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売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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全166件 (166件中 31-40件目)

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2019.10.21
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今回のニューヨーク出張は米国の新興アパレル企業にマーチャンダイジングの助言をするのが主目的でしたが、私の出張に合わせて現在も指導してる百貨店の若手社員が恒例海外研修のために同行しました。研修団へのオリテンでは、現地百貨店の動向、新しい成長業態の動向、「美と健康」の生活価値観、そしてマーチャンダイジングの基本を見る、この4項目を売場でチェックするよう説明してありました。

特に、化粧品売場を2階に移設してずっこけたSAKS FIFTH AVENUE、二度目のチャプター11(倒産)を申請するに至ったBARNEYS NEW YORKの失敗要因を探る、1店舗しかないBERGDORF GOODMANがどうしてベンダーと消費者から信頼されるのか、AMAZON BOOKSやアパレルのEVERLANEのようなネットビジネスがリアル店舗を展開している事例から今後のビジネスのあり方を考える、これが研修のポイントでした。


 (SAKSメインフロアー)


 (SAKS2階から)


 (人影がない化粧品売場)

SAKSが化粧品売場を2階に移設してから化粧品は絶不調と聞いていましたが、実際にどうなっているのかこの目で確かめる、これが私の1番の関心事でした。かつてメインフロアに化粧品売場があった頃のSAKSはこの化粧品売場と8階特選婦人靴売場だけは賑わっていました。が、五番街のドアを開けた瞬間、あまりの人影のなさにびっくり。こんなにメインフロアにお客様のいないSAKSは初めてです。

2階化粧品売場に誘導するために新設したエスカレーターを上ると、ここもお客様の人影はまばら。世界のコスメ業界から高く評価され、「化粧品と香水ならSAKS」だった時代が長かったのでこんなにヒマな化粧品売場は初めて。事前にいろんな人から聞いていたのでここまでは想定内です。

ショッキングだったのは8階特選婦人靴売場。SAKSが8階に思い切ってラグジュアリー婦人靴の広い売場をつくってから、米国の競合店もヨーロッパの百貨店も婦人靴売場をドーンと拡充する流れができました。特選婦人靴の大ヒットの先駆けだったSAKS、平日の午前中からソファに陣取って靴のボックスを数箱積み上げて接客されるマダム達が多かったフロアでしたが、ここも閑古鳥状態。こんなにヒマなSAKSの8階は初めて、これは想定外でした。


 (8階婦人靴フロア)


 (いつも賑わっていたルブタンでも人影なし)

SAKSの数分前に視察した近くのBERGDORF GOODMAN2階特選婦人靴にはたくさんの買い物客がいましたから、こんなに人影がいないなんてちょっと考えられません。化粧品の2階移設でメインフロアがガラーンとなったらドル箱だった8階婦人靴までヒマになるなんて衝撃的でした。やはり化粧品はトラフィックの多いフロアで展開しなければいけない、メインフロアに人影がなくなると上層階にまで大きな影響がある、我々も肝に銘じなくてはなりません。





8階でショックを受けたあと、エスカレーターで紳士服フロア、婦人服フロアに下りました。これまで人気を誇った8階婦人靴が閑古鳥なんですから、もともとヒマだった紳士服、婦人服フロアは上の写真のようにガラガラ。ミラノ、パリコレクションの花形ブランドがずらり並んでいるんですが、手の打ちようがないのではと思えるほど悲惨な光景。どんなアングルで写真撮影してもお客様の姿は入りません。

この出張中、破綻したBARNEYS NEW YORKは全米のお店を全て閉鎖、SAKSの親会社ハドソンベイとの間でSAKSの中にインショップ展開のセレクトショップとしてBARNEYSの名前を残す交渉をしているというニュースが流れましたが、こんな人影のない百貨店の本店にインショップを設置しても長続きしないのではと思います。

私はSAKS視察のあと、雨が降る中をダウンタウンのEVERLANEのリアル店舗に出かけました。かつて婦人靴のシガーソンモリソンのあったノリータ地区プリンスストリートにネットアパレルの成長株EVERLANEはありましたが、ここは雨にも関わらずお客様が楽しそうにお買い物、SAKSとはあまりに対照的でした。花形コレクションブランドを集める百貨店のSAKSと、製造原価を全て情報開示するボリューム価格のEVERLANEと同じレベルで論じることはできないかもしれませんが、あまりに対照的な光景に古いビジネスモデルと新しいビジネスモデルとの大きな違いを感じずにいられません。

SAKSのみならず、婦人靴フロアは賑わっていたBERGDORF GOODMANも、近々全米の全店が閉鎖になるらしいBARNEYS NEW YORKも、かつて世界の百貨店が参考にしたBLOOMINGDALESも、ファッションのフロアはどこもお客様より販売スタッフの数の方が多かった。にもかかわらず各店ともファッションは複数階で展開、しかも売場には大量の服、服、服。百貨店や大型ファッション店には新たな手、従来とは違うMD戦略はないんだろうか。ある程度は予想してのニューヨーク視察でしたが、売場に大量に並ぶ服と人影のなさは予想以上、かなりショッキングでした。






Last updated  2019.10.21 18:38:50
2019.10.20






同時多発テロで崩落したワールドトレードセンターの跡地はプレートに全犠牲者の名前を刻んだ公園になり、その周辺に新しいワールドトレードセンター(写真1枚目)が建ち、お向かいの高層ビルにはブルックフィールドプレイスショッピングセンター(3枚目写真のように入口にはルイヴィトン、エルメスが出店している)があり、地下鉄コンコースはとっても明るくモダンになっていました。ここで悲惨なテロ事件があったとは想像つかない光景でした。

ミッドタウンのハドソンヤードでも大規模な再開発が進行中です。すでに完成した区画にはなんとも不思議な形状の展望ビル(下の写真)に観光客が集まり、その横にはルイヴィトン、フェンディ、ディオールなどラグジュアリーブランドと、ユニクロ、ザラ、H&Mなど低価格ブランドの大型店が入居するショッピングモールが完成してました。

このモールになんとダラスに本拠地がある高級百貨店ニーマンマーカスが出店してました。系列のバーグドルフグッドマンが五番街にあるのでマンハッタンには出てこないものと思っていましたが、百貨店受難の時代に出るんですね、ちょっとびっくり。











