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テーマ:仏教について思うこと(1015)
カテゴリ:行の話
禅の視点というサイトを見つけました。
仏教知識を仕入れるにはいいサイトです。 そこに臨済宗と曹洞宗の修行の違いが書いてありましたが なんか違うと思いました。 どちらも禅宗なのですが、曹洞宗は只管打座といって、 ただ、坐禅するだけに対し、臨済宗は公案という問題が 与えられます。 この辺りは知っていたんですが、 曹洞宗は黙照禅、臨済宗は看話禅。と書いてあります。 黙照禅は、何も考えずにただ坐禅をする。 看話禅は、公案について考え悟りを目指す。 まあ、そんな感じの認識でいいでしょうね(完全に上から目線) しかし、驚いたのは禅宗の公案の数が10問~15問(◎_◎;) そんなに解くとは知らなんだ(ーー;) 判りやすい例えとして 臨済宗とは、公案とは、限りなく円に近い多角形を目指すようなもの と書かかれていますが、全く判らんわ(ーー;) それに対し曹洞宗は最初から円を目指すという。 臨済宗の坐禅は、「円を目指す坐禅」 曹洞宗の坐禅は、「円を真似た坐禅」 臨済宗の修行は多角形の悟りを目指すものであり、 真ん丸の悟りではない。人工的な悟りともいえる。 しかし確実に一段一段悟りに近づくという見方もできる。 曹洞宗の修行は最初から円を真似るものであり、角はない。 なんか自信満々で書かれているんですが、これが正しいとすると 臨済宗はそれなりに修行した僧侶がいるが 悟りの質は70~80%程度 曹洞宗は悟った人の質は100%だが、 修行の成果が無い人がほとんど。 私の実家は臨済宗で良かったわ(*^_^*) 臨済宗なら大当たりはないが。はずれが無い。 曹洞宗に頼んだら、くじ引きで一等当たるぐらいの確率でしか まともな坊さんに当たらんということだ(*^_^*) この話は、臨済宗の高僧の話をまとめたということですから、 臨済宗にも曹洞宗にも聞きたいところですね(*^_^*) さて、私が臨済宗・曹洞宗に交えて真言宗・日蓮宗・浄土宗まで まとめてお話しましょう。 仏教の基本は、心の動きを止める所にあると思います。 心をどう止めるか? 曹洞宗は坐禅して自然に止まるのを待つ。 これはなかなか難しい。 そこで、何かの対象物を考えた。 上座部の仏教では、自分の呼吸に意識を向ける数息観 丸い台を見続ける地遍などがあります。 臨済宗は解けない問題「公案」を使った。 できないことをやろうとすることによって、 心は止まりやすくなる。 坐禅だけでなく何かきっかけがあったほうがやりやすいのは 判るでしょう。 実際、禅宗の夢想礎石・一休・沢庵・白隠・安国寺恵瓊 金地院崇伝・雪舟・快川など有名僧侶は臨済宗ですから 効果があったと言えるのでは? 日蓮上人は「独自の本尊」の前で 「南無妙法蓮華経」と題目を唱え続ける また、法然上人「南無阿弥陀仏」と 念仏を唱え続ける ことによって、集中して 心を止めようとしたと思われます。 さらに、進化しているのが真言宗 修法といって、様々なものをイメージしながら、印を結び 真言を唱え、次第に従って仏様を拝んでいく。 修法の途中に心の動きを止めるポイントがある。 どこで心が止まりそうか、あらかじめ判っていたほうが やりやすいのは言うまでもないでしょう。 どう?真言宗は凄いだろう! って言いたいところですけどね・・・ 問題はそう簡単ではない。 そもそも、そのポイントを見つけるのが難しい。 まず、心を止める前に、その前段階の感覚を つかむ必要がありますが、止まる前段階の感覚を つかむのが、結構むつかしい。 その前段階の感覚がつかめても、前段階に簡単に はいれるようにするのは難しい。 その前段階に入っても心が止まるまではなかなかです。 いかがでしょう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>しかし、驚いたのは禅宗の公案の数が10問~15問(◎_◎;)
>そんなに解くとは知らなんだ(ーー;) 公案の数、そんだけですか? 無門関、まだ読んでません… 心が止まることを目指して、それが悟りの境地ではなくて 止と観の瞑想が、 大乗仏教の目指した究極の境地ですが、 密教ではそこからさらに超えて 金剛喩三昧と無上覚を目指します。。 金剛界如来がおっしゃったことを繰り返し観念(観想文)したはずですが なかなかそれが出来ているのかわかりませんよね。 でも、無や無我の境地に至らなくても 有相に執しても、 密教ではそこに至る方法を説いているのがすごいです。 (2019年08月05日 17時30分37秒)
「汝が修するところはこれ一道清浄なり」
