640183 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

とはずがたり

PR

X

全14件 (14件中 1-10件目)

1 2 >

ノスタルジー

2018.06.05
XML
カテゴリ:ノスタルジー

​​​​       

日曜日、母の居る施設に行ってきました。
本当の事を言うと母に会うのがうれしいかというと

そうでもないのです。
はっきり言って義務と責任・・・。

そして、ほとんどの事を忘れてしまった母との時間を

どう過ごしていいのか・・・とても考えます。

今回は少しは昔の事を思いだしてくれるのかなぁと
古いアルバムを持って行きました。

娘も漢方の医院からの帰りに寄ってくれました。
正直、母とふたりきりよりホッとします。ありがたいです。

アルバムは娘がすごく興味をもってくれました、
最近モノクロの写真が好きみたいです。
下北沢のおもむきあるカフェに白黒写真ばかり撮っている
写真家さんの展覧会に2度も行ってきたところです。

なので、このアルバムの写真もいろいろ撮っていましたよ。
気に入ったようでした。


           
          母と私・・・私は10ヶ月位のようです。
      てことは東京のどこかですね~


       

​​​​​​           ​↑これは博多時代ですよ。
昔ってこういう風にじゃりが盛られている事が多かったんですが
なんなんでしょうね~
よく登って遊んでましたね。

母は、娘がだれなのかわからなかったようでしたが・・・
もしかしたら、息子のこともしょっちゅうくるお兄さん・・・位に思っていて

自分の孫とは思ってないのかも・・・(笑)

父の写真を指差して「誰だかわかる?」というと
「わからない」と言ってました。
ああ~ついに父が冥途から迎えに来る前忘れちゃいましたね~
しょんぼり

父の名前を言ったら
​「どこかで生きてるのかしら?」と言う始末・・・
これには笑っちゃいました。

わたしが「お酒を飲み過ぎて、早くなくなったのよ」と言うと

「お酒飲めないのに、飲むようになっちゃったのよ」
と母が言う(ちょっと思いだしたのかな?)ので

娘は
「本当はそうだったのかも、仕事とかのストレスで飲めないのに
飲むようになっちゃったんじゃない?」というので

ああ、そうだ父はお酒が好きというのではなく
酔うために飲んでいたのだと思いだしました。

母にとっては辛い事の方が多い父との結婚生活だったのかも・・・
父がお酒を飲んだのも母に原因があったのかもしれない・・・
まぁ多かれ少なかれ結婚生活って我慢ですからね~
旦那さんの事は忘れてしまうおばあちゃんは多いですよ。

そして私の祖母・・・母の母の写真を見ると、
すぐにわかりましたね~。
弟(私の伯父)の事もわかったみたい。
父の妹の事はわからない・・・あまり好きじゃなかったのかも・・・(笑)

このアルバム、久しぶりに見ましたが
若い頃見た印象と違うように感じますね。
より胸がキュンとしますね。
ノスタルジーをより強く感じます。

母がわかってくれたら、うれしかったかもしれないけど、、
もういいんです。
おだやかに暮らしてくれたら・・・

娘も
「おばあちゃん、元気でよかったよ~」と言ってました。

    

    
  

 娘が、好きな写真家さんに下北沢のカフェでとってもらった写真。
このカフェ、ビルが老朽化でもうすぐなくなってしまうようです。
行ってみたいです。

今、若い人の間でポラロイドカメラがチェキと呼ばれて
人気らしいですね!




​​​​​​​​​​







最終更新日  2018.06.05 02:36:35
コメント(2) | コメントを書く


2016.05.22
カテゴリ:ノスタルジー

 昨日、中学の同期会に行ってきました。

場所は銀座で12時からでした。

実は先週、三原さんの個展を見る前にこの場所を下見していたのです。

…にもかかわらず、ちょっと迷ってしまいました。

…が無事着くことができました。

ほんとにすごい方向音痴で困ります。

 

幹事の方たちがビルの前で出迎えてくれてました。

ビルの地下の会場は、レストランではなくイベントができる

部屋が何室かあるというところでした。


とりあえず三年生のときのクラスごとに席に着くことに・・・

全部で30人くらいでしょうかね~

A~E組まであり、私はA組でした。

 

すでに男性が三人座ってました。

そのうちのひとりは、ずっとどうしているのか気になっていた男子でした。


色っぽい話ではないのですが、その人は・・・S君としましょう・・・

中学三年間ずっと一緒のクラスで、私が京都に引っ越す前の

都立高校も一緒、予備校も一緒でした。

そしてなんと私の夫と同姓同名なのです!

 

予備校時代に一度だけデートしたことがありました。

M大のギター部のライブのチケットがあるというので・・・

彼はそのことを忘れていたようですが、徐々に思い出したようでした。

親戚にチケットをもらったと言ってました。


しかし、このS君、風貌が全く当時と違って、すぐにはわかりませんでした。

お腹は出ているし、ちょっとつり目だったけど柔和になっていたし・・・

でも、相変わらずの大きなダミ声と、

ちょっと落ち着かないおしゃべりなところは、健在でした。

彼とはよく話したと思います。


S君は私のことは当時「毒舌で、好き嫌いがはっきりしていて

自分を持っていたから、すごく年上の人が合うんじゃないか思ってた」

と言ってました。

他の男子は私は「おとなしい人」と思っていたようです。


「若い!」と言われ、「あれは誰だ?」と・・・

小学校以来のモテ期到来かと、ちょっとうれしくなりました

馬鹿ですね~~(笑)


S君は一浪して、大学に入ってから運がよくて

大手製薬会社に就職後もトントン拍子に出世したらしいです。

え~う~ん、主人と同姓同名・・・

「ありゃ~~結婚相手間違えたかな~」と思わず言っちゃいました(笑)


でも私のことをいろいろ話したら、

「おまえだったから乗り越えられたんだよ。」と言われました。

学生時代の友達って男女を超えて、いいなぁ!と思いました。


もうひとり向かいに座っていた男子は中学時代はおっとりしていて

インパクトはなかったんですが、現在外国に住んでいて(30年以上)

今回のこの同期会で初恋の人に会うべく、一時帰国したと

言うことでした。案内状に載ってたのですよ、彼だったんだ~とびっくり。

なので、そのお相手が誰なのか最初はいい渋ってましたが

聞き出しましたよ!


