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夢の続き

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2007.04.29
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カテゴリ:
2年に続き再び!
図書委員会になりました!!
委員会の任期は1年なので、卒業まで図書委員会さんにお世話になります~♪
読みたい本リクエストしまくるぜ!

最近の現代文の授業で
夏目漱石さんのこころをやっているんですが
な ん で 中 途 半 端 な の
やるなら全部やってくれよ!!
なんで部分だけなの!!!
うちは全部読みたいんだぁああぁぁああああぁぁあ!!!



…と、いうことで、




こころ



授業で取り扱われないうちに全部読みました♪



ネタバレなので伏せますね
↓↓↓
新潮社文庫での「こころ」の、三好さんの批評と被りますが
最後に『先生』が誰にも話さずに秘密にしておいて欲しい、と書き残してあるのに
『私』は、この作品にて『先生』のことを語っています
真面目で先生をよく慕い、信頼していた『私』のとる行動としては到底考えられません。
このことが不思議でなりません。
あまりにも大きな矛盾です。

そして、不思議な点といえば
最初『私』視点で書かれていることに対し
後半は、先生の遺書、つまり『先生』視点に切り替わっています。
そこはそれぞれ『私』と『先生』との文章の書き方を上手に替えた点は
見事としか言いようがないのですが
『私』が『先生』を酷く心配し、汽車に飛び乗り
『先生』の宅まで向かっていくところから
後半の、先生の遺書を読むこと(先生の自白形式)につながっているのですが
そこからは先生の遺書に対して『私』が抱いた感想が全く挟まれていないのです
感想どころか、ただ淡々と先生の遺書がつづられているだけなのです
まるで、物語の『私』ではなく
読み手としての私自身に語られているかのようです
そして最後まで一言も『私』のことについては語られず
先生の遺書が終わると、「こころ」も終わってしまうのです

私は、その後の『私』と『先生』について、「こころ」について
この先があるならば、どのような結末を迎えることを夏目漱石さんが想像していたのか
気になってしょうがありません

↑↑↑
ここまで


夏目漱石さんの「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」も、まだ未読なんですよね…
ぜひとも読まねば!!





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Last updated  2007.04.29 19:33:08
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