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カテゴリ:私
中学時代、ワケありで不登校気味だった私。
荒れた学校だったので、いじめられたわけではなかったけど、 なかなか足が向かず。父がいる日は頑張って行ったけど… 母もパート始めて日中父と2人きりになるのはイヤだったから。 ぼろい校舎が少々トラウマで、選んだ高校は創立まもない新設校。 一応父にも話してはあって、「いきたいところにいけばいい」 なんて言っていたのに。 願書を出した日、たまたま父が家にいて 「願書だしてきた」 「どこに?」 「(こないだ言ったのに)○○高校」 「○×高校じゃないのか?なんでそんなところに願書出したんだ! 出しなおして来い!そんなカス高校行ったってしょーがない!!」 ○×高校は受験できる公立校の中では一番古い学校。 古い→歴史がある→知名度の高いいい学校 という図式が父にはあるらしく、 同じくらいの学力レベルでも○○高校は父の脳内ではカス判定。 「そんなことができるわけない!」と大泣きした私。 自分を完全否定された気分で、とにかく悲しくて。 でも…実は当時の制度では、倍率がでたあとで出願し直しもできたのです。 父はそんなところいちいち確認しないと思って、黙っていました。 精一杯の、抵抗。 ○○高校はそれほど頑張らなくても入れたのですが、 …がんばりましたよ。人生の中で一番勉強したかも。 そして、受験。 受かりました。 当日雪で、昇降口で滑ったけど。 一応学費を出してもらう身分なので、父にも報告。 また罵倒されると身構えたら 「新設校でもいい学校なんだって○○高校。がんばれよ。」 はあ!? 父の職場から比較的近い学校だったので、父が 「あんな学校受けるなんていいやがって」 と話をしたら、 「すごいじゃない。娘さん頭いいのね~。」 と持ち上げられて、すっかり上機嫌になったらしい… 家族の意見は全く聞かないのに、人の話はちゃんと聞いている。 しかもあれだけごちゃごちゃ言ったことはすっかり忘れて…ご機嫌。 典型的なモラハラのパターンですね。 この件以来、就職して家を出るまでは お金の必要な場面以外ではほとんど会話しませんでした。 大学行くときと、車の免許取るときかな? 大学は育英会のお金で半分くらい賄ったし、 免許取ったときのお金は後で返しましたよ。 卒業とともに家を出て、結婚して子ども産んで… 顔をあわせるのも年に2・3回になって、 しばらくは平穏だったんですが。 数年前、事件が。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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