そのニーマンマーカスの横には、同じダラス発祥の高級セレクトショップFORTY FIVE TEN(以下の写真)がメンズ、レディース、ヴィンテージ、雑貨とカテゴリーごとにショップを分け、全体ではものすごい広いスペースのお店だったのでこれまたびっくり。観光客しかこないようなこんな場所で果たしてラグジュアリーファッションが商売になるのかどうか....。でも、ここにこんなに大きなショップを出した心意気は凄いなあ、と。

ここでは、ヴィンテージもの(ブランド服の古着や古いバッグ、アクセサリー)だけを集積したショップが商品をしっかり揃えてカッコ良かった。この中に初期のプリーツプリーズのスカートが並んでいました。いま見ても新鮮に感じ、嬉しかったです。











伝統的な商業地区である五番街、マジソン街、そして80年代に街が様変わりしたソーホー、90年代に開発されたミートマーケットなどで空き家がかなり目立つ一方、新しく再開発されるモールには世界のブランドが集結する。こちらでは不動産バブルのような臭いを感じます。一体米国は景気が良いのか悪いのか、こんなの見てるとわからなくなってしまいます。

ハドソンヤードのニーマンマーカス百貨店に続き、来週西57丁目には顧客満足経営のノードストローム百貨店が本格的な店をオープンします。その一方でサックスフィフスアベニュー百貨店のブルックフィールドプレイス新店は早くも閉店、バーニーズニューヨークの全米閉鎖ニュースがあり、化粧品移設で失敗したサックスフィフスアベニュー本店は可哀想なくらいの閑古鳥状態。この対照的な動き、どうとらえたら良いのでしょうかね。






Last updated  2019.10.20 06:36:30
2019.10.19



一昨日、マジソン街のバーニーズニューヨーク旗艦店に行きました。二度目のチャプター11(倒産)申請の要因を売場で探るために。平日木曜日の午前中だったのでお客様の姿はほとんどなかったけれど、売場は綺麗に整理整頓され、バーグドルフグッドマンよりも商品そのものは美しく見えましたが、「こんなにブランド服ばかり並べて大丈夫なのか」とは思いました。

そして昨日流れたニュース。全米のストアは全て閉鎖し、今後はサックスフィフスアベニューの中にセレクトゾーンとしてショップインショップ展開でのみ残す方向で話が進んでいる、と。ついにバーニーズが消滅するときが来たとも言えるでしょう。1980年代前半、日本ブランドの一斉導入で協力した私としては残念でなりません。

1980年代前半まで、バーニーズはマンハッタンの中心街からはずれた西7番街17丁目に1店舗のみ、売上は日本円換算すると140億円程度でした。創業者バーニー・プレスマンの孫、ジーン・プレスマンから突然呼び出され、「日本のデザイナーを買い付けて(店内に)ショップを作りたいから手伝ってくれ」と頼まれました。ほぼ同じタイミングでバーニーズの宿敵シャリバリのジョン・ワイザーからも頼まれましたが、先にバーニーズに協力を約束したのでシャリバリは断りました。両店とも新しいリソースの開拓の必要に迫られていたのです。

1981年4月、パリコレ終了直後、ジーンとバイヤーが初来日する前に私は帰国、パルコやラフォーレ原宿、青山界隈の路面店を調査、どのブランドがバーニーズの新ショップに相応しいのか調べました。まだ、コムデギャルソンがパリコレ進出する前(パリコレ初参加は1981年秋)のことです。

そして1981年9月初め、店内にメンズとレディースそれぞれ「TOKYO」という名のショップをオープン、東57丁目にあった三越レストランでニューヨークタイムズやヴォーグの編集者を招いてミニショーを開催、いろんな米国メディアから私にも日本ブランドに関する問い合わせが増えました。「東京ブランドブーム」の始まりです。

何度か買い付けのため来日するうち、ジーンは「バーニーズを日本に出したい。パートナーを探してくれ」と言いました。ブルックスブラザーズ、ポールスチュアートの都内店を見てその気になったのでしょう。しかし、私は断りました。ブルックスもポールスチュアートもアメリカントラディショナルの専門店、自社開発オリジナル商品の構成比は高く、お店のディレクションが明確でした。

一方のバーニーズはトラッド商品もあればアルマーニを独占販売するなどヨーロッパのデザイナーブランドもたくさん扱うお店、日本市場でニューヨークと同じ品揃えが可能なのかどうか(ブランドのジャパン社がすんなり応じるか)、消費者にお店のイメージを明確に訴求できるのかどうか疑問でした。








その後、私はニューヨークを引き払って帰国、バーニーズとの関係はなくなりました。帰国後数年経って伊勢丹がバーニーズと提携、伊勢丹は640億円ほどを出資して共同運営会社バーニーズアメリカ社を設立、全米にバーニーズの多店舗展開するとともに日本にバーニーズを作るというニュースが入りました。正直、これは伊勢丹にとってあまりに危ない話ではないのかなと思いました。彼らの商品を見分ける能力とセンスは優れていましたが、多店舗を指揮する経営手腕と企業力そのものにはちょっと不安を感じていたからです。

伊勢丹から巨額の投資を引き出したダウンタウンのバーニーズは念願のアップタウンに大型店(マジソン街の旗艦店)を出し、ビバリーヒルズ、シカゴやニューヨーク郊外の高級ショッピングモールにも次々出店することができました。しかしながら数年後にバーニーズは破綻、一度目のチャプター11を申請して出資した伊勢丹は多額の損失を被りました。

一度目のチャプター11申請直後、ニューヨーク出張時にたまたまマジソン旗艦店の前を通りかかったら従業員がプラカードを掲げてストライキ中、プラカードには「ジーン・プレスマンは日本に行け!」とありました。従業員からすれば三代目社長のせいで倒産、自分たちは失業しかねない、これくらいのセリフは言いたくなるでしょうね。でも、ジーンだけの問題ではなかったはず、ちょっと気の毒かなと思いました。

プレスマン一族が去った後のバーニーズは引き続きパリやミラノのコレクションブランドをずらり揃えてはいたものの、その商品チョイスはコンサバ平凡になったなあ、と感じました。バーニーズに限ったことではなく、セレクトショップという業態はオーナー一族の目利き力がとても重要、計数管理にたけたビジネス人間中心にマーチャンダイジングをするとどうしても普通の洋服屋になってしまう傾向があります。言い方をかえれば、多店舗化して規模が大きくなるとオーナーの目が行き届かなくなる。