そんなこんなで私が知らなかったエピソードがいろいろわかり

面白かったです。

 

介護や仕事が一段落した人や病気を乗り越えた人・・・

こうやって会えることがあらためて幸せだと思います。


3時になりおひらきとなりましが、みんな名残惜しく2次会に・・・

「飲み直し組」と「カラオケ組」に別れました。

どちらにしようか一瞬迷いましたが、「カラオケ組」にしました。

ずっと隣で話をしていた未だ独身という女子と

例のS君と東京の高校でクラスが一緒だったI君が

「カラオケ組」だったこともあり、それにカラオケだと

時間も決まっているし早く帰れると踏んで・・・

 

昔懐かしい歌をみんなで歌ったり、話をしたり

とても楽しい時間でした。

なんとあのS君がしゃべるのはダミ声なのに歌はその声を活かして

意外にも上手なのでびっくりでした。

3時間があっという間に過ぎました。

けっこう私は盛り上げたと思いますよ~~自己満足かな・・・

最後は。なんやしらんけど「京都の恋」をみんなで歌いました。

みんなすごく楽しかったと言ってくれて、うれしかったです。


帰りが有楽町から帰る組がI君ともうひとり女子だったのですが

その女子(どうやら以前幹事だったらしい)に

「飲み直し会はどんな感じ?」と聞いたんですが

前回、どうも女性好きの男子が女子のことで・・・

いろいろあったらしいですね~

 

まぁ~~還暦過ぎたというのにアナ恐ろしきは男女の・・・

ですね~

その男子は卒業前に私にコクったのですが、

もうきっと忘れてるんでしょうね。

文書でしたしね。別に進展もしなかったし。

同期会で会うたびちょっと気恥ずかしい思いをしてたんですが

そんな乙女心が一瞬で吹き飛びましたわ。

なんかよかった、さっぱりした!


「カラオケ組」にして良かったと思いました。

 でも、別れ際にみんな、また逢いたいと言ってたから

私が「きっと飲み会組がまたやるって言うわよ」

と言うとみんな、「そうだね」と納得。

 こちらの男子はサッパリと別れました。

 

実は期待してなかったんです、同期会・・・

2次会に行くなんて思ってなかったです。

S君が来ていた事もあるけど、面白かったし、

とても楽しかった。


それで、中学でこんなに楽しいんだから

私の人格形成において多大な影響を及ぼした

新宿区立〇〇小学校のみんなに会いたくなってしまいました。

 

検索したらその小学校は廃校になって

中学校として生まれ変わってました。

でも、サイトがあったので投稿してきました。

もしかしたらみんなに会えるかもしれません。

検索していたら

なんとその小学校の校歌を竹下景子さんや西田敏行さんが

歌っているのをyou tube見つけました!

ドラマの中で使われたんですね~

超超懐かしかった~~じ~んとしました。

小学校の同期会ができたら、

もう半世紀以上前の仲間ですからね~

名札がきっと必要ですね。

 

ちょっとまだノスタルジックになってます。

 

 

 

 







最終更新日  2016.05.23 00:19:35
コメント(0) | コメントを書く
2012.06.14
カテゴリ:ノスタルジー

 

 今…少し心が動揺している

昔、かかわりがあった老舗のケーキ屋さん、

今、どうしているかと検索してみた。

すると2009年に火災があって会長さんが亡くなったという

記事が…

どっきりした。

知らなかった・・・心からご冥福をお祈りします・・・


会長さんは私の母より少し年上だったけれど

ほっそりとした美人で、品のいい方だった。

大手町の英会話の教室で知り合った。

私が20代半ばの頃だった。

会長さんは50代半ばだったかもしれない。

 

ご主人が亡くなった後、ひとりで老舗のケーキ屋さんを

引継ぎ、お子さんがいなかったので夫婦養子を迎えて

お店を切り盛りしていらした。

私が日本舞踊の発表会の引物として、このお店のクッキーと

チョコレートの小箱をお願いしてから、交友が始まって

私はよくお店に遊びに行って、近所のレストランで食事をしたり

時には夜遅くまでお話したりして、すっかり仲良くなった。


しかし、あることがあって私は傷つき・・・

いや、今思えば会長さんも傷ついたのだと思う。

二人の交友関係はピリオドを打ってしまった・・・

もしあのとき私がもっと大人であったら・・・

二人の友情は続いていたのかもしれない。


2度と会えない・・・誰にも人生にはそういう人が何人かは

いるのかもしれない。

 

ちょうど10年前、このお店をひとりで訪ねたことある。

お店の方の口ぶりから、会長さんが健在であることは

わかった。

お店には、ほんの数人が座れる喫茶コーナーがある。

ケーキも、私には苦めのコーヒーも当時と変わらない味だった。


また、10年経ったら訪ねて見よう、そう思った・・・

私のこれまでの人生を思うとき、けして素通りはできない

あの頃の自分・・・


今思うと、私は会長さんと会っている時、

気に入られようと少し背伸びしていたのかもしれない・・・

無理・・・していた、だから悲劇?は起きた?