一道清浄とはアサハナカ念、アースパーナカサマーディつまり数息観だそうです。 止(シャマタ)と、観(ヴィッパサーナ)は、 天台止観で止に注目が行きがちですね。 小乗仏教では、最近やたらヴィッパサーナ瞑想を一般人に布教しているようですが シャマタの基本ができていなければヴィッパサーナはできないそうです。 お題目と、お念仏は マインドフルネス瞑想でしょうかね。 (2019年08月05日 17時49分44秒)
要するに脳の側坐核を刺激しドーパミンを出すことができれば
Flow状態や作業興奮状態に入る それを瞑想や一心称名や一心題目でも可能だし お掃除や金属磨きでもいいし 読み書き計算に没頭する スポーツに没頭するでもいいわけであります スローモーションで頭の中を観察し もやもやを文字化するマッピングやKJ法も 有効な手立てであるとも思います 在家には密教などの修行は無理なので 上のような方法もありかな・・・とは思っています (2019年08月05日 21時38分00秒)
おはようございます。
ためになる話有難うございます。 今日は晴れです。 暑くなりますね。 熱中症に注意です。水を飲みましょう。 >NYダウ株価、今年最大の下げ幅 ニューヨーク株式市場は、米中の貿易摩擦が激しくなることへの懸念から売り注文が相次ぎ、ダウ平均株価は今年最大の下げ幅を記録しました。ニューヨークから報告です。 わずか3週間前にダウ平均株価が史上最高値を記録したばかりのニューヨークでしたが、一転、投資家は不安にかられています。 バカ・トランプのせいだ。 責任とって辞めろ。 投票お願いします。 ブログにて壁紙 配布中です。 応援 (2019年08月06日 07時50分29秒)
同行三人さんへ
>>しかし、驚いたのは禅宗の公案の数が10問~15問(◎_◎;) >>そんなに解くとは知らなんだ(ーー;) >公案の数、そんだけですか? >無門関、まだ読んでません… 公案の数はいくらでもあるでしょう。 作ろうと思えばいくらでも作れるでしょう。 ただ、一人の禅僧がその数の公案を解くということに驚きです。 >心が止まることを目指して、それが悟りの境地ではなくて >止と観の瞑想が、 >大乗仏教の目指した究極の境地ですが、 >密教ではそこからさらに超えて >金剛喩三昧と無上覚を目指します。。 >天台止観で止に注目が行きがちですね。 >小乗仏教では、最近やたらヴィッパサーナ瞑想を一般人に布教しているようですが >シャマタの基本ができていなければヴィッパサーナはできないそうです。 理屈はどうでもいいのですが、これは私の感想です。 止める方が大変だと思いますよ。 もう少し進んだら観の方が大変だと思うんですかね? >お題目と、お念仏は >マインドフルネス瞑想でしょうかね。 それは同感です。御宝号(南無大師遍照金剛)でもいけますよ(*^_^*) (2019年08月06日 17時25分38秒)
エンスト新さんへ
曹洞宗の人がお金にシビアなんですか! 運営が難しいのでしょうか? ただ、近隣寺院にもお金の話ばかりの人がいますが、お金に困っているようでも無いのに異常にお金にシビアですね。 (2019年08月06日 17時28分24秒)
猫又童子さんへ
禅の状態では、起きているのに寝ている時の脳波がでていると言います。 一心に何かをしている状態とは違うような気がします。 密教の修行は在家には無理ということはないと思いますよ。 最近気づいたんですが、私など大したことはしていないですよ。 在家の方でも十分できると思います。 私自身がたいしたことないという突っ込みはあるかもしれませんが(ーー;) (2019年08月06日 17時32分45秒)
Hiroki Naraさんへ
トランプの影響というより、利下げの影響が大きいのでは? 単純に利下げすると、確かに投資などが拡大しますが、それまでには時間がかかります。一方で、資産を持っている人は金利が高い状態の方が、収入が増えるのに、利下げの影響で収入が減る。 円が異常に高くなっていますので、日本からの輸入品には関税がかかる影響もあるかも。 (2019年08月06日 17時39分55秒)
同行三人さんへ
失礼いたしました。 人の行の感想にケチをつけておいて、自分の感想に意見されるとキレるというのは、坊主にあるまじき行為ですね。 反省します(ーー;) (2019年08月06日 19時18分08秒)
瞑想の話からは外れるかも知れませんが…