創業家のプレスマン一族がその目利きセンスの良さを発揮できる少数店舗でバーニーズを運営していたら、違った結果があったかもしれません。バーニーズニューヨークが消えるとは、ほんとに残念でなりません。






Last updated  2019.10.19 18:31:37
2019.10.11

 (台北の誠品生活とホテルが入居する建物)

今回の台湾出張滞在は日本の建築家伊東豊雄さんが設計したビルの中にある誠品書店が経営するホテル誠品行旅(Eslite Hotel)でした。モダンでシンプル、滞在生活は快適、値段はリーズナブル、しかも出張の主目的である台北ファッションウイークのメイン会場までは徒歩1、2分と非常に便利でした。このビルの中のショッピングモール誠品生活、これがまた素敵でした。台北市内の百貨店はヒマだったのにこちらはいつもお客様の姿、衝動的に買いたくなるものがたくさんありました。



先月末に完成した日本橋室町COREDO新館の2階に待望の誠品生活日本1号店がオープンしました。まだオープンして間もないので一般のお客様だけでなく視察に訪れる業界人も多く、集客力に関してまだ答えを出すのは早いでしょうが、とにかく大勢の人でごった返していました。ランチタイムだったので飲食はどこも行列、私は諦めて外に出ました。開店景気もあるでしょうが、とにかくすごい人、人、人、そして表情はお買い物モードでした。ラグジュアリーなものはありませんが、ショッピングを十分楽しめる、一般の百貨店では得られないワクワク感があります。


 (本業の書籍コーナー)

私が誠品書店の存在を初めて知ったのは2002年、台中市の中友百貨店を訪問したときでした。1990年代前半、まだ私が松屋にスカウトされる前、松屋は台湾企業に頼まれ彼らが初めてつくる中友百貨店に10名ほどの社員を駐在派遣し、リーシングからサービス課の社員教育まで全ての百貨店業務のお手伝いをしました。この中友百貨店上層階に確か2、3フロアを占有して素晴らしい書籍売場を作っていたのが誠品書店。充実の書籍ラインナップ、居心地のいい空間、書籍の並べ方の美しさに「こんな書店が台湾にあったとは」と驚かされました。

そして2年前台湾を訪問した際、今度は誠品生活を視察、書店が手がけるショッピングモールにはカワイイ小物がいっぱい並んでいました。途中休憩がてらに立ち寄ったコーヒーカウンターでは日本語で「太田さんですよね」と日本人の若きマスターに声をかけられました。彼とお父様は台湾に移住し、阿里山で有機栽培コーヒーを作り、このモールでコーヒー豆販売兼カフェを運営していました。阿里山の有機栽培自家焙煎コーヒー、コーヒー好きにはその文言だけでも十分訴求できるでしょうが、それを日本人バリスタが注文後粉にして丁寧に入れてくれる、至極の一杯でした。こういうこだわりのテナントをいくつも探してくる、誠品生活のリーシング担当は偉いなあと思いました。


 (自然派石鹸の阿原 YUAN)

この阿原 YUAN(www.yuancare.co.jpをご覧ください)もそうです。東洋のロキシタンと言ったらいいでしょうか、欧米のコスメ関連ブランドとはちょっと趣が違います。このこだわり石鹸類も2年前台北の誠品生活で目に止まり、気になっていました。誠品生活の売場にはそんな素朴な東洋モダンの暮らし、キンピカ生活価値観とは対局のグッズが溢れています。売場をゆっくり回っていると、ちょっとした宝物が見つかるかもしれないと思わせる、訪問客をワクワク刺激する何かがここにはあります。日本に限らず各国の百貨店や高級ショッピングモール、駅ビルでは得られないような不思議な魅力と言ったら大げさかもしれませんが....。


 (中国茶カフェ)

今日はあまりの人混みにゆっくり見て回ることはできませんでした。もう少し時間をおいてから細かい箇所を調べに出かけてみますが、誠品生活日本1号店は日本橋室町界隈の人の流れを変えるかもしれないとさえ思います。近年いろんな商業施設が誕生したり、百貨店や駅ビルの大きなリニューアルがありましたが、こんなに楽しく感じる売場は久しぶり、しかもそれを日本企業でなく台湾の企業がプロデュースしてるなんてすごくないですか。ショッピングだけでなく、ここではいろんな体験もできる、飽きずに時間をつぶせる、eコマース急成長の時代にリアル店舗のあり方を教えてくれます。必見です。






Last updated  2019.10.11 00:22:34
2019.10.09

 (台北ファッションウイークの合同ショー)

日本でもかつてファッションデザインの領域は経済産業省製造産業局繊維課の所管でした。ファッションウイーク(今シーズンから楽天ファッションウイーク)は、15年前、当時の繊維課長宗像直子さん(特許庁長官ののち今年退官)の発案でCFD(東京ファッションデザイナー協議会)から継承してスタート。現在、ファッションウイーク含め所管は商務情報局クールジャパン課に移っています。

同じく台湾でも、長らくファッションイベントは経済部(日本では経済産業省にあたる)とその所管組織である紡拓会(台湾テキスタイル協会)が運営してきましたが、2年前に文化部に移管され、「台北ファッションウイーク」は文化部が主導、主催者としては文化部、経済部、紡拓会の3つが並んでいます。今シーズンは文化部の入札によってELLE誌などを発行する台湾ハーストが実働部隊を演じました。

が、昨年は台湾政府文化部から台北市文化部に委託され、VOGUE誌の台湾コンデナストが実働部隊だったとか。台北市とコンデナストは今回直接ファッションウイークに関わらず、併設イベントに回らざるを得なかったようです。海外から招聘された我々の目には、文化部と経済部、文化部と台北市の関係が少しギクシャク、ハーストとコンデナストの関係も微妙、ちょっと紛らわしいかな、でした。


 (文化部長 鄭麗君さん)