いや、あれでよかったのかも・・・

いろんな思いが錯綜する。


火事はお店の上の4階に独り暮らししていた、会長さんの

部屋からで、電気ストーブが原因らしい・・・


まさかそんな無残な死を遂げていたなんて・・・

心が痛む。

会長さんが身の上話をしてくれた事を思い出す

ご主人が病気で亡くなって、

泣いて泣いて・・・泣き明かし、そして迎えた朝。

「このお店をやっていこう」と決意したと…

 

もう30年も前の話・・・


多くの文人や往年の名監督が愛した老舗のケーキ。

今も昔と少しも変わらない材料と形のケーキ


画像で見たがすぐに火事から立ち直ったらしく

全く昔のままの佇まいだった。

 

いつか、お店と私のいきさつを話し

娘と行ってみたいと思う・・・

 

 

 







最終更新日  2012.06.15 00:38:57
コメント(0) | コメントを書く
2011.08.12
カテゴリ:ノスタルジー

 

          中野サンプラザ.JPG

 今日は8月生まれの友達二人と誕生祝い、

中野に行ってきました。

もう何十年ぶりかの中野サンプラザで待ち合わせ。

そこの20階のレストランへ・・・

 

ふたりはもう誕生日が過ぎましたけど・・・

しし座トリオ・・・

ひとりは東京の高校時代からの友逹、

もうひとりは、たしかテニススクールで知り合った

のだと思いますが・・・

20代後半の微妙な年頃・・

よくスクールの後などに、

三人プラス何人かで吉祥寺あたりを飲み歩いたものでした。

(あの頃ってよく飲んだなぁ~)

そうそう、ヘッドコーチ(おっさん)と飲んだ事もあるし、

仲間から仲間へと・・・

沢山の人数でテニス合宿したこともあるし、いろんな場所での

飲み会もあった・・・。男性陣もいた。

東大出も何人かいたし・・・一風変わった人ばかり・・・


あの頃の自分ってなんだったんだろう?

とりあえず、その場を盛り上げていたような

合わせていたような・・・

そのうち・・・

ここから抜け出さなくちゃと本気で思ったりしたっけ・・・

誰にもその事は言ってないけど・・・m(__)m

大体運動音痴の私にテニスなんて全く向いてないのに・・・


あの頃、フラメンコに出会っていたらなぁ~・・・

でも多分あの頃は、仕事にも恋愛にも絶望してたのかな?

だからきっと大勢の中に混じっていたかったのかもしれない。

友達が面倒見がいい人だったから、感謝している。

体の不調で会社をやめたばかりだったから

友達は「この子は体が弱い・・・」と皆に言っていたけど

(今のうちの娘みたいにすぐにお腹をこわしていたし・・・)


「ほんとに変わったよね~」といいます。

そうです、今じゃちょっとやそっとのことじゃ、びくとも

しません。

多少くさりかけた物を食べても全く大丈夫…(笑)

 

 

日本料理なかの」でランチを・・・

彩どり弁当にしてみました。

いろんなものがちょっとづつで楽しい・・・

薄味で胃にやさしい・・・

HI3H0035.JPG

ごはんはとろろごはん・・・

グラスビール二杯で、かなりいい気分に・・・

 

   葛切り.JPG

デザートは葛きり・・・とってもコシのある葛きりでした。


話は尽きず、

サンプラザの前の喫茶「ルノアール」に行って

コーヒーを飲みながらまた2時間ほどおしゃべり・・・

三人に共通してるところは、昔から

人と競争したりしたくない、マイペースのところかなぁ~

 

結婚してたり、独身であったりだけど、

まぁ、いろいろ乗り越えて来て、

会える余裕も出てきたんだね。

久しぶりに会った友は、ひとり娘さんが結婚するので

寂しいらしい・・・

昔やっていたエレクトーンを新しいものに変えて

今はそれを家で何時間も弾いているのが

楽しいと言っていた。

大体、出不精の人なのだ・・・

多分、若い頃からずっと甲状腺の薬を飲んでいるから

そんなに体力がないのかも・・・

 

友達と元気におしゃべりできる事は楽しい・・・

来年もまた三人とも元気で、誕生会ができるといいなぁ~

 







最終更新日  2011.08.13 21:20:48
コメント(5) | コメントを書く
2011.06.26
カテゴリ:ノスタルジー

 

 昨日、中学の同期会に行ってきました。

私達も今年は・・・ま、トシの話はやめときませううっしっし

吉祥寺のビストロ TALK  BACKで午後5時から。

いや~やっぱり事前に高校時代の友人に教えてもらっといて
よかった~
パルコを目印に中道通りに入ってまっすぐに行く事ができました。
(実はアトレの出口を間違えてでちゃって一瞬パニクッタけど
パルコの位置を聞いたらすぐわかった)

