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売り場に学ぼう by 太田伸之

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2019.03.03
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長い間、米国市場からたくさんのことを学びました。70年代のブルーミングデールズ百貨店、「店は劇場」のうたい文句通り売場にはストーリーがありました。最初はボリューム店としてスタートしたため、新規のベンダーを開拓する方法としてフランス展、中国展など全館「カントリープロモーション」を毎年打ち、世界の百貨店に見本を示しました。私も頻繁に通ったものです。

80年代中頃からはDKNYをはじめとするブリッジライン、デザイナーブランドがファーストラインをうまく落とし込んで大きな売場でドーンと売る、迫力もあったし価格と商品のバランスには納得でした。卸売業だったデザイナーブランドが百貨店以外に、路面やショッピングモールの直営店を増やしたのもこの時期からでした。商品展開方法やブランド世界観の表現、ライフスタイル提案ではラルフローレンのマジソン街本店が一番のお手本でした。

90年代は製造小売業のGAPグループの店舗には何度も足を運びました。トレンドカラーをあえて外して独自の打ち出しをするバナナリパブリック、スーパーマーケットの食品ケースのような什器に低価格品を山のように積むオールドネイビー、そしてGAPのデニムやカーキのダイナミックな展開にはマーチャンダイジングの極意を感じ、隠し撮りでたくさん写真を撮影したものです。試着室や承りカウンターの大きさにも感心、百貨店の大リニューアルの参考にさせてもらいました。

2000年代にはアバクロンビー&フィッチのホリスター、ルールのファッション店の常識を超えた暗い店内照明とボリュームを上げた音楽に「こんなこと誰が考えるのだろう」と驚かされたものです。郊外のショッピングセンターにラグジュアリーブランドの大型店がどんどん増え、郊外モールを視察するたびビジネスヒントがたくさんありました。サックスフィフスアベニューを皮切りに、百貨店特選婦人靴売場の大型化もこの時代の大きなディレクション、我々もハイエンド婦人靴の導入に全力をあげました。

自社のオリジナルコンテンツをいろんな種類のポーチやレインシューズ、バッグ、スカーフなど雑貨に落とし込むヘンリベンデル、決してラグジュアリーではありませんでしたが、その商品政策に魅せられ、日本市場展開の交渉のため社長にアポを入れたこともありました。





(HENRI BENDELのホームページ)

しかし、ファッション専門大店として一世を風靡したヘンリベンデルを買収した製造小売業の雄、Lブランズ(旧リミテッド)はベンデル部門閉鎖を決定、今年の初めに100年以上歴史のある名店は姿を消しました。現在ベンデルのホームページ(写真上)は長年のご愛顧に感謝を記す画像になっています。

Lブランズはリアル店舗からネット通販への全面的シフトを既に表明しています。しかし、ランジェリーのヴィクトリアシークレットだけはリアル店舗継続かと思っていましたが、同ブランドもこれから53店舗を閉鎖するそうです。特徴に乏しい同社の他ブランドと違って、ヴィクトリアシークレットは存在感のあるブランド、ファッションショーを3大ネットワークでオンエアするほどの人気でしたがリアル店舗を縮小せざるを得ないようです。ついに例外なき店舗縮小が始まるんですね。


(ヴィクトリアシークレットのショー)

そして先日、GAPグループは230店舗の閉鎖を発表しました。低価格ブランドのオールドネイビーに資本を集中、オールドネイビーの分社化も考えているとか。既に日本市場からオールドネイビーは撤退しており、これからGAPグループは日本でどんなビジネスをやるのでしょうね。

製造小売業のが急成長した90年代初め、郊外のショッピングモールではリミテッドグループ(現Lブランズ)、GAPグループ、アバクログループの大型店がそれぞれ4つ、5つあるのは当たり前でした。私がよく視察に出かけるニュージャージー州ショートヒルズのショッピングセンターでも、3グループの大型店は全部で10数店もありましたが、彼らが順番に退店して行ったらモールそのものが崩壊するかもしれません。


(サックス退店後ずっと空き家のショートヒルズSC。2017年秋撮影)

ショートヒルズSCはかつて5つの百貨店がキーテナントとして入居、ハイエンドのブランド直営店がずらり並ぶ、全米でも珍しい高級ショッピングセンターでした。でも、中央部にあったサックスフィフスアベニューは3年前に退店、写真のように長らく空き家のままでした。その後この空き家がどうなったのか調べようとモールのサイトにアクセスすると、以前はテナント名が記してあったモール内マップはありませんでした。ひょっとしたら空き店舗が増え過ぎてマップは出せない状態なのかもしれません。

米国ファッション市場を牽引してきた企業やブランドがどんどんリアル店舗の閉鎖、ニューヨークのブティック街でも空き店舗が目立ちます。70年代から多くを学ばせてもらった米国市場は明らかに異様、この先どうなるんでしょう。






Last updated  2019.04.24 16:06:04


2019.02.27
先日、大手銀行都心店法人営業部の方々にファッション業界のこれからについてヒアリングされました。この都心店の取引先にはファッション流通企業が多く、服が売れない時代ゆえ取引先の現状分析と将来を調査しているのでしょう。ネット消費が急増するファッション市場ですから、これまで通用していたことが通用しないのは米国流通業を見れば明白。一番肝心なことはファッション商品の供給者とお客様の距離をどのようにしてどれだけ短縮できるのか、そのために企業は何を改革すべきなのか。ネット通販成長のことはさておき、既存のリアル店舗のビジネスで必要な改革を中心に説明しました。


