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聖徳太子と斑鳩の杜

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カテゴリ:聖徳太子の謎

 『上宮記』は、橘寺法空『聖徳太子平氏伝雑勘文』下三に、「凡上宮記三巻者、太子御作也」とあることから三巻とわかる。星
 卜部兼文『神祇大副卜部兼文勘点文』(天寿国曼茶羅繍張縁起勘点文)では『上宮記』に記載される系図を引用し、万葉仮名が七世紀前半期のものと一致することなどから、記紀成立以前の内容を有する書であると考えられ、『書紀』推古天皇二十八年条に、皇太子と馬子が相議って、「天皇記」「国記」や臣連等の「本記」を記録したとあることから、この時点で成作されたものと思われる。しかし、作成開始より間もない時期に聖徳太子は薨去されていることから、太子の側近によって記されたものと考えられ、そこに注される「法大王」との呼称が生前より使用されていた可能性もあるが、「上宮」を聖徳太子家個人の名称とする従来の考えには肯首しかねる部分があり、『書紀』皇極三年十一月条には蘇我蝦夷の家を「上宮門」と呼んだ例があることから、「上宮家」を直ちに、聖徳太子の一族とすることは難しく、この『上宮記』のみを見る限り、「ウマヤト」や「トヨトミミ」等の名称が記されてはいないことより、聖徳太子家の記録と見るには躊躇される。ぽっ


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最終更新日  2006年09月14日 12時28分57秒
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