2356981 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

売り場に学ぼう

売り場に学ぼう

PR

全39件 (39件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

2022.08.17
XML
カテゴリ:ファッション
長年皇室関係の帽子デザインも手がけてきた平田暁夫さんが南青山スパイラルガーデンで開催した展覧会の写真です。インスタレーションの帽子作りを手伝ってくれる学生さんを集めてもらえないかと頼まれ、指導したことのある目白デザイン専門学校(現在 目白アート&デザインカレッジ)の学生さんを多数動員しました。写真の帽子の多くは彼らが手伝ってくれたものでした。

平田さん亡き後、後継者として活躍しているのがお嬢さんの平田欧子さん(本名石田欧子さん)。私が1985年CFD(東京ファッションデザイナー協議会)を立ち上げるとき、最初にアルバイトとして事務局を手伝ってくれたのが当時まだ大学生だった欧子ちゃんでした。この展覧会、空間演出はnendoが担当、平田さんはこの展覧会が評価されて毎日ファッション大賞に選ばれました。

年末になると、平田さんは生濁り酒を奥様と届けてくださいました。いまは欧子ちゃんとご主人が手配してくださいます。ありがたいことです。








参照:https://www.hiratatelier.com/history.html



<お知らせ>
太田伸之の交友録をアップしました。こちらからどうぞご覧ください。

https://plaza.rakuten.co.jp/md03inc/diary/202208170000/
または
https://ameblo.jp/nobuyuki-friends/entry-12759364448.html






Last updated  2022.08.17 23:06:25


2022.08.16
カテゴリ:ファッション
CFD(東京ファッションデザイナー協議会)設立からずっと自分の仕事の1つはインキュベーション、新人若手デザイナーを世に送り出すことだと思い、JFW(日本ファッションウイーク推進機構)担当理事になってからもあれこれいろんな形で次世代デザイナーのサポートを進めてきました。

その典型的なイベントが2007年秋に開催した「ヨーロッパで出会った新人たち」。ロンドンのセントマーチンズ校、アントワープの王立芸術アカデミーを卒業したばかりの若者が訪ねてきました。中章、山縣良和、玉井健太郎、坂部三樹郎、堀内太郎くんたち、2007年春のことでした。帰国したら独自に自身のブランドビジネスを、デビューショーをやるよりも違う形でコレクションを見せてはどうか、やる気あるならば経費はJFW側で負担してもいい、と話しました。

最終的にJFW会期中にショー発表はせず、ミッドタウンの21_21デザインサイトを借りてインスタレーションを開催することに。会場費、展示の経費はJFWが負担しましたが、ポスターのために撮影するまでの予算はなく、山縣くんがセントマーチンズ卒業時に撮影した写真が面白かったので「これを画像の粗さがわからないギリギリの大きさまで拡大してポスターに使用してみては」と下のポスターを東京ミッドタウンのあちこちに貼りました。



彼らは貨物用コンテナをデザイナー1人に1台ずつ持ち込み、コンテナの中で自分の世界観と新作コレクション数点を披露しました。このとき経済産業大臣が視察、私がそれぞれのコンテナを説明、大臣は思ったより感動してくれて予定になかったディナーをご馳走してくれました。公的機関の仕事をやっていた関係もあって大臣たちに会う機会は何度もありましたが、現職の大臣にご馳走になったのはこのときだけです。

この新人イベントにグルジアから参加してくれたブランドStereotype's(ステレオタイプ)のデザイナーが2015年からバレンシアガで活躍しているデムナ・ヴァザリア(1981年生まれ)です。このとき個人的に一番面白いなと思ったコンテナブースは、アキバを連想させる「ミキオサカベ」でした。






参照:https://ginzamag.com/fashion/designerstalk/






Last updated  2022.08.16 17:11:57
2022.08.15
カテゴリ:ファッション
​2013年春夏パリコレ、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の名物ファッション記者スージー・メンケスはこのシーズンからスタートするディオールのラフ・シモンズ、サンローランのエディ・スリマンについてBattle of championsと題し特集記事を書きました。1968年生まれの2人が次の時代のパリコレを牽引すると期待を込めての記事でしたが、パリを代表するブランドはそれぞれ早期に解任、2人は長く続きませんでした。

写真はラフのディオール。エディのサンローランほどブランドイメージとの乖離、違和感は感じませんでしたが、正直言って「パンチに欠けるなあ」でした。最初のシーズン、しかも準備期間は短く、シーズンを重ねるごとに良くなるはずと思っていましたが。ブランドの継承ってほんとに難しいです。

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Raf_Simons












(ラフ・シモンズ)

​​​​​​​​​​






Last updated  2022.08.16 08:34:26
2022.08.14
カテゴリ:ファッション
老舗ブランドのセリーヌを最初に再生したデザイナーは米国のマイケル・コースでした。当時、セリーヌ以外にもルイヴィトンはマーク・ジェイコブス、ロエベはナルシソ・ロドリゲス、グッチはトム・フォード、それぞれ米国デザイナーを迎えてブランドをブラッシュアップしました。概して米国デザイナーはファンタジーな創作活動だけでなく、ビジネスも頭の隅っこに入れてバランスのとれたコレクションを創るので、ヨーロッパの老舗は米国デザイナーを選んだのかもしれません。