(販売サービスに定評あるNORDSTROM本店婦人靴売場)

かつてアパレル企業の経営者として一番尽力したことは、販売スタッフの人材育成と彼らの処遇改善、モラールアップ、仕事の仕方を変えることでした。なぜなら、日本のファッション業界は店舗の販売スタッフを本社の総合職よりも低く見る傾向があまりに強いからです。DCブランドブーム全盛の1980年代中頃「夜霧のハウスマヌカン」というヒット曲がありました。販売現場の実態を皮肉った嫌な歌詞ですが、こんな歌が登場した背景には販売スタッフの冷遇があったからでしょう。

どんな経営者も「販売員は大切」と口では言います。が、販売現場のスタッフがその言葉を実感できる状態かと言えば、日本では決してそうではありません。米国のようにプロのスペシャリストとして評価する仕組み、給与体系(歩合制が定着している)はありません。本社総合職と比べて販売職の処遇は歴然と差があり、誇りを持って長く働けないと感じるやサッサと辞めてしまいます。日本のファッションビジネスの大きな問題点の1つはここです。

問題は処遇の格差だけではありません。教育プログラムが整っていない、キャリアアップの道は見えない、戦略的な仕事ができない(あるいは求められていない)、これでは現場の士気は上がりません。教育なんてお店に配属される直前に接客術、ビジネスマナー、商品のおたたみとラッピング術、金銭授受の注意点などを短時間指導されるだけ、とても人材育成プログラムとは呼べない会社がほとんどではないでしょうか。

新人からサブ(ショップの二番手)になり、次に店長に昇格、その先にはエリアマネージャーがあるくらい、ほとんどキャリアアップの道筋は見えません。しかも本社の営業から「営業振り分け」で一方的に届く商品、販促からの「VP指針」、これに店頭は疑問を感じてもなかなか改善されない。だから販売スタッフはやる気を失くし辞めていきます。

人手が足りている時代は退職者の補充はどうにかなりましたが、10年以上前からファッション販売スタッフの補充は容易ではなくなりました。特に地方都市では絶望的な状況、求人広告を頻繁に出したところで期待通りの人材は採用できません。だから早く販売最前線の改革に着手しないと離職率は一向に改善されませんし、いい人材は確保できません。

最近コンビニの人手不足と営業時間短縮問題がニュースになっていますが、きつい仕事の割にアルバイト料が安いから人は集まらず、いまも24時間営業を強いられるのでフランチャイズ店のオーナーは極限状態。これとファッション販売の現場はよく似ています。小売店やディベロッパーに出店要請されても、いい販売スタッフを確保できなければお店は開けられず、仮に開けても売上は見込めません。

私は本社のスタッフにも販売スタッフにもマーチャンダイジングのスキルを身につけて欲しい、と社内MDスクールを10年間続けました。自分たちがそれぞれの店舗のお客様をマーケティングし、お客様に合った商品を発注する体制にするため、思い切って発注権を店長に渡しました。自分の店で売る商品は自ら選ぶ、自分が選んだのだから責任を持って販売する、そのためには精度の高い発注方法と販売計画を勉強してもらわないといけない。

店長は英語でストアマネージャー、つまりリーダーシップを発揮してお店をマネージするのが仕事と口を酸っぱく言い続けました。スタッフのマネージと発注が店長の重要な仕事であり、販売業務は主にスタッフがやればいいのです。店長の売上構成比が他のスタッフより圧倒的に高いなんて古い構図は許さない、改善できなければ店長から外れてもらうしかありません。

全国の店長を集めて店長研修をしたときのこと、成功事例の発表で毎月連続して予算を達成したある店長がこんな話を披露しました。

私は教わった通りにやっているだけで特別なことは何もしていません。
販売は若手の2人に任せています。
百貨店のレジやストック場に走るのはサブと私です。
みんなで販売計画を立てどういうお客様に何をオススメするか情報共有してます。
気がついたら毎月予算をクリアしていました。

研修会場の後ろで店長討論会を聴いていた私は目頭が熱くなりました。新卒採用面接のとき、とても個性的で社風に合わないかもしれないが、ひょっとしたら大化けするかもしれない、賭けてみようよと人事担当役員に言って採用した子がいつの間にか理想的な店長に育ち、会社に貢献している。嬉しかったですね。秘書にポケットマネーを渡し、会場近くのJTBで旅行券を買ってきてもらって急遽社長賞を贈呈したくらい感動しました。

キャリアアップの道を明確化するため販売スタッフを本社のMDや販促担当に起用する、これも頻繁に行いました。新卒採用時点で入り口は総合職と販売職(他に企画技術系の専門職もあり)とに分かれていますが、私の経験から言って販売職の中には総合職として能力を発揮してもらいたい人材は少なくありません。本人の希望を聞くのが前提ですが、店頭でマネジメントできる人材は総合職でも活躍します。

こんなこともありました。予算を達成し続ける若い店長をレストランに招待して「そろそろ本社に来ないか」と誘ったら、数日後「ずっとショップで販売を続けさせて欲しい」と断られました。社長自ら接待して本社勤務をオファーしたのに答えはNO、総合職と販売職の「壁」を感じなくなったらこういう反応もあります。オファーはNOでしたが、店長のコメントは嬉しかった。彼女はその後お子さんを産んでいまも店頭で活躍しています。