台北ファッションウイークの公式レセプション、主催者代表としてステージに現れた文化部の鄭麗君部長(日本の大臣にあたる)は女性でした。知的でおしゃれ、一見物腰は柔らかい、ファッションウイークのレセプションには相応しい方(台北大学哲学科卒、パリ大学大学院社会哲学修士)。日本にもこんな女性大臣がいたらなあ、と正直思いましたね。過去、日本ではおしゃれとは思えない政治家がファッション関係のレセプションで挨拶してきましたから、台湾はかなり新鮮でした。

このあと私も登壇させていただきました。事前にそれなりのメッセージを考えて暗記して行きましたが、大勢の招待客の前で英語スピーチ、珍しくちょっとあがってしまいました。でも、CFD及びJFWでやってきたこと、若手支援の重要性をスピーチしてステージを降りたら、この女性大臣が「感銘を受けました」と握手してくれました。あがってしまって暗記した英文すべてしゃべれたわけではありませんが、それなりに話は通じたようでした。


 (レセプション乾杯シーン)

各スピーチのあとに乾杯。写真右端は実働部隊を引き受けたハーストを代表してフランスからやってきた国際担当役員、一人おいて文化大臣、あとの3人は文化部、経済部、教育部(文部科学省にあたる)副部長(日本で言うなら次官)でした。3つの役所の事務方トップを登壇させた背景にはいろんな政治的理由がある、と事情に詳しい関係者から伺いました。

このあと会場の喫煙所で日本語を話す若手男性デザイナーに呼び止められました。彼にも私のスピーチは刺さったようですが、「日本は若手支援プログラムがあって素晴らしいけど、台湾はずっと若手デザイナーが差別されている。政府は先輩たちを後押しするだけ、日本が羨ましい」と愚痴をこぼされました。

そこで、私は彼に言いました。「日本はファッションウイークを30年以上も続けてるんだ。日本だってうまくいかないことはたくさんあったし、苦労もしたよ。台湾は文化部主催でコレクションが始まってまだたった2年でしょ、これから徐々に改善されると思う。君たちは希望を持たなきゃ」。

今回の台北ファッションウイーク、デザイナーの単独ショーを数本視察したほか、公式レセプション前の合同ショーではファッションウイーク参加デザイナーのほとんどが10点ほどハイライト作品を。ほかにも若手デザイナーの合同展示、新人コンテストの展示も視察しましたが、個人的に面白いなあと感じたのは新人デザイナーのコンテストで上位入賞した若者たち(主に学生)の作品と若手デザイナーの合同展示でした。すでに台湾社会でも認知された既存ブランドよりも、まだ知名度の低い若手やピカピカの新人の方が私には魅力的でした。だから私は愚痴をこぼした若手デザイナーに「希望を持たなきゃ」と言ったのです。


 (新人デザイナーコンテストの合同展示会場にて)


 (レセプション前の合同ショーにて)

レセプション翌日には文化部を訪問、官僚トップの副部長に前夜の喫煙室での会話を報告しました。今後はいかに若手を支援してチャンスを与えるかが重要ではないか、日本では若手支援策をあれこれやってきましたと説明。「公的支援で若手デザイナーをパリの合同展示会に送ったり、パリコレでショー発表するチャンスも与えています。昨日の大規模な(レセプション前の)ファッションショーをやるくらいなら、若手支援に予算を回した方が効果的と思いますよ」、あえてきついことを申し上げました。

振り返ってみれば、CFD時代は資金の足りないデザイナーのために資金提供してくれる企業をまわり、「東コレANNEX」を開催しました。神戸ファッションマートでは若手合同展示会デ「ザイナーズ・コンポーズド展」を開いてもらい、伊勢丹本店に掛け合って若手デザイナーの期間限定ショップ「解放区」もつくってもらいました。とにかく若手を育てなきゃと考えたからでした。

JFWの担当理事になってからも若手支援枠を用意し、会場提供は10年以上たったいまも行なっています。ほかに経済産業省の支援で「シンマイクリエーターズプロジェクト」を3年間開催、さらに坂部三樹郎くんらアントワープやセントマーチン卒業の若者に「ヨーロッパで出会った新人たち展」でデビューの場を提供しました。

また、JFWは東京都と連携してパリで合同展示会を開催、ここから世界で認められる若手ブランドがいくつか生まれました。これとは別に前年のマメ、今年のオーラリーを選出、パリでプレゼンする機会も提供しています。そのデザイナー選出は我々ベテラン業界人は除外し、小売店の若いバイヤーさんに委ねています。さらに、過去にはテキスタイルメーカーと若手デザイナーの出会いの場もJFW事務局はアレンジしました。

文化部主導の台北ファッションウイークは6年間は補助金が出るそうなのであと4年間公的支援がありますが、その間にどれだけ若手デザイナーを育てる具体的な策が出せるのか、民間企業のスポンサー協力が得られるのかが成功のカギでしょう。台湾政府も本気でファッションと取り組むようになりました。来週月曜日からはじまる日本も頑張らねば....。






Last updated  2019.10.10 11:24:59
2019.09.28
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CINEMA VIVIERイベント会場エントランス


壁面には新作の展示

恥ずかしながらRoger Vivier(ロジェ・ヴィヴィエ、1937創業)の名前を初めて知ったのは今世紀に入ってから、ニューヨーク五番街サックスフィフスアベニューのラグジュアリードレスフロアの入口にポツンとブティックができたときでした。このときなんて発音するブランドなのかわかりませんでしたが、その婦人靴には惹かれるものがありました。

のちにネットで調べて、ロジェヴィヴィエ(1998年逝去)は戦前のスーパースターであるジョセフィンベーカーのために靴をデザインしていたこと、全盛期のクリスチャンディオールのオートクチュールコレクションに靴デザインを提供していたことや、エリザベス女王の戴冠式ではアクセサリーもドレスもすべて英国製なのに靴だけはフランスのヴィヴィエだったこと、イヴサンローランの有名なモンドリアンルックの足下はヴィヴィエだったこと、そして彼の死後ブランドが閉鎖されたあとにイタリアのトッズが再興したことなど知りました。

百貨店に復帰するとき、部下たちには「今後は美しい婦人靴が最重要カテゴリー」として、クリスチャンルブタン(ヴィヴィエ氏最後の弟子と言われている)、マノロブラニク、ジミーチュウと共にロジェヴィヴィエの名前をあげました。ロジェヴィヴィエの導入にはトッズジャパン経由で交渉するしかありませんが、当時は別の百貨店と交渉していたらしくなかなかレスポンスが返ってきませんでした。

