2006/09/01(金)22:56
東野圭吾『犯人のいない殺人の夜』
人を追い詰めるものは、悪意に限らないってことよね。
死に追いやるのもまた、殺意に限らないってことよね。
もしもこの世が、善良な人しかいない世の中になったとしても、自殺や殺人はなくならないのかも。
善良というか、悪意がないからこそタチが悪い場合もあるし。
・・・やれやれ。
なんつーかさ、すげー追い詰められちゃって誰かを殺したくなったとしても、人を殺すことは自分を殺すことだから。自分の人生にトドメ刺しちゃうことだから。自殺は言うに及ばず。
みんな、自分を大事にしようね。
しっかし、純粋な好意や期待や愛情がマイナスの方向にはたらく現象って、ホントやりきれないわ。与えてる側はまず気づかないし。気づけないし。それがまた問題をややこしくしてくれる・・・っていうか、も~!どーしたらいいのよ。
加害者にならないために、誰にも愛情を注がないっていうのも極端な話だよね。かといって、「万が一相手や自分を死に追いやることになったとしても構わない」なんていちいち覚悟するってのも、なんだかなぁ・・・。
大体、何が引き金になるかわかんないんだし。自分にとってはめちゃくちゃ些細なことかもしれないし。そういう自覚できないとこまで含めて命がけになれっての?
・・・うーん、生きるからには、それくらいの責任はしょわなきゃなんないのかな。
まあ、最善の方法は、まだ深刻な状況にならないうちに「あ、それ嫌だから。ゴメン」って意思表示することだろな。
でもねえ!深刻な状況に陥る前に気づくってのがまた、難しいんですよ!(なぜか大声)
これは迷宮入りだな・・・。