近年アパレル業界は消化仕入れがほとんど、消化形態は卸売業ではなく小売業と同じなのです。その小売業にとって最も大切なのはお買い物してくださるお客様であり、お客様と日々接している販売スタッフの人材育成と士気を上げる施策は経営者にとって優先すべき課題、販売スタッフがどんどん辞めて頻繁に交代する小売業が発展するはずありません。

面談した銀行マンに申し上げました。ネット通販の比率が急上昇する世の中だからこそリアル店舗でのレベルアップが重要、人材育成を真面目にしていない、販売スタッフを正当に扱わない会社に明日はない、と。販売職の処遇問題に取り組む会社が増えないと日本のファッションビジネスは衰退します。






Last updated  2019.04.24 16:07:04
2019.02.26


IFIビジネススクールの教え子だった齊藤孝治くんが「アパレル・サバイバル」(日本経済新聞出版社)を上梓しました。ビジネススクールのときは総合商社勤務、その後米国駐在を経て独立、現在はコンサル活動中。新著は「人気店はバーゲンセールに頼らない」(中央公論新社)、「ユニクロ対ZARA」(日本経済新聞出版社)に続く3冊目です。

巻頭に「10年後のファッション消費の未来」とあります。近年の流通業界における時代変化のテンポから考えると、10年も経たないうちに旧式ビジネスモデルは滅びそうですが、筆者はどう読んでいるのか....。

全米の地元密着の日用品店を廃業に追い込んだGMSトップのシアーズが倒産し、同じく全米の小さな玩具店を廃業に追い込んだトイザらスも倒産、20世紀後半のファッション流通のヒーローだった製造小売業の大手がどんどん店舗を閉鎖、名門HENRI BENDELも消えました。気がついたらネット通販最大手のamazonが米国ファッション商品の売上ナンバーワン企業になっていた。

なんとも激しい変化が起きている流通業界、果たしてこの先、生き残れる企業はどこ? どんな業態?
著者は10年後をどう予測しているんだろう。






Last updated  2019.02.26 13:50:41
今月初め目白ファッション&アートスクールのショーに出席しましたが、今日は文化服装学院の先生に誘われ、同学院ファッション流通科2年生の卒業制作ショーにお邪魔しました。ステージに登場するコレクションはもちろんのこと、メーキャップ、照明、音響、映像、舞台美術の制作も全てファッション流通専門課程の学生さんたちが手がけたそうです。プロではないのに結構見応えがありました。





ちょうどお隣の席が相原幸子学院長だったので、開演までの間ファッション業界の現状や課題などを意見交換しました。学院長のお話で一番びっくりしたのは、来年度ファッション流通専門課程の入学予定者が大幅に増えたこと、特に日本人の応募が多く、近年増えている留学生はほぼ横ばいとか。少子化が進み、ファッションへの憧れが減退している中、これはちょっとした異変、業界にとっても喜ばしいことです。

専門学校でファッションデザインを学んでも平凡な服のデザインばかり要求されるので、アパレル企業には就職したくない学生が増えています。一方、アパレル業界の業績は回復しないので、企業側は即戦力の中途採用重視、新卒専門職採用を見送る会社が増えました。結局、卒業してもファッションデザインは「趣味」として続け、就職は全くジャンルの違う世界に、こういう若者が近年相当増えているようです。

以前、ファッション流通業界の幹部が集まるパーティーで挨拶に立ったアパレル業界のリーダーは、ファッション業界に魅力がないと専門学校の学生は業界に入って来ません、それが業界衰退の原因にもなると発言されてましたが、ファッション専門学校の卒業生がファッションビジネスに飛び込まないなんて状況はかなりまずいと言わざるを得ません。

が、そんな中でどうして来年度の文化服装学院ファッション流通専門課程への応募が増えたのでしょう。理由がわかりません。ある先生に伺ったら、「ファッションそのものには興味もあり関わってみたいと思っている高校生が多いのではないでしょうか。コツコツものづくりする気にはなれないけれど、広報関係やスタイリスト、ショップのバイヤーには関心がある若者がいるのでは」と。先生の分析が正しいのであれば、まだ業界は救われるかもと思います。

過去デザイナーやパタンナーなど専門職を多数輩出してきたファッション系専門学校ですが、セレクトショップやアパレルブランドの販売スタッフもこれまで大勢輩出してきました。しかし、定着率が極めて悪いのが現実、就職したけれど夢、希望を感じられずに早く辞めていく人があとを絶ちません。ここをなんとか改善しないことには、業界はファッション知識のある若者から見捨てられてしまいます。

5年間クールジャパン関連の仕事をしてわかったことですが、最近ファッション流業界には面白い発想をする人材が少なく、飲食業には結構多いんですよね。昔は、授業には真面目に出席せず学外で遊んでばかりいたような「やんちゃ坊主」タイプがアパレルや流通業界にたくさんしました。でも近年、こういうタイプの人材は飲食業など他のジャンルに流れているように感じます。

20世紀後半、ファッションビジネスは1つの成長産業だったのでしょう。だから発想の面白いやんちゃ坊主タイプがたくさん集まった。でも、業界全体が成長期から安定期に入ると、学生時代の成績は優秀でも、上司の顔色をいつもうかがうサラリーマンが増え、また上層部も敵対的な意見を絶対に言わないヒラメ型人材を重宝、結果的に組織に活力がなくなったのでしょう。お客様の情緒、感性に訴えるクリエイティブ産業の1つでありながら、コンサバティブな社風の会社が増えてしまったら、面白い仕事をやりたい若者は入ってきません。