少し遅れてしまったので、皆もうグラスを片手に談笑していて
店の中は活気に溢れていました。

前回5年位前でしたでしょうか?
いやもっと前だったかな~?
その時80歳を過ぎていた国語のM先生・・・
元気な姿で!うれしかった~♪

なんと88歳ですよ、米寿です。

全然、足腰もしっかりしていて頭もはっきりしています。

それから音楽のK先生、83歳とおっしゃてましたか。

理科のI先生は80歳・・・

3人の先生のお元気な姿が見られて、

ほんとに良かったです。


音楽のK先生のお話しにはジーンとしました。

先生は広島生まれで、被爆者です。

だからこの度の震災の事が頭から離れないそうです。


広島で原爆が落とされた日、先生は生徒数2分の1の仲間と

学校から山一つ越えた場所で勤労作業をしていました。

後の半分の生徒達は学校近くの清掃をしていました。

原爆が落とされ、先生達は生き残り、

仲間の半分は全て亡くなったのです。

今、生きている自分は仲間の犠牲の上にあると

思えてならないとおっしゃっていました。


理科のI先生(女性)は当時は私は神経質で
少し冷たいように感じていましたが、
おっとりとやさしく可愛く思えました。

先生、お三人とも、あまりおかわりなく、
純粋で、すがすがしい感じがしました。

教育者の持つ神々しさ・・・でしょうか?
ま、いろんな人がいるんでしょうが。


驚いたことに、以外と同じ高校に行った人が多かったの。

その人達と高校の話もしたっけ。

私達の高校受験は

都立高校学校群制度が初めて施行された年でした。

学校群制度、何年続いたんだろう?

今は好きな高校に行けるんでしょう。

で、私たち群になっていた3つの高校のどの高校に行くか
全くわからなくって。
そうしたら、第一志望の高校に入れたから有頂天でした。

だってそこは地域で2番目の難関の進学校で、
男子が女子の2倍いたのですよ。
だから、私だって彼氏のひとりやふたり
できるんじゃないかってね~もうそれだけが楽しみで(笑)

そうしたら、勉強が難しいのなんのって・・・
数学、物理、化学、生物、地理、地学・・・
理系が全く駄目だったし・・・英語もすごく難しかった
何教科か赤点取ったし・・・

それで結局は成績のいい女子がモテルってだけの話で・・・(笑)

私は1年の1学期だけその都立高にいて
で、京都の高校に転校したのだけれど、
都立高に入っていたおかげで、京都でも名門の市立高に
入れたわけです。(当時はね、今はそんなことないと思うけど
…て、今じゃお父さんが単身赴任するに決まってるね)

京都の高校での成績も、

もちろん、どん底状態でした・・・えっへん!あっかんべー

京都に引っ越したため、住所がわからなくなり

第一回目の中学の同期会の連絡は来なかったんですよ。

都立高時代の友人から友人へ・・・で連絡がついたんですね。


今回、中学2年生の時に仲の良かった人に会えてよかった。
彼女はどこか大人っぽくて、女っぽくて、ませた子だった。
目元の色っぽさは変わらなかったし、えくぼも・・・
当時、男子の話や映画の話で交換日記もしてた・・・

彼女も私と会いたいと思っていたとか・・・

「お互い、母ひとり子ひとりだったわよね。」と言ったので

「あ、一応私は父はいたのよ、
その父の仕事で京都に引っ越したの。」

そういえば中学時代はほとんど父と顔を合わさなかったような
気がします。
三鷹台から横浜まで通勤に時間がかかり、
朝はは早く出て、夜は飲んで遅かったから。

そうか、小学校の頃、新宿にいたのに、卒業と同時に
環境が悪い、学校のレベルがどうのと三鷹に引っ越し、
さらに杉並区の中学に越境入学までさせた手前、
横浜にまた転校とはいえなかったんだね。
父もいろいろ考えていたんだね~

私はずっと新宿にいたかったのに。
新宿で小学校3年から6年までの私は毎日が楽しかった。
輝いていた。
今でも新宿が好き・・・

あ、なんかいろいろ思い出してしまって・・・

で、国語のM先生のことなんですけど

脳梗塞になられたなんて本当に微塵も感じられません。
まあ、医者もびっくりの回復力だったらしいですが・・・

「もうトシだなんて言ってはダメ」って88歳のM先生に言われると

ほんとにそうだなぁと思うし、勇気も出てきますね。

  М先生1’.jpg M先生2'.jpg M先生3'.jpg

こんふうに私達にメッセージを書いてくれましたけど、

さすがに国語の先生って感じですが、88歳でも可能なんですね。

しかも脳梗塞を患った後ですよ~凄いですね。


・青春とは・・・
  人生のある時期を言うのではない、心の持ち方を言うのだ。
  向学心、向上心のあるところに青春はある。
  何かに感動する、その中に青春はある。

・他人の話をよく聴こう、されど惑わされない。

    などなど・・・いろいろ感じいる名言がいっぱいでした。

       先生と.jpg

私は中学時代は 国語(だけ)の成績が良かったし
あの頃は読書家でしたから
M先生にはすごくかわいがられていましたよ。
ひいきにされていたと思います。

それなのに、
先生は私の事、ちっともわかってないなぁと
信頼しようとしませんでした。
すごい生意気な子でしたよ。

気持にムラがあるし、しち面倒くさい子で(今でも?)

ある意味、問題児だったかもしれません。

大体において、小学校から中学、高校と
先生を頼りにしたことはありません。
むしろ煙たがっていた気すらします。
今思うともったいないことをしましたよね。
先生に相談したり、頼りにすれば、
きっと親身になって応援してくれたでしょうに・・・

素直になれなかったなぁ~、まぁ、しょうがないや。

屈折していたんだね。思春期の特徴かな?

