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![]() 自分が生まれた当時は家族で母の実家で暮らしていた 4歳までの幼い頃記憶には両親より青森のばっちゃんじっちゃんと過ごした記憶の方が多い ばっちゃんは自分が生まれる前は孫ができるのをちょっと嫌がっていたようだ笑 当時母は20歳で自分を産んだし何せばっちゃんは42歳で祖母になってしまったのだ当然だろう が笑生まれた途端に初孫が余程可愛かったのかもう抱っこしてる母からもすぐ取り上げて離さなかったようで可愛いがりっぷりは尋常じゃなかったらしい笑 性格はかなり気が強く厳しいところもあったがそうだいつもおんぶされ可愛いがられてた記憶は鮮明だ 産院では赤ん坊だった自分を可愛いな可愛いもんだなと何度も言っていたとのこと 4歳になり秋田に引越したときはばっちゃんは自分がいなくなり泣いていたと成長するまで何度も聞かされた 秋田に来てからは 春夏冬休みは生まれ故郷青森に帰省していたので1年のうち1ヶ月間は青森で過ごしていたことになる 時は過ぎ母親のこと叔父たちとの思想の違いで数年疎遠となっていたが 余命わずかと宣告された母親を守らねばと思いながら急遽神戸から引越し 連絡するが しかし身内なのにどうしてここまでできるのか 身内であるからこそ難しいのか 何故こうなるのか しかし何があろうとも何が何でも絶対守らなければならないものがある 絶対譲るわけにはいかない 母さんのことで絶対後悔するなよ!実際に言ってしまった言葉 そんな怒りを持ちながら時は過ぎ その間もばっちゃんは自分に会いたがっていたようだが そうしてる間に 父と叔母からばっちゃんの 重症入院の知らせがあり 正直複雑な気持ちはあったが やはり可愛いがってくれたばっちゃんのこと思うととっさに青森向かっていて それから半年間4度見舞いに行き夏と冬には一週間ほどそばにいることができた そうしてばっちゃんは東北大震災の2週間後に永眠となった 震災後で新幹線は通っておらずギリギリ高速バスが開通したとあって夜行バスで青森に向かった ばっちゃんの火葬後はやはり跡形もなく熱い骨壷を抱いて葬式に向かうその時だったかな 叔父から聞いたのだが 昔 ばっちゃんが外出先でパフェを食べてかなり美味しいかったらしく これを自分に食べさせてやりてなと何度も何度も言っていたというのだ それを見て叔父は ばっちゃんは孫である自分のことが本当可愛いんだなと思ったらしい 何だよその話ばっちゃんが生きてるうちに言ってくれよ!と思ったよ いろいろあったがばっちゃんの見舞いも少しだけでも世話できたし 葬式に来てばっちゃんとの最期のお別れができた 叔父とも話せて良かったと思っている これ以後から何かが変わってきているような気がしている やはりばっちゃんが自分を一番愛してくれた人に間違いないのだ 自分もばっちゃんは一番縁が深い人だと確信している そしてこれから皆がいい方向にと 向かっていければいい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.18 20:17:57
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