前職で出会った人々を見ると、飲食の世界はいまだ成長産業のままのように感じます。次から次へと面白い業態が生まれ、新しいサービスが誕生し、一般生活者の胃袋、情緒や感性をを存分に満たしています。要は面白いクリエイティブな発想が生活者をワクワクさせ、時には背伸び消費を喚起します。飲食業界の方々とのやりとりは夢があって楽しいミーティングが多く、ミーティング後「こういう人たちがファッション流通業界にいてくれたらなあ」と何度も思いましたね。

4月からの次年度にクラスが増える文化服装学院ファッション流通専攻課程、学生さんが卒業するときに魅力ある産業と感じてファッション業界にたくさんエントリーしてくれることを期待したいです。






Last updated  2019.04.24 16:07:51
2019.02.23


ニューヨーク五番街の高級百貨店SAKS FIFTH AVENUEが数年前にドル箱のコスメ売場を拡大するため化粧品を2階に上げる計画を発表したときから、私は「絶対に成功しない」と周囲に言ってきました。かつてBARNEYS NEWYORKもBERGDORF GOODMANも、ニューヨーク進出するフランスのセフォラ対策で化粧品を拡大して地下フロアに下ろしましたが、いい結果は得られませんでした。以来、コスメを人通りの多い1階から外すのは危険と言い続けてきました。

セフォラが五番街のSAKSの前に大型店を出したとき、SAKSだけは1階でコスメを拡大して成功、逆にセフォラは早々とこの場所から撤退しました。そして化粧品業界では、新しいコスメ商品やパフュームブランドのローンチはSAKSからという流れができました。10余年、婦人服の数フロアはヒマでも、SAKSの1階コスメ売場と8階婦人靴売場だけはいつも賑わっていました。

ところが、化粧品を販売しているだけではもうネット通販とは戦えない、強みのあるコスメと関連グッズをもっと拡充し、これに美容サロンやエステなどのサービス機能をプラス、「もの」と「こと」を同時提供することでお客様の信頼を得ようと2階移設を計画しました。コスメの拡充とサービスの充実は百貨店として正しい選択でしょうが、1階から2階に移設したらこれまでのような賑わいを作れるはずはない、私には大いに疑問でした。



数日前、ニューヨークコレクションの視察から戻ったばかりのファッションコーディネーターに改装が完了したSAKSの1階雑貨売場と2階コスメ売場の写真を見せてもらいました。「どうだった?」と彼女に訊いたら、「お客様はほとんど見かけませんでしたね」、やっぱり予想していた通りの状況です。写真のように、2階にお客様を誘導するため1階中央部に新しいエスカレーターを設置しましたが、ほとんど効果はないみたい。化粧品は全米のどの百貨店よりも賑わいの作れるSAKSのドル箱売場でしたが、2階移設によって賑わいはなくなった、これからSAKSはどのカテゴリーで勝負するのでしょうね。

日本でも、コスメを1階から移設して自滅した百貨店の例はいくつもあります。客数ビジネスと客単価ビジネスを一緒に考えてはいけない、PARSONS SCHOOL OF DESIGNのバイヤー養成講座で恩師のゴールドスミス先生がいつも言っていたことです。コスメは客数ビジネス、トラフィックがないフロアに移設してはならない。三越銀座店のように、地下鉄出口と直結している地下1階ならトラフィックがあるので大丈夫ですが、お客様の姿が少ない上層階ではまず失敗します。

化粧品は「もの」と「こと」や「とき」をセットにしてお客様に提供できる、百貨店にとってはとても重要な商品カテゴリー、競合店を圧倒するほどブランドを揃えたいのはやまやまですが、1階にはほかにも展開しなければならないカテゴリーがあるので広さに限界があります。だから百貨店ビジネスのセオリーを無視して2階以上のフロアでどーんと拡大と単純に考えやすいのですが、まず成功しませんね。



世界中で「美と健康」が注目され、コスメとそのサービス機能、スポーツ関連、食料品と飲食サービスは百貨店の主力商品カテゴリーであったブランド婦人服以上にさらに重要になると思いますが、ビジネスのセオリーを軽視すると誰もが痛い目に会います。

SAKSは元ワールドトレードセンターの場所にできたショッピングモールに新店を構えたものの、集客はままならず早くも撤退を表明しましたよね。今度の本店改装で成果が上がらないと経営責任を問われかねないかも。経営陣はこのまま無策ではないでしょうが、恒常的に大掛かりなイベントやプロモーションを仕掛けないと2階に大勢のお客様を動員することはできません。果たしてSAKSに次の一手はあるのかどうか。






Last updated  2019.04.24 16:08:49
2019.02.21


シャネル(1983年から)、フェンディ(1965年から)両方を指揮してきたカール・ラガーフェルド氏の訃報に世界は驚いています。自分が繋がっているSNSでも、このファッション界のレジェンドの話で持ちきり、いかに愛されていたかがよくわかります。

私の手元にある写真はこれ1枚だけ。数年前シャネルのパリコレのフィナーレでご本人が目の前を通過したときに撮影したもの。当時、在パリの友人ジャーナリストは「カールの後継者は誰だろうって話が出始め、フランス人の希望的観測としてジャンポール・ゴルティエという噂がある」と言ってましたが、結局会社側が指名したのはアトリエ責任者としてカールを支えてきたディレクターでしたね。