パリコレ出張した部下は招待状もないのに直接パリの展示会場に出かけました。展示会場の受付で、自分は日本の百貨店のファッションディレクター、招待状送付をお願いしたが届かなかった、非常に興味があるので新作を見せて欲しいと伝えたそうです。

次シーズンのパリコレ時、ロジェヴィヴィエのイベント会場で私はトッズのオーナーCEOデラヴァッレ氏に耳打ちしました。「日本でトッズの一番の客は私です。我が家にはトッズの靴しかないし、百足以上も持っているんです。その私からのお願い、ロジェヴィヴィエのショップを作って欲しい」、と。ここから競合他社との激しい争奪戦が始まりました。

その数ヶ月後デラヴァッレCEOが来日したとき、「どうしてトッズは最近タッセル付きの紳士靴を辞めたんですか。また、大判のダイヤリーは重いので小型ダイアリーが欲しいけど、製造していませんよね」と質問すると、デラヴァッレさんから「そんなにトッズのことが好きならぜひ本社工場視察に来てください」と言われました。

そして、イタリア半島アドリア海側の田舎町にあるトッズ本社工場を訪ねました。これで当方の本気度が伝わったのか、都内1号店を開くことができました。なので、ロジェヴィヴィエは私にとって特別な思い入れのあるブランドなのです。

現在松屋銀座1階中央ホールではCINEMA VIVIER というイベントが開催中です。外資ラグジュアリーブランドはこういうスペシャルイベントを企画すると面白い空間演出を考えてくれます。もちろんビジネスですからたくさん販売したいのは誰も一緒ですが、ファン層を広げるために施工費をいとわない、ありがたいですね。


ショートフィルムにはブランドアンバサダーのイネスさんも登場


新任クリエイティブディレクター、ゲラルドフェローニ



ブランド再興の立役者だったブルーノフリゾーニが退任、後継クリエイティブディレクターはディオールヤミュウミュウでシューズデザインを手がけてきたゲラルドフェローニ。ファミリーが靴関係、子供の頃から靴に囲まれて育った人です。彼は雑誌SPURのインタビューの中でこんな発言をしています。

ロジェ ヴィヴィエの魅力は、彼自身がクリエイトしたアーカイブがきちんと保存されているということです。メゾンに入った最初の何日かはそのアーカイブを研究しました。歴史あるメゾンでクリエーションする一番の難しさは、メゾンのDNAでもあるアーカイブと今の時代をいかにコネクトさせてコンテンポラリーなものを発表するかということ」

歴史あるブランドのDNAをどう守り、それをいかに発展させるかはとても重要なことだと私は思いますが、近年、新任のクリエイティブディレクターがブランドDNAよりも自分が捉えた時代感覚を優先、長年のファンをがっかりさせるケースが世界で増えています。中にはブランドイメージをガラリ変えようとして失敗して経営陣から契約途中で解任されたり、ブランドそのものを消滅させてしまった例もありますよね。

ブランドたるもの、やはりしっかり創業者のDNAなりブランドの十八番(おはこ)を守る中でクリエーションして欲しいです。


秋冬の新作、かわいいです


新作ブーツ
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CINEMA VIVIERは9月30日まで。
会場は松屋銀座1階、スペース オブ ギンザ。
ぜひご覧ください。







Last updated  2019.09.28 16:32:29
2019.09.21
かつては専門店(Specialty Shop)と呼ばれていたファッション小売がいつの間にかセレクトショップという言い方になりました。誰が、いつ頃から言い出したのかはわかりません。

近年、そのセレクトショップを標榜しながらも、「いったいどこがセレクトなんだ」という小売店がかなり増えました。店頭に並ぶ商品の多くは一見売りやすそうで個性のない自社開発プライベートレーベル、個性的なブランドから仕入れたセレクト品はほんのちょこっとだけ「セレクトしました」って申し訳程度に並ぶびます。セレクトショップという業態、いまは刺激がなくなりました。

世界のファッション流通業界人がパリコレに行くたび必ず立ち寄ったパリの「コレット」は惜しまれながら既に廃業、サントノーレ通りのコレット跡はサンローランのお店になりました。同じくミラノコレに行くたび必ず訪れた「10 コルソコモ」もどうやら明るい話題はないようで、海外店は順次姿を消しています。消費者の価値観が大きく変わり、とんがったブランドの商品を展開するセレクトショップ(コンセプトショップと言うところもあるようです)はどこの国でも厳しい冬の時代なのかもしれません。




最近ちょくちょく銀座6丁目のThe Dover Street Marketに行きます。コムデギャルソンがロンドンのドーバーストリートではじめたセレクトショップ、自社ブランドのみならず海外の人気デザイナーブランドも日本の若手デザイナーのものや、ときにはルイヴィトンのようなラグジュアリーブランドとのコラボ商品も販売しています。ロンドンで開業した当初よりも年々セレクトショップ感が増し、(実際のところはどうなのかはわかりませんが)他社のとんがった商品の扱いが増えている印象です。

DSM銀座店に行くたびに思うのですが、いま日本で最もセレクトショップらしいワクワク感を提供しているお店はここではないか、と。各フロアをゆっくり歩いてみると、あれもこれも買ってみたくなり、宝探しをする自分にハッとします。気をつけないと破産してしまいますから。

ニューヨークのダウンタウン西17丁目に1店舗しかなかった頃のバーニーズ・ニューヨーク、アッパーウエストに数店舗あったシャリバリがそうでした。買い物に行くとすぐ目移りする、店頭のいろんなものに触発され、行くたびに新しい発見があり、毎回ワクワクしたものです。ファッション消費って本来こうでなくてはと思います。

DSM銀座店、お客様のかなりの比率が若い中国人観光客、中には値頃感のあるPLAYだけを買い集め中国で転売するブローカーもいます。が、若いお客さんは男女ともみんな楽しそうにショッピングしていますよね。まるで80年代の東京DCブームのときのパルコや丸井のインショップのような熱がここにはありますし、週末でなくともレジは忙しい。レジの状態から察するに、かなりの売上ではないでしょうか。

