奥円さんから月輪観について質問をいただきました。
質問いただいた件については解らないことも多いので
私がわかる範囲でお答えしたいと思います。
※一部間違いがありましたので訂正しています
1、月輪は球体でしょうか?二次元平面ですか?
私は二次元平面と考えております。
もともとは、仏教の止観法の一つから来ていて、源流は赤土で
円盤を作りそれを見つめる
地遍という瞑想法にあるように思います。
禅宗の〇を書いた軸、なども月輪と同じように私は考えています。
月輪を見つめている時に立体感を感じることがありますが、
基本は二次元平面と思います。
ただし、阿字観の場合は月輪の円盤の上に立体のハスと阿字を
載せる方法と、球体の中にハスを置いて阿字を載せる方法が
あると思います。
2、月輪を本尊から戴いて胸の中で大きくしたり小さくしたりすると
思いますが、眼は本尊の月輪を「ただ見ているだけ」でしょうか?
本にはそう書いてありますが、私は月輪を感じるという部分まで
行ってません。胸に入れて大きくしたり小さくしたりするのは
初禅に入ってから月輪が鮮やかに現れてからの話で、
私は月輪本尊を見ているだけです。
3、月輪を心の中で思い浮かべるとき、(視点は)月輪の外から
眺めますか?内側から眺めますか?
眺めるという表現がちょっとよくわからないのでので、
うまく答えられないかもしれませんが、体の内部の月輪を直接
見ようとしているわけではなく、感じているので、内側から
といえますが、逆に月輪を内部から外へと見るわけではないので、
外側からとお答えするしかありません。
4、月輪を大きくしたり小さくしたりすることに
何の意味があるのでしょうか?
これは実際にしているわけではないので、推測になりますが
集中力を高める?維持する?ためと思います。
ちなみに月輪観自体も、それに意味があるわけでなく
ただの手段だと思います。仏教的に言えば方便では?
5、阿字は左右対称でもないので、どこに焦点を合わせれば
よいのか迷ってしまいます。ずっと目がキョロキョロして
集中できません。やっぱりただなんとなく「ただ見てるだけ」
見るでもなく、見ないでもなく・・・な感じなのでしょうか?
瞑想法は個人の相性があると思います。
私個人は何度か阿字観をしましたが、合わないのでやめました。
実際の阿字観に使われる阿字はよく見ると意外に絵が雑です。
それは仏像でも仏画でも同じです。イメージだけつかんで、
月輪を見ながら阿字をその中に思い浮かべる
という方法もあると思います。
6、心の中の阿字を裏側(内側・背中側)から観たら阿字
は反転するのでしょうか?三次元的実体として阿字を観想するのか、
何処から観ても阿字は正面から見た形のままなのか?
自分自身を正面から(正面から)観ても、胸の中の阿字は
反転しないと思いますので。
この問題は、実は私の中では解決していない問題です。
阿字は平面か立体かというのは不明で、反転するかどうか
などは解決不明で、すいません解りません。
7、胸中の月輪を広げてゆくときに頭が呑み込まれてゆく感覚が
まるで水の中に潜る時の感じです。
月輪中に入って行くとき何らかの境界を感じるのは正しいのでしょうか?
私自身は月輪を外に広げる段階になっていませんが、月輪観中に
殻の中に入っている感じがあります。全体的に感覚のボリュームを
絞っているというような感じです。
それが正しいかどうかは解りませんが、少なくとも雑念は
ほとんどないですし、雑念が止まっているような感覚もあります。
8、球体の月輪を広げてゆくとき、それは全方位へでしょうか?
自分は球体の真ん中に坐っている感じですか?頭上だけでなく
地中へも月輪は広がっているのでしょうか?それとも
(プラネタリウムの様な)ドーム状、半球体ですか?
すいません。やったことないので全くわかりません。
9、例えば本尊の月輪中に自分が坐っていると観じても
良いのでしょうか?本尊中の自分を観じるべきか、
肉体としての自分を主体として観じるべきなのか、
どちらでしょうか?
普通の密教の修法では、本尊と自分が一体となるような
観想もありますが、月輪では私はやったことないです。
ただ、阿字と一体化するという観想の方法はあると思います。
なお、本尊中の自分を観じるのと肉体としての自分を
主体として観じるのは同じと思います。
ほとんどお答えできなくて、申し訳ないですが多少でも参考に
していただけたら幸いです。
今回、奥円さんに月輪の中に阿字を置いてという方法を
提案いたしましたので自分でもやってみました。
月輪観とは全く違った感じがします。
良い経験をさせていただきました。
なお、これくらい踏み込んだ質問はネットでは言いたいことを
お伝えするのがかなり難しいのでリアルでよい師を見つけられるよう
願っています。