テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:本
2年に続き再び!
図書委員会になりました!! 委員会の任期は1年なので、卒業まで図書委員会さんにお世話になります~♪ 最近の現代文の授業で 夏目漱石さんのこころをやっているんですが な ん で 中 途 半 端 な の やるなら全部やってくれよ!! なんで部分だけなの!!! うちは全部読みたいんだぁああぁぁああああぁぁあ!!! …と、いうことで、 授業で取り扱われないうちに全部読みました♪ ネタバレなので伏せますね ↓↓↓ 新潮社文庫での「こころ」の、三好さんの批評と被りますが 最後に『先生』が誰にも話さずに秘密にしておいて欲しい、と書き残してあるのに 『私』は、この作品にて『先生』のことを語っています 真面目で先生をよく慕い、信頼していた『私』のとる行動としては到底考えられません。 このことが不思議でなりません。 あまりにも大きな矛盾です。 そして、不思議な点といえば 最初『私』視点で書かれていることに対し 後半は、先生の遺書、つまり『先生』視点に切り替わっています。 そこはそれぞれ『私』と『先生』との文章の書き方を上手に替えた点は 見事としか言いようがないのですが 『私』が『先生』を酷く心配し、汽車に飛び乗り 『先生』の宅まで向かっていくところから 後半の、先生の遺書を読むこと(先生の自白形式)につながっているのですが そこからは先生の遺書に対して『私』が抱いた感想が全く挟まれていないのです 感想どころか、ただ淡々と先生の遺書がつづられているだけなのです まるで、物語の『私』ではなく 読み手としての私自身に語られているかのようです そして最後まで一言も『私』のことについては語られず 先生の遺書が終わると、「こころ」も終わってしまうのです 私は、その後の『私』と『先生』について、「こころ」について この先があるならば、どのような結末を迎えることを夏目漱石さんが想像していたのか 気になってしょうがありません ↑↑↑ ここまで 夏目漱石さんの「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」も、まだ未読なんですよね… ぜひとも読まねば!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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