、本質的な性格は変わらないだろうから、大きくなってから
不利な分岐を選んだら、結局は大きな失敗につながるのでは?
私は人生のキャリアはそれなりに積んだと思う。
しかし、そのキャリアで変えられる人生の満足度の幅は小さいよう
に感じてならない。
得る物がある一方で、その代わりに失うものがある。
失うものがある一方で、得る物がある。
そういうものではないか?
フリーランチは絶対にない。
なお、最近とみに感じることがあります。
「かつて、あることを始めようと思ったとき、もう遅いと
思って諦めたことが何度もあった、
しかし、その時点で始めるのは遅くはなかった」
つまり、歳をとっても何か始めようとするには遅くはない。
皆さんはいかがですか?
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