 

 ところでこの日、私は、皆さんから

「若い!」 「かわいい!」と言われ、

と~ってもうれしかったです。音符スマイル

前回と感じが全然違う・・・とも・・・

う~ん、前回はちょっとまだ暗かったかもね~

今のように吹っ切れ感が確かになかったな。

皆、同じだと思うけど、いろんなことを乗り越えてきて

もう、なんでもござれって感じですよね。

「いろいろあるよね~」っていうのが合言葉みたい・・・

 

この日、一番遅れて現れた、K君が

「あと10年がんばろう、ではなく今日一日を楽しく・・・」

と言ってたけど、ほんとにここまで生きてくると

それが一番って気がします。

また、いつか会えるのかしらね。

      おみやげのバラ.jpg

この日、花屋さんのT.K君から、おみやげに

薔薇を一輪頂きました。

お花をいただくのってすごくうれしいですね。

T.K君の事を苗字が同じなのでM.K君と

間違ってしまってごめんなさい。

雨の日、私が学校に持って行ったエポック社の野球盤で

よく遊んでたっけ・・・

結局その野球盤をあげたMK君に会いたかったなぁ~

弟みたいな子だった・・・

野球盤かえせ~~!大笑い

 







最終更新日  2011.06.27 08:05:29
コメント(2) | コメントを書く
2008.09.27
カテゴリ:ノスタルジー

  
       イノダ

 


四つ葉先日の京都の高校時代のミニミニ同窓会…

実は二人だけの同窓会となりました。

今は松戸に在住の友達から、私が電車に乗っている時

メールがあり、ご主人がひどい腹痛でこれから病院に

向かう…というのです。

楽しみにしていたのに、がっかりしていました。

家族が健康でないと、遊ぶこともままならない私達ですね。

幸い、MRI 検査では異常がなかったようです。(筋肉痛?)


待ち合わせ場所の東京駅の大丸に行きました。

小一時間早く付き、洋服やバッグ、アクセサリーなどを

見て回りました。

リニューアルされて、すっかりオサレな感じになっていましたが

ほしいものは見つかりませんでした。

ま、値段もかわいくないしね~


待ち合わせ時間が近づいたので、一階の菓子売り場

案内所付近にいるとすぐ後ろから声がしました。

京都から毎年今頃になると仕事で東京に来る

高校時代の友達です。

彼女とは2年ぶりでした。彼女の仕事の都合で

去年は会う時間がなくて…

 

すぐに13階のレストラン街に…

私もネットを見て知っていたのですが、そこは京都の店が

並んでいるのです。

東京に来てまで京都??って思ったんですが

友達はいいというので…

結局、肉は重いし、普通の和食じゃつまらないし…って事で

『 京のぶぶづけ処 近爲(きんため) 』 と言うところへ…

私はあまり漬物は好きなほうではないんですけど、

ここのはおいしかったです~

そして御飯がうまい!

テーブルの真ん中に茶釜があってその中にお湯が…(電磁波だね)

小さい急須にお茶が入っていてその茶釜の

お湯をひしゃくで注いで、たくさんある漬物をいれ

茶漬けを作ってたべるのですよ。

ぎんだらの焼き物がおいしかったですよ。

あと湯葉もちょっとあったなぁ。

なんだか、あっさりしてて良かったです~

私だけビール(チョイ大きめのグラス)飲みましたけど…。


飲まない人とだと、すぐに食事がすんでしまうので

コーヒーとスイーツを…と意見はまとまり、

「ここね、イノダがあるのよ。」というと

「そこに行こう」ということになり

京都で有名な老舗のコーヒー店イノダコーヒ

なんとこのデパートの8階にあったのでした。

行ってみると、お~~やっぱりレトロな雰囲気です…。

でも入ると

「すみません、8時までなのですがよろしいですか?」

とお兄さんがおしゃるのです。

あと30分か~。

彼女が乗る新幹線は9時10分発なのでもう少し

ゆっくりしたいな~と思いましたが、また探すのも

なんなので、入りました。

なんだかお腹がいっぱいでケーキも食べられそうにないので

ふたりともカフェオレを頼みました。

お、昔懐かしい、ミルクコーヒーの感じがうれしい…

イノダコーヒ…むか~し、京都の高校時代

友達と始めていったイノダコーヒ店本店

噴水があったり、彫刻があったり…、

まるで別世界…ほんとにびっくりしました。

 

東京に戻ってからも、そこが有名な

京都の老舗のコーヒー店

であることを知りました。

当時はまったくの子娘だったから

やけにもったいぶった店だなぁ~と思っていたような

気もします(笑)

結局、8時でイノダを出された後、もう食べ物も飲み物も

いらない…という二人の意見が一致して

どこかロピーのようなところで話したいね、

と、うろうろしていたら、なんだかわからないんですが

ホテルのようなビルの一階の花屋さんの前のところに

近代的なベンチがあって、ひとりですわてる人もいて…

そこでちょっとおしゃべりしました。

彼女は、もうかなり若いころに旦那様を病気で亡くされ

それから女で一つで3人のお子さんを育てられました。

この間長女の方が赤ちゃんを産んだそうで…

切迫流産の危険性があってずっとお世話したそうで…

仕事をしながら、大変でしたよね。

赤ちゃんが生まれてからも大変で自分の体力のなさを

つくづく感じたとか…。母親って娘にとっては元気でいること

が必要ね…と話していました。

一番下の男の子さんは、何年か前、はじめて書いた小説が

評判が良く、いきなり芥川賞候補になりました。

最近、やっと2作目ができたらしく…


友達のお子さんが芥川賞候補なんてちょっと

ワクワクでしたよ~。

次回作読むのが楽しみです。

 

もうちょっとお話ししたかったなぁ

アートの話とか…

また、彼女は旅行が好きなので

よくユースホステルを使ってひとり旅をしているのです。

今回も東京に来る前にどこかに寄ってきたみたい。

なんだか自分のフラメンコの話をしちゃって時間が…


あとから、メールで

「いつも、会うと元気をもらえる」と言ってくれた。

そう言ってくれてうれしかった~!