マイケル・コースがブラッシュアップした後、英国のフィービー・ファイロ(写真上)がセリーヌに迎えられ(2008年から2017年まで)、ブランドイメージはより明確に、その世界観は多くの消費者に支持されました。構築的なラインを出すためにフィービーは思い切りスポンジングしてバリバリになる寸前のテキスタイルを多用、服はかなりの重量でした。写真は2013年秋冬コレクション、一見軽そうに見えますが十分重いです。ショールームで訊ねたら、日本製素材はコレクション全体の7割とのことでした。

彼女はLVMHグループと組んで再びファッションの世界に戻ってきます。セリーヌ時代のように日本製素材をふんだんに使って凛とした女性のスタイルを見たいです。


参照 https://en.wikipedia.org/wiki/Phoebe_Philo
















Last updated  2022.08.14 16:52:47
2022.08.10
ANAでもJALでも、東京からニューヨークへのフライトは現地時間の午前中ケネディ空港に到着しました。所属していた百貨店の大改装のヒント探し、あるいは社員引率しての研修など年に5回ニューヨーク出張したこともありました。ホテルにチェックインすると、すぐに五番街西57丁目BERGDORF GOODMANへ、次にマジソン街東60丁目BARNEYS NEW YORKを視察、その後定数定量管理のお手本CRATE & BARRELマジソン店をチェック、五番街を10ブロック歩いてSAKS FIFTH AVENUEが出張初日の定番コースでした。倒産していまはなきBARNEYS NEW YORK、日本ブランドの導入でお手伝いした店なので特別な思い入れがあり、いまとなっては懐かしい写真です。(撮影:2019年10月)















Last updated  2022.08.11 07:03:22
2022.08.09
消費者がファッションに熱い視線を送るアジアの国という点では中国以上にタイ、首都バンコクは若い男性たちが最もおしゃれな都市かもしれません。メンストリートには東南アジアで最も賑わうラグジュアリーモールの「サイアム・パラゴン」があります。パリ、ミラノのラグジュアリーブランドはほとんど全て入居、午前の開店時からディナータイムまでずっと賑わっています。ここまで賑わうラグジュアリーモールは世界見回してもあまりないでしょう。「パラゴン」の並びにはカジュアル系ブランドを集めた「サイアム・センター」、そして日本企業がプロデュースしたかのような「サイアム・ディスカヴァリー」。
3館を経営するのはSIAM PIWAT(サイアム・ピワット社)というタイ王室と深い関係がある会社です。「ディスカヴァリー」は「クールジャパン館」と言ってもいいユニークな商業施設、日本のnendoが空間演出しています。日本を代表するファッションブランドの大型ショップから、アニメ、漫画のキャラクターグッズの売り場、LOFTも含め日本のモダンな生活用品やリビング雑貨も揃っていて、我々日本人にはありがたいモールです。

SIAM DISCOVERYエントランス


nendoが設計した空間


Yohji Yamamoto discord


キャラクターグッズを集積した楽しいフロア



SIAM PIWATはかなり以前からLOFTを導入







Last updated  2022.08.10 15:57:11
2022.08.07
カテゴリ:ファッション
地方百貨店のバイヤーとして経験を積み、1977年秋冬シーズンにデザイナーとしてデビューしたペリー・エリス。シーズン重ねるごとに評価も人気もグングン上がり、気がつけばカルバン・クライン、ラルフ・ローレンと並ぶニューヨーク御三家の一角に。間違いなくニューヨークのトレンドセッターでした。

しかし、1986年秋冬コレクションのバックステージから病院に搬送され、46歳の若さで亡くなりました。デビューから8年間身近でその活躍を見てきた私には忘れ難い存在、「永遠のペリー・エリス」です。ネット検索でどうにか作品写真を拾いましたが、一世を風靡したデザイナーなのにアナログ時代ゆえ綺麗な写真はほとんどありません。ちゃんとしたアーカイブ、欲しいです。






















(Perry Ellis 1940-1986)


参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Perry_Ellis
   
「太田伸之の交友録」は以下から
https://plaza.rakuten.co.jp/md03inc/diary/202208060000/






Last updated  2022.08.11 01:12:03
2022.08.06
2008年は日本人移民がブラジルに渡って百年の記念すべき年。皇太子殿下(現在の天皇陛下)がブラジル国会で記念スピーチされたとき、サンパウロでは「モッタイナイ」をテーマにサンパウロ・ファッションウイークが開催されていました。パリからは高田賢三さんが基調講演スピーカーとして参加、東京の若手ミントデザインズがショー発表、私もセミナーのゲストの1人として招待されました。ブラジル企業はそれぞれ日本の文化や生活様式を取り込んだ楽しいブースを構え、回転寿司ベルト上にはビーチサンダルが流れ、忍者コスチュームの案内係や折り鶴のソファなどが目を引きました。こんなに楽しいファッションウイークは見たことない、ブラジルのファッションに未来はありそうと感じました。旧式折り畳み式携帯電話で撮影したので残念ながら画像は全部粗いです。お許しください。


