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売り場に学ぼう by 太田伸之

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Profile

Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

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2025.01.31
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カテゴリ:ファッション
私はこれまでたくさんの大先輩に引き立てられ、長くファッション流通業界で楽しく仕事することができました​が、最も私のことを信頼し、活してくれたのは先日亡くなった古屋勝彦さん(松屋元社長)です。

​​盟友毎日新聞編集委員市倉浩二郎が急逝したとき、CFD議長だった私は人生の短さを痛感、本当にやりたかったマーチャンダイジングをやらずには死ねないとCFD退任を決意しました。ところが、デザイナーやアドバイザーの方々に退任をなかなか受け入れてもらえず、決意表明のような長文レポートを配布して説得を試みました。その一通をたまたま手にした古屋さんから会食のお誘いがありました。


​ニューヨーク出張でのツーショット​

古屋さんとの初めてのサシご飯は銀座コアビルにあったエノテーカピンキオーリ、松屋の子会社が経営するイタリアンの名店でした。古屋さんはまず私の退任決意文の感想を述べ、「あなたはいろんな会社から誘われているでしょうが、松屋もそのリストに入れてもらえないだろうか」。「リストの中に入れて」という表現に人柄を感じた私は、この人とならうまく仕事できるかもしれないと思いました。

私はその場で「いろんな会社を天秤にかけるマネはしたくありません。御社に入れてください」と返し、「ただし正式にCFD議長を退任するまでしばらくの間極秘にしておいてくれませんか」とお願いしました。​
松屋に入ったら私にやって欲しいことを3点、具体的なミッションをおっしゃったこともその場で即答する気になった理由です。

それから半年後の1995年4月、翌日にCFD議長退任記者会見を予定しているにもかかわらず松屋側からは何の連絡もありません。おかしいなと思って仲介者に連絡したところ「黙ってろと言われたので社長は黙っていた。これから社長が幹部を集めて説明するのですぐ略歴を送ってください」と言われ、慌てて略歴をファックス送信しました。


私の就任パーティー時の古屋さんと山中さん

翌日松屋の人事担当役員Мさんを訪ねたら、その足で東武百貨店山中社長(松屋前社長。私たちが奔走して設立したI.F.I.ビジネススクール理事長)に説明した方がいいとアドバイスされ、東武百貨店社長秘書に電話してその足で池袋に。

「松屋に行きます」と言ったら、山中さんは怖い顔してタバコを吸いながら黙り込んでしまいました。数分間の沈黙の後「古屋がもって行くということだな」とポツリ、CFD退任希望のことは話してあったので、山中さんは私に別の会社を勧めるつもりでした。

翌週、松屋に顔を出したら古屋さんは「役職はどうしようか。松屋の役員、(子会社シンクタンク)東京生活研究所の社長、グループ経営者会議に出るのが面倒なら研究所専務取締役所長というのもある」。スカウトした人間にトップが役職を問うなんて聞いたことありませんが、これも古屋さんの人柄でしょう。​
「役職でお給料は違うんでしょうか」と質問したら、「それはどれも同じ」、私は迷わず一番責任が軽そうな子会社専務取締役所長を選びました。


パーティーで挨拶する古屋勝彦社長

そして、「あなたは業界の有名人だから就任パーティーをしなければ」と招待客約500人の大パーティーを開催してくれました。古屋さんは創業家の4代目社長ですが就任パーティーをしていませんから過分な扱いでした。しかもパーティー冒頭の社長挨拶では「(三国志の)諸葛孔明、(石田三成の家臣)島左近のような人が松屋に来てくれた」とこちらが恥ずかしくなる紹介でした。

就任パーティーが終わって会場ビル内のレストランへ二人で立ち寄りました。このとき古屋さんは「給料、安かったかな」、私は「そうですね」と返したら、一言だけ「ごめんね」、給料が変わることはありませんでした。やりたい仕事をやりたくて転職したのですから、役職や給料など処遇は気にしていませんでした。

この直後、事件が起こりました。CFD議長退任記者会見にも出席したフリージャーナリストが某週刊誌にびっくり仰天記事を書いたのです。私の就任に関して「アメリカかぶれに何ができると社内では早くも批判的な声が上がっている」と。トップダウンで採用された私のことを快く思わない人も中にはいたのでしょう。顔写真は私が取材者に手渡したものが掲載され、なんとも悪意に満ちた記事でした。

当時私はI.F.I.ビジネススクール夜間プロフェッショナルコースでマーチャンダイジングの基本を指導していましたし、CFD設立前はニューヨークで8年間ジャーナリスト経験もあるので「アメリカかぶれ」という表現になったのでしょう。出る杭は打たれる、CFD10年間で何度も経験していましたが、週刊誌の一撃はさすがにショックでした。

週刊誌発売数日後、松屋が大手銀行新ユニホームコンペに参加していたので私がプレゼンすることになっていました。お堅い銀行へのプレゼンに週刊誌で叩かれたばかりの人間が担当するのは松屋にとってマイナス、私は辞退しました。

しかし、古屋さんは「あんな記事は気にするな。あなたが進めてくれた案をあなたがプレゼンするのが一番いいに決まってる」と背中を押してくれました。

私の転職ご祝儀としてトップデザイナーが特別にデザインしてくれた画期的なユニホームのサンプルをもってコンペに。でも残念ながら我々の案は採用されませんでした。敗因は週刊誌の記事ではなく、デザインがあまりに斬新だったから採用されなかったそうです。

週刊誌騒動以降も古屋さんには何度も背中を押してもらいました。松屋入りを勧められた最初の会食での「この人となら」の予感は的中、私はほんとに素晴らしいボスと仕事することができました。







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Last updated  2025.03.10 02:10:38
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