外部から有名デザイナーを招聘してブランドの世界観をぶち壊されるより、カール・ラガーフェルド氏が築き上げたシャネルの世界を守れる体制を選んだ、賢明な選択ではないでしょうか。近年、招聘した有名デザイナーがブランドの世界観、コンセプトをガラリ変え、業績が低迷して契約期間途中で解任されるケースが続いていましたから。

長くシャネル日本法人のトップを務め、最近系列企業の経営のためにスイスに引っ越したリシャール・コラスさんから聞いたシャネルのものづくり、これが素晴らしいです。

デザインチームが服やアクセサリーをデザインし、サンプルが上がって来た段階でみんなは一歩立ち止まって考える、「果たしてココ・シャネルがこういうデザインをやるだろうか」と。YESなら企画はそのまま進行して商品化、NOならサンプルはボツになります。広告デザインも同じ、「ココ・シャネルはこれを認めるだろうか」とみんなで議論して決めるとコラスさんから教えてもらいました。

発売すればおそらく売れるだろうけど、シャネルがなぜメンズウエアを出さないのかというと、ココ・シャネル自身がメンズを手がけたことはなかったから、とも聞きました。ブランド創業者のDNAをしっかり継承する、ブランドビジネスにとって最も重要なことをシャネルは守っているんです。実に素晴らしい。

もう一点、コラスさんが教えてくれたことがあります。シャネルのロングセラー香水「No.5」、ボトルの形は時代と共に微妙に修正している、と。一般ユーザーにはわからない程度のマイナーチェンジ、例えば流線型がプロダクトデザインの時代の主流であればボトル上部に少し丸みをつける、でもボトル全体の基本フォルムは守る。こういう姿勢だからこそNo.5は100年もの間世界の女性たちを魅了し続けてきたのでしょう。

ラガーフェルド氏もココ・シャネルの築いたブランドの基本的な世界観を守り、時代変化に応じてその時代の空気感を取り入れたスタイルを送り出してきました。1950年代の中頃、スイスでの亡命生活からパリに戻ったココ・シャネルはシャネルスーツを発表しましたが、それはラガーフェルド氏の手によって進化し、いまもブランドの中核を成しています。多くの女性たちは「一生に一度は着てみたいシャネルスーツ」なんだそうですが、消費者の憧れのアイテムであり続けるのはラガーフェルド氏の時代感覚と美意識が要因ではないでしょうか。

そもそもカール・ラガーフェルド(この頃はクロエのデザイナー)の名前を私が最初に聞いたのは、1973年の国際羊毛事務局(ウールマーク)のセミナーでした。パリで頭角を現す存在として高田賢三さんと共に紹介され、クロエのコレクション写真を見せてもらいました。ウールマークは若手デザイナーの登竜門コンテストを主催、オートクチュール協会の学校で同窓だったイヴ・サンローラン氏はこのデザインコンテストのドレス部門で、ラガーフェルド氏はコート部門で表彰され、それぞれ才能が認められたとモード史の教科書にはあります。

余談ですが、サンローラン、ラガーフェルドの同窓生には高田賢三さんの恩師だった文化服装学院の小池千枝先生(故人)がいます。小池先生のパリ講話に刺激され、賢三さんは文化服装学院卒業後に夢だったパリに渡りました。日本人同級生の教え子と市場でしのぎを削ることになろうとは、若きサンローラン氏もラガーフェルド氏も想像していなかったでしょうね。

サンローラン氏が2008年に、そして今月19日にラガーフェルド氏も亡くなりました。一時期パリモードをリードしたソニア・リキエルさん(2016年逝去)も、アズディン・アライアさん(2017年)もいまはなく、ひとつの時代が終わったような気がします。合掌。






Last updated  2019.04.24 16:09:16
2019.02.18

(遠州地区 福田織物のHPより)


今日はものづくりの現場にもっと足を運ぼうというお話です。

先日、ある雑誌の企画で「誰がアパレルを殺すのか」の筆者と対談しました。対談が終わり写真撮影になったところで対談相手から「太田さんはユニクロをどう思われますか?」と質問されました。

「ものづくりの姿勢を高く評価していますよ」と答えました。なぜなら、全国の繊維産地を回るとユニクロの糸や生地を作っている工場をたくさん見かけ、パリコレ有名メゾンのワンピースとユニクロのブルゾンが同じジャージーということもありました。有名メゾンは恐らく千メートルくらい発注しているでしょうが、ユニクロはどれくらい発注しているのか訊ねたところ、なんと160キロメートル。ここまで大量に発注すれば原価はかなり下がりますが、アイテムこそ違え世界的メゾンとユニクロが同じものとは驚きでした。ほかにも、高密度ポリエステル工場でも特殊加工の撚糸工場でも、ユニクロの注文を受けている繊維メーカーがあります、と評価理由を言いました。

ファッション業界セミナーでたとえ話としてよく申し上げていることがあります。お客様で賑わう回転寿司店は国内漁港に上がった本マグロを薄くあるいは小さく切って握るか、冷凍インドマグロを分厚く切って握っている。これに対し、人気のない回転寿司店は冷凍インドマグロを薄く切って握るのでお客様の信頼を得ることができず、結局お店が賑わうことはない、と。

国内の漁港にあがる本マグロは、ファッションの世界では国内生産の上質素材と同じ。中国産やタイ、バングラデッシュ産に比べたら原価は高い、しかし手に取ったときの質感は比べ物にはなりません。日本製素材を使うのであれば、ロットをまとめて大量発注して原価を抑制するか、あるいは生地の使用量が少ないデザインを考案するか、とにかく工夫しなければ小売価格は跳ね上がります。