サンパウロファッションウイークのメイン会場


世界的なビーチサンダルブランドhavaianas


回転ベルト上にhavaianasのビーチサンダル


婦人靴Melissaのブースでも壁面に回転ベルト


ミントデザインズのショー


高田賢三さんの講演


文化服装学院の小杉先生らと記念撮影


<太田伸之の交友録>
https://ameblo.jp/nobuyuki-friends/entry-12757351607.html
または
33) 彗星のごときデ…






Last updated  2022.08.06 19:46:01
2022.08.04
スイスのバーゼルから国境をこえてドイツにちょっと入った田園地帯に広大なVITRA DESIGN MUSEUMがあります。VITRA(ヴィトラ)は1950年代に創業の比較的新しい家具メーカーですが、1989年創業二代目経営者がここに家具とインテリアデザインを集積したデザインミュージアムを作り、世界各地から建築・インテリアの関係者や学生たちが見学にやってきます。中でも世界の椅子を集めたコレクションは圧巻、誰もが一度は見たことがありそうな椅子ばかり、年代別にズラリ並んでいます。

エントランスにはフランク・O・ゲイリーさん設計のシンボリックな建物、その左側には安藤忠雄さん設計の会議棟、後方にはザハ・ハディドさん設計の消防署ビルなど、世界的建築家の個性的な作品が並んでいます。ミュージアムスペースでは建築家たちの特別展がよく開かれ、子供たちがワークショップで利用できる作業場や広場も敷地内にあります。一日中各パビリオンを回っても全く飽きない、居心地の良い素晴らしい空間、建築・インテリア、プロダクトデザイン関係者のみならず、ファッションデザインに関わる人々にもぜひ一度は視察してもらいたい場所ですね。

フランス国境からもかなり近い場所なのでパリコレ視察の帰りに寄り道いかがですか。


正面入口の案内板


フランク・O・ゲイリーさん設計


安藤忠雄さん設計


ザハ・ハディドさん設計


1940〜1955年の椅子コレクション


1955〜1965年の椅子コレクション


(倉俣史朗さんデザインの椅子)


インテリアショールーム


インテリアショールーム



参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Vitra_Design_Museum
   https://en.wikipedia.org/wiki/Vitra_(furniture)
   https://www.vitra.com/ja-jp/home






Last updated  2022.08.04 23:55:15
カテゴリ:ファッション

このランウェイのフィナーレ写真を見て、すぐにブランド名が浮かぶ人はプロ中のプロ、言い方かえれば相当なファッション業界オタクかもしれません。その場にいた私ですが、いま「ブランド名は?」と訊かれても恐らく「言われてみればそうでした」と答えるでしょうね。

私のすぐ目の前の席にいたアメリカの高級百貨店CEOは、ショーがスタートして5人ほどモデルが登場したところで目をランウェイから背け、このフィナーレまでの間ずっと下を向きながら携帯電話をいじっていました。最前列の席でショーに見向きもしないで携帯電話いじりとは目立ちますが、期待を裏切られたという意思表示だったのかもしれません。








2013年3月初旬に開かれた同年秋冬サンローランのショー、デザインはアトリエをパリからわざわざ米国西海岸に移したとされるエディ・スリマンです。携帯いじりをしていたCEOが率いるニーマン・マーカス百貨店は長くサンローランとビジネスを続け、ダラス本店はじめ各支店の富裕層のお客様に絶大な人気があったはず。しかし、エディ・スリマンが描く新生サンローランはまるで映画「プリティーウーマン」そのもの、買取で取引する高級店にすれば「このグランジをどうお客様に説明するんだ!」という思いだったのではないでしょうか。私も東海岸プレッピーのようなダッフルコートが登場したときは「これはないんじゃないの」とたまげました。

この半年前の2013年春夏コレクション、エディ・スリマンの新生サンローランのデビュー翌日、ブランドのミューズ的存在だった女優カトリーヌ・ドヌーブが現地新聞に「二度とこのショーには来ません」ときついコメントを寄せていました。もちろん、一気にイメージを変えたエディ・スリマンを称賛するエディターも少なくなかったので、業界内は賛否両論でした。3シーズン目の2014年春夏シーズンも同じ路線、パリのエスプリは何処へやらでしたから、ブランドのマネジメント再度はエディのディレクションを指示しているものと思いました。が、結局契約途中でエディは解任でしたね。

ブランドのディレクションを根幹から大きく変えるのは難しい、と改めて感じたショーです。

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Hedi_Slimane






Last updated  2022.08.16 08:38:17
このブログでよく読まれている記事

全39件 (39件中 1-10件目)

1 2 3 4 >


© Rakuten Group, Inc.