2006年09月02日

飛鳥時代にペルシャ人が来日!?

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カテゴリ:聖徳太子の謎

 『日本書紀』崇峻元年春に「寺院の建築士であるダラミタ、モンケコシ。露盤(ろばん=露盤は塔の屋根頂部に置いて雨仕舞の役割を果たす建築部材)博士であるショウトクハクマイジュン。瓦博士のマナモンヌ、ヨウオキモン、リョウキモン、シャクマタイミ。画工のビャッカ」が来たとある。大笑い

 京都大学名誉教授の伊藤義教氏はペルシア学の権威であり、これらの名称を考察した。

 それによると、中世ペルシャ語でダラミタは、そのまま寺工を意味し、コンケコシはテント型のお堂をさし、ショウトクハクマイジュンは露盤、マナモンヌは屋根葺き、ヨウキモンは丸瓦、シャクマタイミは鬼瓦、ビャッカは彫刻を意味するそうです。びっくり

 これらを考えると、百済かきた職人はペルシャ人か、またはペルシャ語が百済に伝わり、職人の名称を直接ペルシャ語から使用したか。もし、これが正確だとすると法興寺や法隆寺はペルシア様式と何らかの関係性があることを示唆していると思われます。星


『扶桑国王蘇我一族の真実』から引用

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最終更新日  2006年09月03日 23時52分41秒
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