例えば、世界のトップブランドが海外市場で2,000ユーロ以上で販売しているコートと同じ高密度ポリエステルを起用しても、発注量やデザインを工夫すれば1着5万円以内のコートは日本縫製で作れないことはありません。でも、多くの国内メーカーは原価意識が強くアジア製の安いポリエステルを使おうとする。ユニクロ以下の質感の素材を使ってユニクロの2倍以上の値段では競争力はなきに等しいでしょう。

先日、そんな話をあるアパレルメーカーの社長に。この社長、「産地出張旅費は削減しないから商社丸投げを減らせ」と指令している人物です。大きなアパレルメーカーや名の通ったデザイナー企業には織物工場やコンバーター、商社が生地を選んで会社に売り込みにきてくれます。商談スペースがいつも訪問客でいっぱいなんて仕事の仕方では差別性ある商品はできません。

そんな話をしていたら、静岡県掛川市の福田織物の福田社長がSNSで百貨店の高島屋と阪急の合同チームが遠州産地に来てものづくりを勉強していった、と研修の模様をアップしていました。アパレルメーカーでさえ最近は製造産地に行かなくなったんですから、セーターやコート、ブラウスの平場が消滅し買取商品がなくなった百貨店の社員が産地に行く機会なんてほとんどありません。高島屋と阪急百貨店の合同産地研修、両社とも偉いですよね。


(福田社長のSNSより)

2011年の東北大震災直後、私はライバルの三越銀座店に、被災地復興のためにも銀座を元気にするためにも合同でイベントを仕掛けませんかと投げかけました。そしてギンザ・ファッションウイークが始まり、「ジャパンデニム」の歩行者天国ファッションショーも開催。特定の製造産地を取り上げテーマ設定し、デニムの瀬戸内、合繊の北陸など製造産地を三越伊勢丹の人と一緒に訪問、松屋のバイヤーたちにも素材づくりを体感する機会を与えました。

商品カテゴリーごとに平場があった時代、百貨店バイヤーは頻繁に製造工場に行って職人さんたちと商品企画の打ち合わせをしたものです。だから昔の百貨店バイヤーは商品そのものを語れる人、目利きが多かったと思います。しかし平場は消滅、産地に出かける機会を失った百貨店バイヤーたちはものづくり現場を肌で感じる場面はなく、ブランドのうんちくしか言わないバイヤーが増えました。

アパレルやデザイナー企業も、商社や織物工場がサンプルを自社に持参してくれるので自ら生産現場に足を踏み入れる機会が少なくなりました。こんな楽ちんな仕事をしていてはお客様のお買い物テンションを上げる商品は作れっこありません。

一番困るのがニット製品。情報会社が提供するファッショントレンドを入れて、某機械メーカーの高性能編み機を導入したニット工場に製品を作ってもらったら、どこのブランドもみな同じツラの商品になってしまいます。ブランドの織りネームを外したら一体どこのブランドかわからない、これじゃお客様は売場でワクワクしません。

でも、某機械メーカーの高性能機械を導入しても、そのマシンの影を感じさせない特別な技術を身につけた製造メーカーはあります。そんな工場に行って職人さんたちと会話をすれば、新しい切り口のニットは生産可能なんですが、アパレルメーカーの企画者たちは地方の工場に出かけない。これでは良いニットは作れません。

かつて私が働いた会社では創業者の考えを受け継いで、若手アシスタントでさえ生産現場に行くのが当たり前、織機や編み機の音が聞こえる場所で企画の打ち合わせをするのが社風になっていました。産地に行く出張旅費はカットしない、だからこそ他社にはない特別な商品をたくさん生み出せるのです。ファッションメーカーにとって重要なことを大事にするブランドと、トレンドとコスト削減しか頭にないブランドとではお客様に与える感動が違います。

日本の繊維産地そのものは崩壊したかもしれませんが、日本には前述の福田織物のようにコツコツとものづくりに取り組んでいる工場がまだ存在します。アパレルも百貨店もこういう工場にもっと足を運んで魅力的な商品を提供して欲しいですね。






Last updated  2019.04.24 16:09:53
2019.02.16


ニットメーカーの年一度の見本市BEST KNIT SELECTION展、10年ほど前、国内製造業の火を消さないためにもチャレンジングな工場に参加してもらいたい、と業界長老たちが役所に働きかけてスタートしました。現在は業界の努力で継続開催しています。参加メーカーに競争心をとの考えから、優れた商品を展示した会社を表彰する制度が始まり、数年間私は審査委員長をさせていただいております。

昨年12月の同展で委員の入れ替えがあり、ニットに詳しいデザイナーさんにもお願いしてみてはどうだろうとなって、私はEverlasting Sproutのデザイナー村松啓市さんを推薦しました。

当日審査を終えたら審査員控え室で村松さんから「僕、こんな活動もしているんです」とAND WOOLのチラシをもらいました。地方でしか働けない方々、身体に障害のある方々にもできる仕事をと、彼はニットの編み方を丁寧に指導し、ようやくそれなりの量が作れる体制になったので本格的に売り出したいとのことでした。

商業目的と勘違いされたくないので、自分のブランドEverlasting Sproutとは別にAND WOOLと名付け、販路をどう広げて行ったらいいのか相談されたのです。

