辞書も歩けば

2006/10/13(金)10:21

食い物の怨み プエルトリコ編

食事(12)

 プエルトリコの首都サンフアンは、スペインがつくった旧市街と、アメリカがつくった新市街に分かれていて、その間がやたらと離れている。  マドリーに一泊して、そこからさらに11時間の長旅。ホテルは空港から近い方がよいとごく単純に考えていて、JCBに特別な注文はつけなかった。それに一応、競技にやってきたからには日本選手団と離れたホテルでは何かと都合が悪い。  メキシコ料理店などがあるとは聞いていたが、ぼくたちの求めるものは旧市街に行かないとなかった。日中は40度近くになるなか、毎日のように10キロ近い距離を往復した。  日本選手団についてくるJTBの人たちはたいてい、日本料理と中華しか教えてくれない。 もともとJTBがそれでいいと思っているためなのか、それとも、これまでの選手団がことごとく、現地のものよりなじみのある食事を好んできたためなのか。そのあたりはよくわからない。  それにしても、ここプエルトリコはもとスペインの領土。米を使った料理も多く、日本人の口にも合うものがいくらでも見つかるはずだ。ハナからそれを放棄して、ひたすら無難なものを求めるのは実に味気ない。  日本選手団の食わず嫌いは、イタリアで証明済みだ。  こっちがおいしいものを見つけてきて教えてあげたり、注文してあげたりすれば、必ずみんな喜んで食べてくれる。  どこまでが、あとでやってきたアメリカの影響を受けたものかはわからないが、旧市街からやや離れたところに、豪快なまぐろのタタキがあった。大きな塊が三つも入っている。これはあまり一般向きではない。  いちばんよかったのが、ぞうすいに近いasopaoという料理。なかでもイカスミのアソパオが最高だった。  すると、その情報が添乗員に伝わり、添乗員が選手を引き連れて食べていくという流れになる。いったい、ぼくらは添乗員の何なのだ。  市内の全容をほぼ把握し、残された日数でいったいあとどれだけのものが食べられるか。一度一度の食事が、まさに真剣勝負そのものになる。  ところが、突然懇親会の話が持ち上がり、意見を言う間もなく、会場は中華料理を出す店に決まっていた。しかも、会費一人50ドル。旧市街のおいしいところでも、二人でフルコースにワインもつけて80ドルでは収まっていたのに、アルコール抜きの値段で二人で100ドル。しかも、それが日本じゃとても商売にならないような味付けだ。  確かにある程度のまとまった人数を収容できる店はそう多くはないかもしれない。店の予約をした添乗員は、(JTBで悪の三点セットと呼ばれている)襟なし、半パン、サンダルばきで下見に行って、一度追い返されたという。それくらいなら、もう少し探す余地があったのではないか。何なら、こちらに一言声をかけてくれてもよかったのではないかと思う。だれもが、この土地の中華、なかでもその店の中華をどうしても食べたいというのなら話は別だが、だれひとりそんなことを思っている人はいない。  それなら、なるべく現地の特色が出た料理で、日本人の口にも合うものの方が、のちのちの思い出にもなろうというものだ。  ぼくたちはサンフアンには6泊の予定で来た。ということは、夕食は5回しか食べることができない。数時間で着いてしまう東南アジアとはちがって、この次いつ来れるかわからない。もしかしたら、もう一生来れないかもしれない。  その5回のうちの1回を、こういうかたちで奪われたのは、人生の20%に相当する損失である。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。

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