「服が売れない」と言われます。その理由は、欲しいものが見つからないから、決してファッションそのものに興味がないわけではありません。自分のクローゼットに転がっているようなものには以前ほど手を出してくれなくなりました。普通の服ならより安価なものを求めるのが当たり前の世の中。しかし、クローゼットにないような服、新鮮と感じる服には理屈抜きに「欲しいっ!」と飛びついてくれるお客様はまだまだたくさんいます。でないとDSM銀座店の賑わいは説明がつきません。

日本では名ばかりのセレクトショップが増えました。各国のとんがった有名セレクトはどんどん消えて行く。そんな中で、かなりとんがった商品を集積するDSM銀座店が元気な理由をファッション業界人は考えねばいけないと思います。

そしてもう一点重要なことがあります。実は、昔から、コムデギャルソンほどVMDとマーチャンダイジングの基本に忠実なブランドはありません。VPの基本、理想通りのクロスコーディネートを一番目にする機会が多いのはコムデギャルソンの売場、定数定量だってお店のスペースに相応しい品出しをしています。DSM銀座店もブランド直営店にありがちな、ギャラリーチックにハンガーラックはスカスカなんてことはありません。作品を見せるギャラリーではなく、商品を売るショップとして相応の枚数をキチンと並べています。

多くの業界人やマスコミはコムデギャルソンのクリエーションのことばかり言いますが、マーチャンダイジングの基本を忠実に守っていることにほとんど触れません。でも、百貨店インショップであれ、路面直営店であれ、DSM銀座店であれ、よーく見てください、マーチャンダイジングの基本がそこにはありますから。

ファッションにワクワク感がなくなったら、それは単なる「衣料品」でしかない。ファッションはお客様のNEEDSではなくWANTSを喚起するもの、生活必需品ではないはずです。そして、ショップというのはアートギャラリーではないので、基本に忠実に商品を店頭展開すべきなのです。






Last updated  2019.09.21 17:50:40
2019.09.20




来月14日から開催される2020年春夏JFW東京コレクション、冠スポンサーが楽天に決まり、正式名称はRakuten Fashion Week TOKYOになります。(スケジュールは最後に表記します)

2005年JFWの立ち上がりから3年間は経済産業省の補助金があり、20年間東京コレクションを続けてきたCFDからバトンタッチしてスタート。政府の支援がなくなったあと、ニューヨークコレクションの冠スポンサーだったドイツのMercedes-Benzが名乗りを上げ、その次にアメリカのAmazonに委ね、そして今回初めて日本企業が冠スポンサーに。

JFW推進機構はこれまで多くの日本企業に協賛を呼びかけましたが、冠スポンサーを引き受けてくれる企業はなかなか現れませんでした。JFW三宅正彦理事長らが精力的に動き、ようやく楽天の三木谷浩史さんが決断、冠スポンサーを引き受けてくれました。日本のクリエーションを醸成、発信するためのイベント、どうして海外の企業の応援を仰がねば実施できないのかと思っていましたから、日本企業の登場は非常に嬉しい。

三木谷さんは「10年間は続ける」と言ってくださったようですが、長く支援してもらえるとありがたいし、これを機に楽天がファッションの世界で新しいビジネスを仕掛けて欲しいですね。

今週火曜日には冠スポンサー発表パーティー、水曜日はJFW理事会がありました。理事会で配布された資料を読みながら、随分長くJFWをお手伝いきたんだなあ、と。三宅理事長に頼まれ第3回JFWコレクションから手伝ってもう14年目なんです。1985年にCFD設立して東京コレクションを開始、10年間これを支え、JFWコレクション担当理事としても13年、実に四半世紀もの間デザイナーを背後で応援してきました。

CFDを設立するとき、トップデザイナーから「僕たちのことはいいから、次世代に道を拓いてやってください」と言われました。私はその言葉を胸にCFDでもJFWでもずっと若手や新人デザイナーを支援してきました。

最初にサポートしたのは、イトキンからデビュー後すぐに契約解除となった石川ヨシオくん。業界リーダーを説得して資金を集め、彼のデザイン事務所設立と優秀なスタッフ集めをしました。資金援助者に捨てられたデザイナーたちの新たなスポンサー探しも結構やりましたし、企業からデザイナーの商標を取り返す交渉でも助けました。

トキオクマガイから独立した永澤陽一くんに「小さい規模でもいいからプレゼンをやっては」と背中を押し、Youichi Nagasawaは狭いヘアサロンで4人のモデルのミニショーを開催。そのあとバーニーズジャパンにコレクションの良さを説明、すぐに発注してくれました。このショーで永澤くんは毎日ファッション大賞新人賞に輝きました。

プレゼンをする資金のない若手にチャンスをあげようと東武百貨店社長と池袋メトロポリタンビル社長を口説き、池袋で「東京コレクション・アネックス」(ショー経費は全額事務局負担)を開催、現在もパリでファッションデザイナーとして活躍するミキミアリーさんやミラノのジュエリーデザイナーとなった小川健一さんら海外組にもチャンスを提供しました。

アネックス若手支援のことを当時の伊勢丹婦人MD統括部長の武藤信一さん(のちの社長)に説明、若手デザイナー対象の期間限定売場を作れないかと打診して誕生したのが、あの「解放区」。このときバイヤーだった藤巻幸夫くんは私の勉強会の教え子だった森健くんにBPQCなどいろんなチャンスをくれました。

東京以外で若手にビジネスのチャンスを提供しようと、当時神戸ファッションマートの社長に若手デザイナー合同展示会「Designer's Composed」を開催してもらいました。そのときファッションマート側で骨を折ってくれたスタッフに、大阪でマーケッターとして活躍する原テルキくんやリステア副社長CFOだった吉川稔くんがいます。お二人とは今もそれぞれ交流があります。

JFWに参画してからも一貫して若手支援をやってきました。デビュー前に廣川玉枝さんが相談にきたとき、JFWに若手支援枠をつくるから応募してみてはと勧め、まずは商標登録を済ませるようアドバイスしました。ソマルタのデビューはこの年の若手支援枠でした。






セントマーチンやアントワープ王立アカデミーの卒業生たちがやってきたときは、ショー形式ではなく面白いプレゼンをやってみたらと勧め、JFW側で予算を確保しました。「ヨーロッパで出会った新人たち」でデビューしたのが中章くん、坂部
三樹郎くん(写真上の作品)、山縣良和くん、堀内太郎くん、それぞれ独自の方法で活躍中です。