私はよく知らなかったのですが、身体に障害のある方々への自治体からの補助は極めて少額だとか。そこで、動作に無理のない範囲でニットを編む技術を身に付けてもらい、商品として及第点のとれるニットを販売してその収益を作業した皆さんに還元する仕組みを村松さんは作ろうとしています。日常のクリエーション活動とは異なる社会活動、村松さんの人柄もありますが立派な活動だなあと思いました。




私は、まずメディアに取り上げてもらってプロジェクトそのものを社会に認知させ、それからリアル店舗であれネット通販であれ販売協力してくれる企業や団体を探してはどうでしょう、とアドバイスしました。そして、こういう活動を熱く感じて取材してくれそうなメディアはどこだろう、ファッションの世界も知っていて、なおかつ社会問題にも通じているジャーナリストは誰なのか自分なりに考え、長年パリコレ取材してきた大手新聞社の編集委員につなげました。

有名ブランドのファッションイベントでもないのに、編集委員は静岡県島田市の街はずれの工房までわざわざ取材に行ってくれました。また、この取材とは別に、部下の女性記者が村松さんの手ほどきを受けて「ご自分でニットを編んでくれました」と村松さんから御礼のメールも届きました。

昨日2月15日読売新聞夕刊に掲載された記事がこれなのです。最近はネットでなんでも調べられるので、取材対象がちょっと遠方になると面倒なのかそれとも交通費削減なのか足を運んでくれる記者さんが少なくなりました。でも、田舎の工房兼店舗にちゃんと足を運んで良い記事を書いてもらいました。村松さんをつなげた甲斐がありました。

宮智編集委員から届いたAND WOOLのチラシにはこんな心温まる記載がありました。

  子供の頃、身近には農業を営む祖父母がいて、
  愛情をこめて育て足れた野菜はとても美味しく感じたのを覚えています。
  現代ではミシンがある課程はほぼなくなり、
  洋服が作られる課程を知る機会は少なくなりました。

  現代ではファーマーズマーケットでやさいの生産者と繋がる機会はあっても、
  洋服の作り手ち繋がる機会は圧倒的に少ないように感じます。
  物作りの背景を知ることで、物に対する愛着はさらに湧いてきます。
  ニットは糸と編み針さえあれば、誰にも簡単にはじめられます。
  AND WOOLでは、一本の糸と創造力さえあれば無限に物を作り出せる編み物
  を中心に、
  毎日の生活がちょっと楽しくなる、そんな暮らし方を提案します。

ちょっと「昭和なにおい」がするほのぼの文章、なんとか助けてあげたいですね。現在、AND WOOLは販売してくれる会社、団体を探しています。一人の若手デザイナーのほんの小さな取り組みでしょうが、大量生産、大量販売、そして大量に捨てるのが当たり前の世の中だからこそ立ち止まって考えてみる価値のある活動かなと思います。ぜひHPをのぞいてみてください。

<店舗情報>
www.andwool.com
427-0113 静岡県島田市湯日1124-1
tel:0547-54-4492
11時から19時まで営業 (水曜日定休)






Last updated  2019.04.24 16:10:29
2019.02.13
テーラーを開業する前 、オヤジは名古屋の松坂屋本店紳士服部勤務でした。私が生まれたのを機に退職、開業したあとも百貨店のお得意様からご指名があったので百貨店からの注文を手伝い、そうこうするうちに納入業者にもなりました。オヤジの弟子たちが派遣社員として松坂屋の売場に立って注文をとっていましたが、小学生の私には弟子たちが百貨店で勤務という構図がどうにも不思議でした。

大学2年生の夏休み、手が足りなくて私は一度だけ松坂屋本店の売場に立ったことがあります。お客様に声をかけられたらどうしようとハラハラドキドキでした。これまで販売スタッフに店頭のマーチャンダイジングを偉そうに指導してきましたが、私の販売経験は生涯で一度きりです。

我が家の晩御飯、オヤジは百貨店事情を子供たちにも話してくれました。自営のテーラーの代金は当時ツケが当たり前で「あるとき払い」、百貨店は毎月キチンと払ってくれるからありがたいとオヤジはよく言ってました。自分がファッション業界で働くようになって、米国百貨店の支払いは結構デタラメなのに対して、日本はキチンとしているなあと感心したものです。

納品時にトラブルがあると、オヤジはよく百貨店のお客様のところに飛んでいきました。既製服とは違うので、クレームには技術面を熟知したオヤジが行かねばなりません。名古屋本店のほかに大阪松坂屋でも納入業者になり、ほかにも同業他社と協同の店舗も開いたのでオヤジは大忙し、結局働きすぎとストレスが原因で腹膜炎と十二指腸潰瘍で緊急手術、そのときの輸血の血が問題で生涯ずっとC型肝炎で苦しみました。

長男の私を名古屋の南山大学に入れ、学生時代にパタンメーキングを修得させ、夏休みには松坂屋の売場でアルバイトをさせ、大学卒業後ロンドンのサビルローの老舗テーラーに修行に出すつもりでした。が、私はオヤジからどうしても離れたかったのでおじさんの力も借りて説得し上京しました。あのときオヤジの命じるまま南山大学に行っていたら、わが人生は全く別のものになっていたでしょう。

子供の頃から百貨店のことを耳だこ状態で聞いていたからか、私は百貨店なるものが大好きです。流通業界ではいま主役のコンビニの前は量販店に勢いがありましたが、百貨店はその前のビジネスモデル、業態としては古いと言わざるを得ません。それでも、私は百貨店を歩くのが好きなんです。