 

高校時代から、私にとって

お姉さんのような、お母さんのような存在だった彼女…

頭がとてもよかった、勉強もできた。

「あんたはなんにもしないでいいから…」と

うちに遊びに来た時、林檎をむこうとするわたしから

「あぶないから…」と言ってみかねて、ナイフを

とりあげ、器用に林檎を剥いてくれた彼女を思い出す。

今回のお茶漬け屋でも茶釜のお湯をひしゃくで

私の急須にさっさと注いでくれた…(笑)


今もクラス会の幹事をやってくれているし…。

…これからもお世話になります。

2年後にクラス会があるらしく、その時には

ついに私も京都に行けそうな気がします!


また来年彼女が東京に来る時

今回こられなかった松戸の友達と3人で会えるといいな。

 

松戸の彼女とは近いうち会おうね。ハート

 

 







最終更新日  2008.09.27 20:02:04
コメント(8) | コメントを書く
2008.08.05
カテゴリ:ノスタルジー


 今日は会社から帳簿その他を持ってきて

家で仕事をすることにしました。

冷房に対して今年の私はかなり弱いので…

雨が降ってすごく蒸しています。

ドライだけでもしょようかなぁ~

 

母からボーナスが出たからと、子供達と私に…と

現金書留が送られてきました。

「私のことは心配しないでください」

と手紙が添えられていました。

おもえば、私がお小遣いを母にあげたことはありません。

ま、受け取らないとは思いますけど…。

高価なものでなく、ちょっとしたプレゼントはいいみたいですけど…

自分があげることが喜びみたいです。

この間、電話で喧嘩して以来、なにか自分の気持ちが

燻っていて母に手紙を書こうかとか思ったりもします。

実は昨夜、夜中までかかって書いていました。

でも、なんだか感情をぶつけてるような感じだし、

だいたい私が人になんだかんだいうことなんて

おこがましく、はずかしいことだと思ってきました。

なんにも自分ひとりで決められず流されているだけの自分…

昔のことを思い出します…

 

 

 私は小さい頃、父の転勤で九州の博多に6年間暮らしていました。

ある日、私が幼稚園から帰ってくると

真っ白な髪の人がふとんに寝ていました。

祖母(母の実母)でした。

それまで暮らしていた叔父夫婦のところを飛び出して、

東京から夜行で博多まで来たのです。

当時の高齢者にしては、かなりな行動力で、

今思うと、よっぽどつらかったのですね。

最初私は叔母にいじめられたのかと思いましたが

そうではなくて、叔父夫婦のあまりに壮絶な夫婦喧嘩に

耐えられなかったのです。


そのころ、父母と私の住まいは父のj会社の寮でした。

寮と言っても、アパートのようなところでなく

戦争未亡人のお屋敷を 会社が借りて未亡人を寮母さんにして

2階は独身寮、一階を部屋に

寮母さんの家族と私たち家族が住んで、(たしか、壁ではなく

襖でしきられていたような記憶があります)

2階建てのはなれに、もうひと家族住んでいました。

 

だから、台所などは未亡人家族といっしょで

自分の家族の食器などを洗おうとすると

未亡人家族の洗い物がおいてあると、母は

それを洗ってから自分の家のをしなければならなかったのです。

冬などは今のように湯も出ないし、つらかったようでした。

しかも、父が大酒飲みだったため、トイレを汚したと言っては

トイレ掃除もさせられていたとか…。

ほんとうは他の人かもしれないのに…と言っていました。

母にとっての博多時代はあまり思い出したくないものだと思います。

若かった母は向こうっ気が強く、江戸っ子気質そのままだったので

近所の人たちからはあまり受け入れられなかったようです。

今思うとなんとなくわかりますね~。

 

父に対しても、自分の母親が面倒をみてもらっているので

意見も言えず、悶々としていたと思います。

今の母からは信じられないですが、よく母は

ヒステリックになることがありました。

なので、わたしは必然的に小さい頃から母の顔色を…

そして人の顔色を見るようになっていったのかもしれません。

そういえば、祖母が再び、叔父たちのところを点点とし、

一番いっしょにいたい叔父の所はまだ夫婦喧嘩がたえなかたのです。

叔父の競馬狂いが原因です。

また祖母をひきとりたいと母は言ったけど、父に拒否されたのでした。

男の兄弟がふたりもいるのに、もう10年も面倒をみたのに…

父の言うこともわかります…。また、ここで自分達が面倒を

みたら、また叔父たちは母に甘えてしまう…と。


母には兄もいました。

実は母の兄は、祖父の子ではなく

どこかでもらってきたというのです。でも祖父に似ていました。

母はそのころ祖父の兄弟で背中に刀をしょった股旅者が

時々来ていたので、

その人がどこかの女性に産ませた子ではないかと…

 