真言宗の在家勤行次第に従って、般若心経の後の 十三仏真言を順番に唱えてると、時々、不思議な感覚になります。 過去仏の釈迦如来から来て、現在物の地蔵尊、薬師如来、 そして私が現世での縁が尽きた時に出会うであろう阿弥陀仏 に至り、さらにその先のアシュク、大日・・・ と順番にご真言を唱えていると、私自身の生前から死後までの ダイナミックな時間の流れを感じる時があります。 飛躍するかもしれませんが、私は生で始まり死で終わる有限の身体を 持ちながら、無限に近いダイナミックな宇宙の時間を追体験 (及び先取り体験)してるような感覚になります。 たまに密教を「悟りを得ずとも、それを追体験できる」と 言う人が居ますが、十三仏真言も、そのように配慮されて 配置されているのでしょうかね。 個人的には、釈迦如来の前に不動明王、大日如来の後に 虚空蔵菩薩が配置されてる点に、そこはかとない妙味を 感じます。 まあ、弥勒が現在仏なのは具合が悪いのですが、 それは弥勒「菩薩」であって、やはり我々と共に苦労しながら 修行する等身大の菩薩と言うことでしょうか(汗) これも一種の瞑想みたいな効果になってるんでしょうか? まあ、私の思い込みにしても、ご真言が有り難い事に 変わりはないから良いんですけどね(^^) (2019年08月06日 23時09分42秒)
悟後の紅茶さんへ
真言宗の十三仏については、深く考えたことはありませんでした。 人に勧めているのに無責任です(ーー;) もう少し考えてからお返事いたします。 … >私自身の生前から死後までの >ダイナミックな時間の流れを感じる時があります。 >飛躍するかもしれませんが、私は生で始まり死で終わる有限の身体を >持ちながら、無限に近いダイナミックな宇宙の時間を追体験 (及び先取り体験)してるような感覚になります。 私はそういう感覚になったことが無いのでよくわからないですが、まさに瞑想そのものですね。 >個人的には、釈迦如来の前に不動明王、大日如来の後に >虚空蔵菩薩が配置されてる点に、そこはかとない妙味を感じます。 釈迦・文殊・普賢はセットですね。 お地蔵さんが現在ですから、弥勒菩薩は未来仏かもしれません。 阿弥陀・勢至・観音もセットです。本来の十王信仰はここまでで終わりで、 アシュク・大日・虚空蔵菩薩は付け足しのような気がしますね。 少し考えてもよくわからないので、もう少し調べてからお返事します。 (2019年08月07日 20時39分53秒)
三人文殊さんへ
>理屈はどうでもいいのですが、これは私の感想です。 >止める方が大変だと思いますよ。 >もう少し進んだら観の方が大変だと思うんですかね? ツォンカパの菩提道次第論では、最後のところで大乗仏教の最終的な成果として止観の瞑想について論じられています。 雑念を止滅した後の三種秘観はどれ程のものかと思いますね。 シャマタを成就すれば、神通力を得るそうです。 神変の加持で、何かが起きるのでしょうか? (2019年08月08日 07時47分07秒)
>曹洞宗は最初から円を目指すという。
おそらく円を目指すのではなく、円から発しているのでしょう。坐禅こそ仏の姿、身口意の中の身に特化したものなのでしょう。だから座禅中は皆平等に仏。100%なのだと思います。 ならば曹洞宗の人は坐禅中は何を考えているのかが気になります。 あと坐禅を終えたら只の凡人である可能性も捨てきれない。だからこその只管なのかもしれませんが。 坐禅で己が仏であるということに気が付く。ということなのでしょうか。坐禅を解いたあと道元さんなら「威儀即仏法」。あと正法眼蔵を著してますね。(掃除など)規則正しい生活を行う。そこに仏法を見出す。仏法の証明に努める。そして説法する。・・・ということなのかなあと。 (2019年08月09日 15時52分36秒)
奥円さんへ
>>曹洞宗は最初から円を目指すという。 >おそらく円を目指すのではなく、円から発しているのでしょう。坐禅こそ仏の姿、身口意の中の身に特化したものなのでしょう。 なるほど、確かにそうですね。 >ならば曹洞宗の人は坐禅中は何を考えているのかが気になります。 あと坐禅を終えたら只の凡人である可能性も捨てきれない。 いろいろ考えているようでは、まだまだなのでしょう。 自然に心が落ち着くまで待つ。 気の長い話ですが、それが道元禅師の悟りでは? >(掃除など)規則正しい生活を行う。そこに仏法を見出す。仏法の証明に努める。そして説法する。・・・ということなのかなあと。 この辺になると、臨済宗っぽいですね。 座禅にこだわらず、ありとあらゆる行為を禅としてとらえるのは、臨済では? 曹洞宗なら、あくまで座禅だけにこだわってほしいです(*^_^*) (2019年08月09日 19時31分06秒)
三人文殊さんへ
私の個人的な空想かも知れないのに、ご丁寧にお返事いただき感謝しております。 こんな事、相談できる相手も機会もなかなか無いものなので、 有り難い限りです。 個人的に、十三仏は一揃いで一まとめ、曼荼羅みたいなものと感じてます。 あるいは、これも公案みたいなものかも知れませんね。 ある時、忽然と素晴らしい意味に気付くかも知れません(笑) 気長に向き合っていきたいと思います。 (2019年08月11日 05時22分20秒)
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