新人デザイナー発掘事業として「SHINMAI CREATORS PROJECT」は経済産業省の支援を受け3年間実施。その説明のために訪れたロンドンのセントマーチン卒業ファッションショーの準備室でユニークな作品を見つけ、学部長に「この学生に私の名刺を渡してほしい」とお願いしました。その名刺を頼りに帰国を決意しSHINMAIでデビューしたのが川崎祥生くん、レディガガの目に止まったデザイナーの一人です。

ほかにも、JFWの若手支援枠やSHINMAIなど各種イベントで初めてプレゼンを行った若手や海外ビジネスをスタートできた若手デザイナーはたくさんいます。ソマルタの廣川さん同様かつて職場で一緒だった 
AND WANDER森美穂子さんと池内啓太くん、MAME黒河内真衣子さん、TAAKK森川拓野くんもJFWが運営する事業から世界への扉を開けることができました。ここ数回パリのオートクチュールに参加する中里唯馬くんにも発表のチャンスを提供しています。

まあ、四半世紀もずっと若手支援をやってきたわけですから、いろんな苦労も感動もありました。楽天が協賛してくれる新生東京コレクションでも、何か面白いことを企画したいとは思っています。しかし、そろそろどなたかにバトンタッチして、自分は本職のマーチャンダイジングの指導に専念できたらなあとも思います。

     *     *     *     *



Rakuten Fashion Week TOKYO  

Spring & Summer 2020 コレクション日程



10/14
Mon
13:30  
ヨシキモノ(YOSHIKIMONO)ヨシキ
14:30  
ディスカバード(DISCOVERED)木村多津也/吉田早苗
15:30  
ティートトウキョウ(tiit tokyo)岩田/滝沢裕史
18:30  
タチアナ・パルフェノワ(TATYANA PARFIONOVA) Tatyana Parfionova



10/15
Tue
11:30  
ノーントーキョー(NON TOKYO)市毛綾乃
12:30  
アジアンファッションミーツトーキョー(Asian Fashion Meets TOKYO

            Antonina Abad Amoncio/BENCH/Design Team/Bon Hansen Reyes/JACE QUIAMBAO
13:30  
ヒロココシノ(HIROKO KOSHINO)コシノヒロコ
15:00  
ボディソング(BODYSONG.
16:30  
ステア(STAIR)武笠綾子
17:30  
イルイット(ILL IT)工藤亮一
18:30  
バルムング(BALMUNG)ハチ
19:00  
ネグレクトアダルトペイシェンツ(NEGLECT ADULT PATiENTS)渡辺淳之介
20:00  
ハイク(HYKE)吉原秀明/大出由紀子

 

10/16Wed
12:00  
レインメーカー(RAINMAKER)渡部宏一/隆太郎

13:00  ノブユキマツイ(Nobuyuki Matsui)松井信之
15:30  
スリュー(SREU)植木沙織
17:30 
トモコイズミ(TOMO KOIZUMI)小泉智貴
19:00  
チノ(CINOH)茅野誉之
20:00  
コウザブロウ(KOZABURO)赤坂公三郎

           ランドロードニューヨーク(LANDLORD NEW YORK)川西遼平
21:00  
フェイスエージェー(FACE A-J

           Kenneth Ize/Thebe Magugu/Anyango Mphinga/Wataru Tominaga

           富永/COYOTEチーム/藤田

 

10/17Thu
12:30  
トクコ・プルミエヴォル(TOKUKO 1er VOL)前田徳子
13:30  
グローバルファッションコレクティブ(Global Fashion Collective

            Ryan Li/Johnathan Hayden/Rebeca Herlung Høien/久保貴信
15:00  
シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)小塚信哉
16:00  
メルシーボークー(mercibeaucoup,)宇津木えり
17:00  
チルドレンオブディスコーダンス(Children of the discordance

      
18:00  
グローバルファッションコレクティブ(Global Fashion Collective

           Peter Zuk/Morphine

18:30  ハレ(HARE)ハレデザインチーム
19:30  
ユキトリヰインターナショナル(YUKI TORII INTERNATIONAL)鳥居ユキ



10/18
Fri
12:00  
ウィシャラウィッシュ(WISHARAWISHWisharawish Akarasantisook
12:50  
ミキオサカベ(MIKIO SAKABE)坂部三樹郎/シュエジェンファン
13:30  
ジェニーファックス(JENNYFAX)シュエ・ジェンファン
14:30  
ショーヘイ(SHOHEI)リサ・ペック
15:30  
ディーベック(D-VEC)ディーベックデザインチーム
16:30  
タエアシダ(TAE ASHIDA)芦田多恵
17:30  
リト(Rito)嶋川美也子
18:30  
ダイエットブッチャースリムスキン(DIET BUTCHER SLIM SKIN)深民
20:00  
ミスター・ジェントルマン(MISTERGENTLEMAN)オオスミタケシ/吉井雄一



10/19
Sat
12:00  
ツルオカザキ(MITSURU OKAZAKI)岡﨑
14:00  
ヨハン・クーゴールドレーベル(Johan Ku Gold Label)ヨハンクー
18:30  
アールエービーディー(RABD)三木勘也
19:00  
ガッツダイナマイトキャバレーズ(GUT'S DYNAMITE CABARETS

           キャバレーアキ/ジャッカルクズ/ダブルウッズショウコ
21:00  
ドレスドアンドレスド(DRESSEDUNDRESSED)北澤武志







Last updated  2019.09.20 10:07:40
2019.09.18
自分がアパレルの社長時代、ショップの店長や指導員として助けてくれた女性(仮にAさん)が65歳になり、ついに売場から去ることになりました。会社の規定は一般企業と同じ60歳で定年、65歳までは継続契約、卒業は仕方ありません。長い間接客業務や若手指導で貢献してくれ、感謝の気持ちだけは伝えたいと、先日ちょっとした記念品を持ってショップに行きました。

ちょうど社長になったとき、Aさんが店長を務める某百貨店のショップはある特殊事情を抱えていました。マスコミでもよく取り上げられていた百貨店本社の女性幹部からのプレッシャーです。この女性幹部は百貨店の新入社員のときある地方店に配属され、たまたま最初に担当したブランドに特別な思い入れを持ったそうです。

