ずいぶん前にこんな日記を書きました。
伝説のバイク漫画「キリン」の実写版を見るー2
この「キリン」というバイク漫画は1990年前後の
バブルの絶頂期に、38歳のおっさんがカタナという
時代遅れのバイクで、金余りの不動産業者のポルシェと
公道でレースする話です。
この中で、こう書いています。
原作に忠実に再現しようと苦労したと思う。
それゆえ、逆に原作から離れてしまった。
実は、これは監督の責任ではない。
多分、誰が監督しても「キリン」は
忠実に描けないと思う。
その理由は時代背景です。
原作は1990年前後にバイクに乗っていた人なら
1 大型バイク免許保有者が少なかった
2 バブルの象徴としてのポルシェがあり、
唯一大型バイクに匹敵するスピードがあった
3 38歳という大人が、スピードを追及する時代ではなかった
という時代背景は判るが、多くの人はそれを実感できない。
つまり、描いた世界の裏が今の人には理解できない故に
原作の面白さを伝えることはできないだろう。
今回見た、令和版の「白い巨塔」にも同じ感想を持ちました。
白い巨塔で描かれた時代は昭和40年前後。
敗戦によって焼け野原になった日本が奇跡の復興を遂げ
アジアで初めての東京オリンピックを成し遂げ、
高速道路を完成させ新幹線を走らせ、大阪で万博を
成功させる時代。
今日を頑張れば、明日はきっとよくなる。
その言葉通り、貧しい生活から豊かな生活へと変わりつつある
時代です。
車・テレビ・洗濯機などが憧れだった時代。
物を作れば飛ぶように売れたといいます。
当時は大学進学率はそれほど高くない
昭和41年の大学進学率は16パーセント。
現在は50パーセントを大きく超えている。
私の子供の頃、「○○(名字)大学」と呼ばれる町会議員がいた。
大学というのは通称で、その町会議員は大卒であることを
誇って自称していたのだ。
現在なら、どんな田舎でも、大卒を誇って「○○(名字)大学」
などと自称する議員はいないだろう。
医者の権威も現在とは比べものにはならない。
私の近所の開業医は診察の時「風邪ひいたみたいです」
などと言おうものなら
「病名が判っているなら薬を飲んで自分で治せ」
と診察をやめてしまう。
それでも医院は満員だった。
昭和41年の医学部の定員は3560人
現在は8923人、当時は遥かに少ないのだ。
さて、白い巨塔の概要は
主役である財前教授は、開業医の義父を持ち、コネと金をバックに
大学教授の椅子を手中にするためにあらゆる手段を講じていく。
それに対抗して、貧しいながらも患者に寄り添う
真摯な研究者である里見助教授が、財前教授の執刀で亡くなった
庶民の味方に立って医療裁判を応援するも裁判は負け
大学を追われてしまう。
実は最初の原作はここでお終い。
さすがに悪が勝つような話では非難の嵐となり
原作者の山崎豊子は、続編で裁判は勝って財前が亡くなるという
勧善懲悪の物語を追加せざるを得なかったという事情がある。
この話は、つまり、大学医学部といえば庶民から縁遠い、
エリート集団の中の頂点に立つ大学教授の治療に対して
一庶民がこれまた一般的ではなかった裁判を通じて
閉鎖的な大学医学部の協力を得て戦いを挑むという
一般市民からはかけ離れた世界の話なのだ。
当時は日本全体が今より貧しかった。
戦後焼け野原から復興したという意識もあった。
だから、一文無しでも復活できる。
それに医師は信頼される立場でもあった。
だから医師、それも大学教授の不正など許されない。
しかし、一方では社会のつながりは極めて強固だ。
大学医学部教授に対抗するためには、裁判所で
公平に裁いてもらうという一般的でない手法を
取るしかない。
遺族は裁判を起こしたために、周りから信頼を失うが
一方で裁判に協力してくれる医師を見つけることは難しい。
という前提がある。
しかし、大学医学部の闇を暴くと同時に、裁判で負けて
大学を追われてもまた復活できる。だから社会正義を貫く
という人間の姿は実は戦時中に政府に対抗できなかった
庶民の姿ではないかと思う。
山崎豊子はそれを描きたかったのではないか。
しかし、今はどうだろう?
周りも皆それなりの生活を営んでいる。
また、一旦貧乏になったら復活は難しい。
そこで大学を追われる覚悟で、正義を貫く人はいるんだろうか?
医療裁判も必ずしも患者側に正義があるとは言えない。
医師自体の権威と同時に、信頼性も失われている。
さらに、裁判で正しい判決が出るという信頼もない。
また、社会のつながりも薄れてきている。
現在のお医者さんは昔と比べると感じが良い。
昔のような偉そうな医者は少なくなってきている。
むしろ、医者に対するクレーマーが問題になっているし
病院の対応もよくなっているが、それでも、
医療裁判が相次いでいる。
大学医学部を取り巻く環境も変わった。
奴隷のようなインターン制度は無くなり、医学部を卒業すれば
研修する病院を自由に選べるし(建前上かもしれない)それなりの
報酬も支払われる。
学生の自由度が増すのでは大学教授の権力もガタ落ちだろう。
現在では、大学教授相手に医療事故の裁判を起こすことは普通だろう。
それで、裁判を起こした人が社会の信頼を失うことも少ない。
社会正義に駆られて、その医療裁判に協力する医師もいないだろう。
また、医師の職を失ったとしても、昔のようにつながりの輪から
外されて困るようなこともない。医師はどこでも不足気味です。
つまり、社会が成熟して山崎豊子が設定した条件が完全に
失われてしまっている。
この状況下で、50年前の小説を映像化できるのか?
続きます。
【中古】afb_【単品】_白い巨塔〈第3巻〉_(新潮文庫)