祖母がお嫁に来た時にはもういた、というのです。

驚いた祖母は、子供がいるなんて話が違う…と実家に帰ろうととしました。

でも、祖母は考えたそうです。

祖父は前の妻(芸者さんだったらしい)と離婚したばかりでした。

「今、私が、この子をおいて実家に帰ったら、

この子は生みの親、少し育ててくれた親、そして私…の3人に

捨てられることになるんだ…

そんなかわいそうなことできない。」 と…


わ~お人よしのDNAは、おばあちゃんからか~


だけど母の兄は自分のことを知っていて

あまり祖母になつかなかったようで…

よく母は「まま母って悪く言われるけど、

実は子供のほうがままっこになっちゃうのよね~」 と。


母が電話で祖母のことをその叔父と話していて

「お兄さんはひとりで育ったと思ってるんですか!?」

と言っていたのを思い出します。

 なんだかみんなかわいそうな時代でした。


祖母は東京都の養老院に入りました。

その時、私は中学生でしたけど、母のヒステリーが

頂点に達し、その後メニエル症候群になったのでした。

もしかして、母はこのまま死んでしまうのかとショックでしたが

メニエルになってから母は変わりました。

物事をあまり神経質に考えないようになったんです。

 

養老院に母が祖母を入れてしまったことに驚いた

叔父(母の弟)は、心を入れ替えて、祖母をひきとりました。

母は「おばあちゃんは○○ちゃん(叔父)が一番

好きだから、私と暮らすより幸せなのよ」と言っていました。


そう言えば、まだ祖母がいる頃、小学校から帰ると

(その時は東京の新宿にいました)、

母とおばあちゃんがふたりで泣いていました。

「いいよ、たとえ2畳でも、借りて暮らすから…」と祖母

「お母さん、その2畳の部屋を借りるのにいくらお金が

かかると思っているの?」と母

ふたりで泣いているのです。


私はそのとき、大人になったら、おばあちゃんを

引き取ろうと思いました。

そして小さいなり考えました。

私にとってなにより大事なこと

…それは老後の安定…だと。

 

母の弟である、叔父のところに引き取られた祖母は

叔父の妻、叔母がとても面倒みがよく

幸せに暮らして、83歳で亡くなりました。

 母は正直「ほっとした」と言っていました。

 

はっ!

つい自分の中に入り込んじゃった~

やることやらなきゃ…

でもなにか落ち着きました。

最後まで読んでくださっ方、ありがとうございます。

 







最終更新日  2008.08.05 16:44:57
コメント(6) | コメントを書く
2008.01.27
カテゴリ:ノスタルジー

ダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤ

朝の富士.jpg

                         ダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤ

毎度お馴染みの我が家(マンションの11階)のベランダから撮った

富士山です~

毎日寒い日が続いていますね~

明日はもっと寒いとか…

今日は出かけようと思ったのですが、寒さに意気消沈…

家でのんびりテレビを見ました。

マラソンの福士さんが痛々しかったです~

お母さん、見ていてどんなに辛かったでしょう。

次にビデオを撮ってみようと思っていた

「東海道五十三次・甦る浮世絵ロード」を見てしまいましたよ。

広重や北斎の浮世絵がフランスの印象画家に影響を与えたって

ことは知ってはいましたが、それを具体的に明示していて

目をみはりました。

セザンヌが富士山の浮世絵の連作とほとんど同じように

プロバンスの山の連作を描いていたのです!(パクリ?)

モネだって自分の邸宅の庭を日本風にしちゃったのですよね。

ゴッホはアルルに日本的な光を求めて移り住んだのですし…

浮世絵に魅せられた彼らの熱意に日本人として畏敬の念

すら覚えました。

日本の浮世絵は彼らにとって驚嘆するものだったのでしょうね。

平面的な図柄…人物の表情も漫画的なものがあったり…。

モネの美術館のあの壁面いっぱいに飾られた風景画は圧巻でした。

あんな横に何メートルもある絵を晩年どうやって描いたのでしょう。

楽しめた番組でしたが、女優さんがどうも大味で

コメントも、「は?」 「それしか言えんのかい…」と

何度もつっこみをいれたアラネアでした。

m(__)mね~、嫌いじゃないんだけど…

もぅちょっと繊細な人を起用してほしかったな~~

                                       夕暮れ1.JPG


またベランダから夕暮れの富士を撮りました。

その後すぐ相撲を見ちゃいました。

別に相撲ファンでも好きな力士がいるわけでもないんですが…

やっぱり今日の横綱同士の対決は興味ありましたよ~

白鵬はかなりなプレッシャーで、もしかしたら

気負いすぎて負けてしまうかな~と思ったりしましたが

まさに土俵の上で意地を貫いた…という感じでしたね~

まぁ、これで関係者の皆さんほっとしてるのでは…

それにしても、いい相撲でした。久々に迫力がありましたよ!

 

そういえば私が子供のころの相撲の放送は

取組のあとによくスローモーションが流れたんですよ。

アナウンサーが「今の取組をスローモーションで見てみましょう」

と言って…。

今はありませんね~

小学校一年生位のとき、近所の男の子といっしょに

テレビを見ていて、ふたりで相撲をとって

スローモーションの真似をして笑い転げていた思い出が…

でも、2年生になったら、お互いそんなことしなくなったし、

あそびにも来なくなったっけ。

朝もいつもいっしょに学校に行ってたのにねぇ…

相撲を見るとNHKはスローモーションを流すのを

いつやめたのか…

「しんちゃん」は今どうしているのか…

と思うアラネアです。

 







最終更新日  2008.01.28 08:02:03
コメント(16) | コメントを書く
2007.10.26
カテゴリ:ノスタルジー

緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート 

  alice.JPG

                           緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート緑ハート

  

会社の最寄駅、川越駅がちょっとおされになりました。

私としては、ローカルな喫茶店「風月堂」や、

文明堂や、紀文などの老舗がなくなったのはちょっとさみしくもあります。

ケーキ屋さんやクッキーやさんが4軒とカフェのあるパン屋さんと

マツキヨになってしまいました。

そこで…

「クィーンアリス」のゴーフレットを先日買ってきました。

前から欲しいな~と思ってたんです

これは600円で中にゴーフレットが12枚くらい

入っていたと思います。(娘が皆たべちゃった~泣き笑い

パッケージの絵が金子國義さんだとはすぐわかりました。

なんとなく魅かれます。

それと少しノスタルジックになっちゃうんです。

金子さんという人を知ったのは

なんとあの女性誌「アンアン」創刊号だったのですよ!