ところが、その後出世して都心店の店長に就任したら、愛着のあったブランド営業との商談でちょっとした行き違いがあり、新入社員の頃の思い入れが消え失せたどころか会社そのものが嫌いになったらしく、ショップへの風当たりは日増しに強っていました。そんな状態で社長に就任した私は関係悪化を打開するために役員を伴って百貨店幹部と会食、過去の非礼をお詫びしてショップのテコ入れを約束しました。

A店長はじめショップスタッフは頑張ってくれるのですが、百貨店側の期待値は非常に高く、A店長は随分苦労したようです。しかも、私の唱えるマーチャンダイジングの基本と、個人売上よりもチームプレーを重視する経営方針についてこれないベテランの退職が続き、彼女も仲間同様会社を辞めようと考えていたかもしれません。しかし、Aさんほか数人のベテランスタッフは経営方針に従ってくれ、若手を指導サポートする専門職として後輩たちを育ててくれました。

優秀店舗のショップスタッフ全員をご馳走する際、どの店でもAさんはその場にいました。「いつも同じ顔がいてすみません」、店頭スタッフのご褒美会食で最も顔を合わせたのは彼女だったでしょう。つまり、彼女は指導員としてどこの店舗に行っても結果を引き出してくれる、それでいて「私が教えましたから」なんて態度は少しも出さず、後輩の店長を引き立てる。ショップでのチームプレーを奨励する私には本当にありがたい戦力でした。

  
   (ミナペルホネン青山店 CALL)


デザイナー皆川明さんのミナペルホネンが南青山スパイラルビル5階に大型ショップCALLを作ったとき、ショップスタッフ年齢不問の募集をかけ、65歳以上の方が数人採用されました。中には80歳の方もいて話題になりました。お客様からはかなり好評と皆川さんから聞きましたが、高齢ショップスタッフが若い人に混じって売場に立つ、素晴らしいことです。年輪を重ねた人には若いスタッフとは別の魅力があります。また、高齢スタッフが接客していてもお客様に違和感を感じさせない、そこにミナペルホネンのブランドとしての魅力があります。

このところ社会問題となっている国の年金制度、単純に定年の年齢を上げればいいとは思いません。早くリタイアして年金をもらいたい、早く好きなをことして毎日のんびり暮らしたいという人もたくさんいるでしょうから。しかし、身体が動くうちは毎日ではなくとも働き続けたいと思う人もいるはずです。だから選択の自由(年金支給があっても減額されずに働ける制度)があってもいいのではないかと思います。

東急ハンズでも、ベテランスタッフが我々素人客の細かい質問に丁寧に答えてくれます。彼らから教わることは少なくありませんから、つい店頭で何でもかんでも聞いてしまいます。もしも東急ハンズに元気ピチピチの若いスタッフしかいなかったら、お客様はどう感じるでしょう。ベテランスタッフの知恵は買い物動機になりますよね。

ファッションの世界だって、商品を熟知したベテランスタッフ、ブランドの由来をちゃんと把握している人が優しく丁寧な接客をしてくれたら、そして経験の浅い若手スタッフの背後にいてくれたら、お客様にはどれだけ心強いことか。歴史あるブランドだと最近入ったばかりの若手スタッフはブランドの過去、変遷をほとんど知らないことが多いですからね。

果たしてAさんが肉体的にしんどい思いをしていなかったかどうか、早く上がりたいと思っていたかどうかは私にはわかりません。が、まだしばらく活躍できそうに見えましたし、彼女のようなベテランがショップにいるだけでそこには安定感がありました。だから彼女の卒業は残念です。

これから日本の就労人口はぐっと少なくなります。高齢者は増え、どこも人手不足になるのは明白。年金制度のことはよくわかりませんが、国の施策として本人が希望すれば体力と頭脳が続く限り仕事が続けられ、しかも積み立てた年金ももらえるようにならないものでしょうか。

Aさん、長い間本当にご苦労様でした。そして彼女のように65歳まで現役で接客するショップスタッフがどんどん増えることを願っています。






Last updated  2019.09.18 14:09:57
2019.09.17

   (吉岡徳仁デザインのトロフィー)


2019年度(第37回)毎日ファッション大賞の各部門受賞者が主催者から発表されました。

大賞は、ANREALAGEのデザイナー森永邦彦さん。
2011年度新人賞の受賞から8年、今度はファッション大賞です。
新人賞は一度きりですが、大賞は過年度受賞者に何度もチャンスあり、
これからも受賞を重ねられるよう頑張って欲しいですね。

  
   (ANREALAGE 2019年秋冬コレクション)


新人賞は、AURALEEのデザイナー岩井良太さん。
東京都が支援する新進デザイナー海外発信事業の第2回勝者として今年の初めにパリで初プレゼンしたデザイナーです。
11月の授賞式では簡単なプレゼンがあります。

鯨岡阿美子賞は、台東デザイナーズビレッジ村長の鈴木淳さん。
新人デザイナーが起業するときに手厚く支援するインキュベート装置の主宰者。
私は同賞推薦票を書くとき、クジラさんが納得してくれそうな人を選ぼうといつも心がけていますが、今年も相応しい人に決まりました。クジラさんもきっと目を細めているでしょうね。

特別賞は、日本環境設計。
ファッション業界もサステイナブル時代に。
どんな会社かはホームページをご覧あれ。
http://www.jeplan.co.jp/ja/

話題賞は、無印良品 銀座。
これまで毎日ファッション大賞には縁がなかったことが不思議です。
銀座マロニエゲートの側にできた銀座旗艦店、いつもお客様でいっぱい。
有機栽培野菜、パン売場もかなりの人気です。

例年なら受賞者はここまで。
しかし、本年は特別に1つ賞が加えられました。
ニューヨークコレクションで異彩を放つTOMO KOIZUMIのデザイナー小泉智貴さんに選考委員特別賞が贈られます。近年、売れそうな服ばかりで刺激が少なくなったニューヨークコレクション、ここに強烈な個性が登場して話題となりました。日常生活では着れないかも、でも元気があって素晴らしいと評価されての受賞です。






Last updated  2019.09.17 18:03:38
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