2005/12/26(月)22:55
バカと恐怖はつかいよう。その1
どうして、建築家とマーケティングのカテゴリに"恐怖"などというものをとりあげたかといえば、私の"世の中に無駄なものはない”という博愛主義のなせる業である。実はマンガを読んでたらおもいついただけなんだが。
ここで"恐怖"というと、"とっても怖くて逃げだしたくなるもの"と思う人が多いとおもうんだけど、そういう"点"の解釈じゃなくて、恐怖というものの大から小まですべてひっくるめた、方向性って考えてもらうとわかりやすいかも。思いっきりわかりにくくいうと、一つの空間内のベクトルで、マイナスからプラス両方向に無限に伸びてる線だと定義したい。
それが、商業空間において、恐怖それ自体が魅力、あるいは、他の魅力を引き立てるんじゃないかという仮説なわけである。(俺も物好きだなー。)
そのような状況を作るためのある種の"恐怖"の程度や組み合わせ、あるいは、現実空間に反映させ調和させる"さじかげん"みたいなもんを極められるんじゃないかという考えなのである。
察しのいい人は、アーあれね!といくつか思い浮かぶだろう。
たとえば、
肉体的な苦痛や生命への悪影響を使ったやつ。
>サウナで脱水症状になるとビールがうまいとか、暑い部屋だとビールがうまいとか。
>生命の危険が迫ると、異性と交わりたくなるとか。
>台湾で、マイナス20度の室温のウォッカバーが人気だとか。
>地震の恐怖を訴えると、色々売れるものがあるとか。
それも確かにそうなんだが、それは、単に同じ恐怖のベクトル上で、マイナスとプラスを対比させてその差を大きくしてるっていう単純なもの。私の狙ってるのは、もっとハイレベルなのだ。
例えば
>茶室の異様に狭いにじり口を不安と苦痛をかかえながら通りぬけると、俗世間を忘れた振る舞いを楽しめる。とか。
>超高層の窓際では、単価の高い飲食店が成り立つとか、特別な人と扱われた気がするとか。
>おもいっきり熱いコーヒーや茶をすすると落ち着くとか。
そのためには、恐怖というものの総体を把握しておきたい。
例えていうなら、昔の人が苦労して、幸福の総体を把握するために"七福神"なんてものを考えたように。
また話が長くなって、"読んでもわからないし、長文で目がチカチカする"なんていわれないように、今日は、なぜ怖いのか、とっても理解しにくい具体的な"恐怖"ちょっとあげておいておわりにする。
●ゴキブリがなぜか怖い。かなぶんとかは怖くないのになー。不潔だとか以外になにか、意識できない恐怖がからんでる。人によってはアリが怖いという人もいる。
●人の気配がしないのに、ふと後ろをふりむくと、30CM位の所に人の顔があるととてつもなく怖い。単に予想外だからだけじゃない。だって人の場合が一番怖いから。
●知らない人に怒った顔で見られるより、薄笑いで見られるほうが怖い。
●完全な静寂だと、なぜかたまに怖くなる事がある。(特に見知らぬ場所じゃなくとも)
●"呪怨"がとてつもなく怖い。いままで経験した怖さの中で一番だ。"生命の危険"や"予備知識の無い怖さ"も含まれるが他にとても重要な怖さのファクターがからんでる。なぜなら、エイリアンやプレデターやエクソシストとは全く違うものが感じられる。
●蛾は怖いけど、蝶は怖くない。毒があるとかないとかだけじやないような気が。
●黒いものが怖い。(カラスなど)。でも私はある特異体験があってカラスは怖くない。
●黒い家蜘蛛は怖くないが、黄色が混じった蜘蛛は怖い。
●ナマコが怖い。
●とてつもない美女がこわい。
後日、出尽くしたところで、7つの恐怖のファクターを考えてみたい。こりゃ難儀だぞー。
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