☆毎年複雑な気持ちになる母の日☆
あれから また1年、もう1年、、、。母の日は やって来た。去年、はじめて 意図的に何もやらなかった。理由は2つある。1つは、その少し前の4月末、久しぶりに帰省した わたくしの次男(母にしたら孫)が 顔を見せに行った際、わたくしの悪口三昧をあびせかけ帰って来た 次男から、黙っていようか考えたが、あんまりだと思うから、もう捨てていいのでは?と言われた一件があったから。もう1つは、気持ちがないのに渡す物に意味などあるのだろうか?と 思ったから。すると、母からメールがきて何かあったのか?毎年必ず何かくれていたのに!それも 何でもないとスルーしもう 金輪際 母の日も誕生日も何にもなし!と思った。その後、何か用事や届け物も玄関に置いて メールするという方法を取り、直接の接触をさけていた。▪▫◊▷◊▷◊▷あれから1年、心のどこかには常に気にはなるものの会わないということは出来事も話さなくてすむから攻撃されるネタもないわけでやはり これが一番心の平和を保つのには、いい作戦なのだと思う。そして、時間の経過とともに怒りも薄れ、今年はプレゼントというほど改まったものでもなく、差し入れの延長で 静岡の新茶とケーキを置いてきた。どう思っているなんて考えない。自分が送りたかったから送っただけ。自己満足の話だ。てか、いわれのない罪悪感を感じるより何か やっとく形を選んだのだと思う。▫▪▫▪▫▪一方、わたくしの子供達からは今朝、タイの娘からわたくしの好物である 浜名湖たなかの鰻が送られてきた。あらま!風呂敷に包まれての登場よ(^-^)たなかさんの鰻だ!やったーやったーヤッターマン(久しぶりの登場)ありがとう!感謝します。息子からは、おこづかいが届き好きなもの買ってー!ってありがとうね。こうして、わが子達の孝行を噛みしめ 嬉しく幸せな気持ちになるならせてもらう母の日。一方、自分の親には 同じようにできない憂鬱な母の日。あまり、深くは考えまい。考えた所で 今さらどうにもならないのだ。鰻が包まれていた、風呂敷の朱色があまりに素敵だから 敷いてみました。▪▫▪▫今朝のラジオでサエラさんがわたくしの投稿読んでくれてコンサートの帰り 声かけて頂きありがとう!って言ってくれて嬉しかったですぅ。また、行きます!▫▪▫▪散歩帰りのメルジル( ^∀^)暑いわなー!お疲れね!▪▷▪▷▪▫このブログをはじめて約1年半母親との複雑な関係性を吐露してきましたが一般的な事例には当てはまらないのでなかなか わかって頂きにくいと思っております。そんな中で わたくしと似ている状況で御姉様と旦那さまの 協力で 母親と絶縁された方をブログ内で見つけ勇気づけられています。そして、先日 わたくしとは また少し違う形ですが、強烈な母親をお持ちの方のブログを偶然発見しまして読ませて頂いております。どうぞ これからも宜しくお願い致します。▫▪▫▪阪神対ベイスターズ 今おわり。推しの才木くん、よくやった!おめでとう!最後までお付き合い頂きありがとうございますまた お立ち寄り下さいませ。(^-^)