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テーマ:統一運動(71)
カテゴリ:第1章
わずか58日間で日刊紙創刊
二月二十八日になった。明日三月一日の新聞をきょう制作しなければならない。われわれは一九八二年三月一日付の初版をワシントンで組版することができなかった。そこで、すべての記事をニューヨークに送信して、ニューズ・ワールド社の編集室でワシントン・タイムズ第一号を組版した。そしてその新聞原版のフィルムを持って、小型貸し切り飛行機で夜中にワシントンに運ぶのである。 ところが、その日に限って思いがけない大雪が降った。プロペラ機は激しく揺れ動き、吹雪で窓が塞がれて前が見えない。一時、飛行機は絶望的に揺れた。額に冷や汗が流れ、「もう死ぬのか」とまで思い詰めた。私は飛行機の中で祈祷した。 「神様。この飛行機が必ず目的地ワシントンに着くようにしてください。私の生命が惜しいのではありません。私がいま脇に抱いている『ワシントン・タイムズ』原版は、世界の歴史を変えようとする神様の摂理ではありませんか。この原版は目的地に着いて必ず印刷されなければなりません。この聖なる新しい新聞の壮途を見つめ、この飛行機を安着させてください。アーメン」 天がこの祈祷を聞いてくださったので、いま私はここでこの文章を綴っている。 その日の晩に、ワシントン・タイムズの試作版(proto-type)が発刊された。そのプロトタイプ紙の一面は、レーガン大統領の写真と、前日の晩に降った大雪に包まれたワシントン・モニュメントの写真が印象的であった。 かくしてワシントン・タイムズは、天が降らせた白い雪で清く聖別されたワシントンに産声をあげた。一九八二年三月一日のことである。文先生が創刊を決意されてから五十八日目の快挙であった。 ワシントン・タイムズの最初の市内普及版(premier edition)が、市内の店という店にその派手な天然色の顔を出したのは、その年の五月十七日であった。ワシントン・タイムズの実質的な創刊記念日は五月十七日になった。 「日刊紙」とは実際、恐ろしい言葉である。雨が降ろうが雪が降ろうが、暴風が吹こうが大雪が降ろうが、日刊紙と言う限りは必ずその顔を出しておかなければならない。日刊紙と言っておいて欠かせば、その新聞は社会の公信力(公的な信用を獲得する力)を失ってしまう。新聞成功の可否は、社会の公信力を持てるかどうかにかかっている。「社会の信用は自ら獲得するものであり、誰かが持ってきてくれるものではない」-私が一人の人間として、またワシントン・タイムズ社の初代社長として、十年の間に学んだことがあるとすれば、まさにこの鉄則である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月21日 11時15分30秒
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