辞書も歩けば

2006/12/27(水)00:00

★猫も杓子も、猫が尺子に(2006年6月翻友会HP掲載)

日本語(18)

 今はもう聞くことができなくなった夢路いとし喜味こいしの漫才に「いなくなった猫」の話がある。ボケの家から猫がいなくなり、ツッコミが張り紙の書き方などを詳しく教えたあと、猫が見つかったときにはお礼をしなければならないと言う。ボケが「お礼って100円くらい」ととぼけたことを言うと、ツッコミは「大切な家族を見つけてもらって100円はないやろ。最低でも1万はいる。で、きみはいくら出せる」と訊く。しばらくやりとりがあって、「3万」、「もう一声」、「5万」というボケの声を聞いてツッコミは「よし、それで手を打と。実はなその猫、今うちの家におんねん」と言う。  オチは初めから見えていても面白く聞ける漫才だった。ギャグなのに張り紙の書き方など、お手本になるもので、現実味もあれば人間味もある。それにひきかえ、現実の張り紙はどうか。今日も近所に「猫を探しています」という張り紙があちこちの電柱に張られていた。特徴が詳しく書いてあって、そのあとに一言だけ、「連絡先」とある。  いなくなった猫も可哀想だけれど、そんな文しか書けない飼い主はもっと可哀想。  そうかと思えば、「みんな心配しています」と書いてある張り紙もあった。いったい、だれがどういう立場で書いているのか、首をひねらざるをえない。  うちの3匹の猫に、「みんなで探しに行っといで」と言うと、妻が「そんなことしたら、この子たちが迷子になってしまう」。 「大丈夫。そのときは、心あたりの方はご面倒ですが下記までご連絡いただければありがたく存じます、とちゃんとした文面の張り紙を作るから」 「ううん、何か、問題がちがうんだけど、」  うちの猫はみなもともと捨て猫で、3匹目は公園でずっと餌をやって、ワクチンから避妊手術まで済ませてくれた人がいた。1匹でも助けてやってくれたらと言われて引き取った。  その後、うちで元気にしている写真を見せたら「幸せです」という答えが返ってきて、何度も礼を言われた。お礼を言うのはこっちなんだけど、という思いもある。  所詮はいっしょに暮らせない猫にもこれだけの愛情を注ぐ人がいるのに、10年も飼った猫がいなくなって「連絡先」の一言ですますかよ。  そう言えば、ぼくの『学校英語よ、さようなら』の表紙にも猫のイラストがある。こちらの都合も何もおかまいなしに、大学の教授に送って意見を求め、それに回答しろと迫る人がいる。「自腹を切って送った」と何度も書いてくる。その先生の丁寧な返事には頭が下がる思いがしたが、筋が通らぬものだけに、ぼくは動くことができない。何とも切ない。  猫も杓子も文を書いて世に問うようになって、その人の人となりを知るのに猫が尺子になる時代が来たようだ。

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