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2010.10.17
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カテゴリ:ART

      ワイエス0001.JPG

 

埼玉県立近代美術館で開催されている

アンドリュー・ワイエス展に行ってきました。

以前の日記にもありますが、私の好きな画家の

ワイエスの絵がみられるなんて幸せ…とフラメンコの発表会が

終わったら見に行こうと心に決めていたのです。

しかも今回は学芸員さんのギャラリートークがある日に

行こうって・・・

初めてワイエスを知り、その絵を見たのが同じ美術館での

「ヘルガ展」でした。それは1990年の事でした。

今回の「オルソン・ハウスの物語」は「ヘルガ」と違い

人物がはあまり多くなく、テンペラ画は一枚しかなく

水彩画と鉛筆画ばかりです。

有名な「クリスティーナの世界」の習作もありましたよ。

なんと丸沼芸術の森所蔵の全てが展示されているのです。

その数283点・・・これは世界でも類を見ないこと・・・

というのが学芸員さんのお話しでした。


 ↓ これは子供向けパンフレットです

ワイエス0002.JPG

 

この日(10月16日)は丸沼芸術の森の生みの親である
株式会社丸沼倉庫代表取締役社長さんが
いらしていたんですよ~
学芸員さんがびびってました(笑)

こういう資産家の方が芸術に興味を持って、若い芸術家の
ために勉強する場を与えてくれるってありがたいなぁと
思いながらも、とっても普通のかた(やさしそうなおじ様)
だなぁと思ったり、お金があるっていいなぁと
アメリカのオルソン・ハウスの前でワイエスと撮った写真を
見ながら思ったりもしました。

さて、学芸員さんのお話しを聞きながら、歩きながら

観賞した「オルソン・ハウスの物語」・・・

疲れました~~~あ、でも後悔なんてしてないですよ。

多分・・・一生懸命お話しを聞いて一生懸命観たからですね。

一口に言うと、オルソン・ハウスってな~んの飾りけもない、
田舎の、今にも朽ち果てそうな家なんです。

水彩画も・・・鮮やかな色なんてないんです。

描かれたものだって、樽やバケツや穀物袋やほんとに
質素な生活のにじみ出ているものばかり・・・

そして、まわりの荒涼とした陰鬱な景色。

真っ青な空や美しい雲なんてありません。

ワイエスは言っていたそうです。

きれいなものなんて描きたくない。
ヨーロッパ旅行なんて行きたくない。
ただ、自分とかかわっている人(好きな人)が
使っていたものを描いていたい。

と、自宅と別荘の周りしか行ったことがないのだそうです。

ワイエスはフィラデルフィアに住んでたんですけど、
カナダに近いクッシングというところに別荘があったんですね。
父親は著名な挿絵画家だったんですから、裕福だったんです。

クッシングで、ワイエスはのちに彼の妻となるベッツィと
知り合ったのです。

そのベッツイが仲の良かったのがクリスティーナという
足に障害を持った女性だったのですね。
学芸員さんの話で初めて知りました。

ベッツィはクリスティーナが大好きで自分の好きな人(ワイエス)
を、家族より先に紹介したかったらしい。

その時のクリスティーナはもう中年だったのですね。
クリスティーナは弟のアルヴァロと住んでいました。
その姉弟と住居であるオルソン・ハウスを30年間に
わたって、ワイエスは描き続けたのです。

学芸員さんの話によると

ワイエスは20代で父親を車の事故で失ったショックで
いつもそばにいる人達がやがてはいなくなる、と言うことを
強く感じ、オルソン姉弟を、そして朽ち果てて行くであろう
オルソン・ハウスを描き続けたのだと…

そして、私が驚いたのは

ワイエスの遺言によって今年亡くなったワイエスの

お墓はこのオルソン・ハウスの

クリスティーナとアルヴァロのお墓の側にあるんです。

その事を思っても、この家でワイエスは心癒されて
いたのだろうと想像されます。

クリスティーナは障害はあったけれど家事をこなし、
とてもしっかりした人だったらしい。

弟のアルヴァロはニューイングランド気質というぼくとつで
あいそのない人でしたが、漁師をやめて
姉のために、嫌いな農業を続けて行った人でした。

愛想はなくても、ワイエスはそんな二人が好きでこの場所が
いごこちが良かったんでしょうね・・・
なんだかわかるような気がします。

展覧会場にある画像を見ても、ワイエスのお墓は
驚くほと質素なものでした。

オルソン・ハウスはそのうち国宝級になるらしいです。
以前はアップル社の元社長が持ってたらしいけど寄贈したんですって。

画集を買おうか少し迷いました。

というのは、ものすごく魅かれた絵がなかったからなんです。

ワイエス.JPG

でも、今、広げてみるとやっぱり買ってきてよかったと思いました。

そこには、たしかに目を見張るような色彩はないけど、

時には厳しい自然の中で、素朴に実直に生きた人達への

思いが、膝の上で一枚一枚ページをめくるごとに

伝わってくるような気がするからです。

それは展覧会に行ったときより、強く感じることで、

この感覚には私自身驚いています。


私はワイエスの絵が好きなのは、

絵そのものも、もちろんだけど…

まるで小説を読むのと同じように感じるところが

あるからなのかな~と思ってもいます。


孤独感と寂寥感・・・そして無常感

なんとなくアメリカっぽくないかもしれませんね。


あの「ヘルガ」を観ても感じた私です。


クリスティーナが亡くなってすぐワイエスはシリという17才の

少女を描き始めたらしいのです。

それは妻ベッツィは全く知らなかったこと。

ヘルガの時もそうでした。15年間も妻に内緒・・・

とても美人とは言えないドイツ系の中年のヘルガとワイエスとの

関係は果たして・・・ですが裸体まで描いているので

妻としては身中おだやかではなかったはず…

いろいろ大変なことがあって、お墓は静かな田舎のオルソン・ハウス

に建ててほしいって言っちゃったのかしら、ワイエスさん。

なんてどうも俗物的考えが浮かんじゃったりしてm(__)m


ワイエスは私にとって、これからも魅力的な画家であることは

間違いないでしょう。

 

 






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最終更新日  2010.10.18 08:49:40
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