今から30年以上も前ですね~

アンアンは創刊号から一年位は、とーってもハイセンスな

雑誌だったと思うんです。

「エル ジャポン アンアン」と名打って…

そう、フランスの「エル」の日本版なんだから~

フランスにいるパンダの名前からとったのよ、anan て...

憧れのフランスに思いを馳せ発売前からワクワクしてました。

まだ竹下通りにポツポツとしかなかったお店や

センスのよいグッズの紹介、当時注目されてきた

アーティストのエッセイなど、

それまでの日本の女性誌にはなかった

斬新でちょっと衝撃的な個性ある雑誌でした。


そこにはシャルル・ぺロー原作の短編が載っていて

その挿絵が金子國義さんだったんです。

何号かずっと続いたと思うんですよね~

ちょっと、おそろしげな赤頭巾ちゃんとか...

シャルル・ぺローも金子國義もアンアンで知った私でした。

 

今の男性選びみたいなのが載ってる雑誌じゃぁなかったんですよ!

大人になる少し前の少女の気持ちをぐぐっとつかんだ

雑誌だったんです。いや、大人の女性をも...。

あの、素敵なアンアンはどこへ行ったの?しょんぼり

ライバル誌「ノンノ」が発売されから、

アンアンもただのファッションと

グルメと旅の俗っぽいものになって行ったと思います。

アンノン族っていう言葉もうまれましたよね。


だれか、創刊号からちょっとの時代のアンアン...

覚えてる人いないかなぁ?ほえー


古き良き時代よね~

竹下通りなんてほんとうに人通りがそんなになくて...

店員さんもお客にやさしくなくて...そっけなくて。

あるお店(今も若いお嬢さん向けの有名なお店だけど)

に入ったら「いらっしゃいませ」も言わず

店員さん同志、奥で談笑していて

友達が引出しをあけたら(それもどうかと思うけど)

「かってに開けないで下さい!」とすごい怒って。

そんなタカビーな店員さんがいる店なんて2度と行きたくない

と思ったり...。

そうそう、タカビーな店員さんて今、めったにお目にかかれないんじゃ?

懐かしかったりしてね~

かと思うと、竹下通りに入るところに、今はもうないけど

薬屋さんがあって、そこに小さいカウンターがあり、

コーヒーとか飲めたんですよ!信じられる?薬屋さんでよ~

そこでリップクリームを買い、

「すぐ唇が荒れちゃうんですよ~、なにか栄養が足りないんでしょうか?」

と言ったら、薬屋のご主人が即座に、でもやさしく...

「いいえ~、栄養は十分に足りているようですよ。」と言ったので

いっしょにいた友達と大笑いしたものです。大笑い

のどかな原宿でした。

そのうち、あれよあれよと言う間にショップが増え

今の原宿になっちゃいましたね~

昔は落ちついたところでした。

 







最終更新日  2007.10.27 10:37:08
コメント(16) | コメントを書く
2007.06.14
カテゴリ:ノスタルジー

                              
                   TS380042.JPG

 

きらきら30何年か振りで、京都の高校時代一番仲の良かった友達と会った。

私は父親の転勤で高校一年の2学期から卒業するまで

京都に住んでいたのだ。。

当時は今のように単身赴任する父親はいなかった。

家族はみんなぞろぞろ転勤先に付いて行ったのだ。

私も泣く泣く、東京の高校から京都の高校に転校したのだった。

 

友達は現在三重県にいる。

こちら(埼玉県)に長女が嫁いでいて

去年孫が生まれ、時々来るらしい。


待ち合わせ場所にいる友を、遠くから見つけた。

すぐにわかった。

友達は「わからないのでは?」と言っていたが

私は絶対わかる、と思ったのだ。

彼女も私のことが、すぐわかった、と言った。スマイル

学生時代の友というものは、

逢わなかった時間を瞬く間に飛び越えることができる。


…さて30年以上の間に私たちふたりに

それぞれいろんなことが起っていた。


友は根が姉御肌であるため、どうしても頼られる

存在なのだろう。

それは彼女自身も「火サス」(火曜サスペンス劇場)

と言ってたけど

思わず「え、え~~っ!」と叫ぶような出来事が

身内に次から次に起こったのだった。

しかし、私と同様、どこか楽天的なところがあるため

なんとか乗り切ってきたようだ。

ことしになっていろいろなことがやっと落ち着いたと言っていた。

27年もの間苦しめられたリュウマチも医者や

薬に頼らず、克服したようだ。

「なんとかなる」という人生哲学(?)が共通している

友に、また新たな勇気を与えてもらった気がする。

 

一人っ子で甘えん坊のところがある私は

高校時代、彼女の母性に包まれていたのかもしれないな~。

 

 

 

 







最終更新日  2007.06.15 02:50:53
コメント(6) | コメントを書く

全14件 (14件中 1-10件目)

1 2 >


© Rakuten Group, Inc.