アメリカ各地にあった百貨店形態の店はどんどん潰れ、いまや全米で百貨店は数社しか存続していません。マンハッタンでも、五番街の老舗ロード&テイラーの閉鎖が発表されましたが、過去に消えてしまったボンウィットテラー、ギンベルズ、B・オルトマン、コルベッツ、オーバック、アレキサンダーズ(私が大学卒業後に渡米した頃はまだ全ての店が営業していた)を入れると現存する店舗の方が消滅店よりも少ない、言い換えれば百貨店業態は斜陽産業であることは間違いありません。それでも、百貨店全てが地上から消滅するとは思っていませんし、業務革新の努力をする企業だけは今後も生き残れる、と信じています。




昨秋の米国西海岸北部視察、サンフランシスコの中心地ユニオンスクエア周辺の百貨店6店はどこも閑古鳥、販売スタッフよりもお客様の数の方が多い店はありませんでした。頼みのコスメ売場にも婦人靴売場にも人影はなかった。しかし、シアトルのノードストローム本店だけは違いました。ここでは楽しそうにショッピングするお客様で賑わっていました。ノードストローム本店にあってサンフランシスコ各店にはなかった違いはなんなのか、それはお客様本位の姿勢がスタッフに身についているか否かです。

ノードストロームは「顧客満足経営」をモットーに営業してきました。最近耳にする機会が少なくなった言葉CS(カスタマーズ・サティスファクション)、そのモデル店舗はなんといってもシアトルにある本店。従業員は常にお客様の目線でお客様と接する、自分が買い物客だったらきっと嫌だろうなと思うことは言わない、やらない。これって言うのは簡単(日本でも多くの百貨店の社是では真っ先に「顧客第一」とうたっている)、その姿勢をお客様に実感していただくには並大抵の努力では無理。CSの実現は簡単なようで非常に難しいことです。

お客様に「顧客満足度の高い店だな」と実感していただけるならば、売場を歩くだけでもワクワク感がたっぷりあれば、いくらネット通販が急成長しようがリアル店舗は継続可能でしょう。もちろん基本完全買取で百貨店社員が販売するノードストロームと、消化仕入れで主にベンダーからの派遣スタッフが販売する日本の百貨店とは条件が違います。前者なら売場のスタッフに徹底しやすく、後者は余程の覚悟と訓練を繰り返さないことには徹底できません。でも、後者は絶対に無理なのでしょうか、甘いかもしれませんがやり方はあると思いますし、それができなければリアル店舗の存在意味はありません。

プラス、売場のワクワク感も大事。新しい生活提案に感動があれば、商品あるいは組み合わせ提案が魅力的に映れば、ネット通販とは違うショッピングの喜びをお客様に感じていただけるかもしれません。せめて売場のVPだけでもカッコ良ければと思うのですが、最近どの館もVPは意味不明で何も感じない、せっかく春の新作を出していても感動は薄いんだよなあ。もっと厳しく言えばグチャグチャで腹が立つ場面が増えてます。百貨店好きな人間としては大いに不満ですね。

今夜、西海岸視察に同行した若者たちと会食、遅まきながら反省会です。サンフランシスコの閑古鳥百貨店と賑わうノードストローム本店を体感した彼ら、今後どのように現場で活かすのか、ネット通販では得られないsomething elseをいかに提供するのか、そのためにどういう準備をしなくてはならないのか、みんなでしっかり議論したいです。






Last updated  2019.04.24 16:10:52
2019.02.10


SNSで繋がっている米国紳士服デザイナー、ジェフリーバンクスさんがアップした書き込みで、パーソンズ・スクール・オブ・デザインの元ファッションデザイン学部長フランクリゾーさんの逝去を知りました。リゾーさんは数多くのデザイナーをセブンスアベニューに送り出した伝説の教育者、ひとつの時代が終わったような気がします。

かつて原宿クエストで「クエスト・ニュースタンダード・フォーラム」の企画立案とコーディネーターを担っていたとき、私はパーソンズの実践教育を日本のファッション業界に知って欲しくてリゾー学部長をゲストとして招聘しました。IFIビジネススクールが開講する直前のことです。

ちょうどその頃、うちのご近所の奥さんが突然訪ねてきました。私がファッション業界で働いてると聞いて、高校3年生の娘Yちゃんの進路を相談しに来ました。ご自身は親の命令で好きな道に進めなかったけれど、娘には好きなデザインの道に行かせてやりたい、どうせ行くなら一番いい学校に行かせたいのでアドバイスをください、と。

ニューヨークのパーソンズがどんな学校なのかを説明し、ちょうどいまファッションデザイン学部長が来日中なので話を聞いてみてはいかがでしょう、とリゾーさんを紹介しました。Yちゃんは当時金沢市にあったパーソンズの提携校KIDI パーソンズで基礎課程を終えて渡米、パーソンズ本校に入学しました。その2年後、Yちゃんの様子を見に行った奥さんが「もの凄い量の宿題にびっくりしました。徹夜しても完成できないくらい厳しい学校」と。パーソンズは半端な宿題ではありません。

リゾーさんはよく言いました。「デッサンを上手に描けとは言いません、たくさん描けとは言います。たくさん描くうちに1つのデザインリソースをどんどん膨らませる術を身につけらる」、つまり学生のデザイン構成力、展開力を伸ばす教育手法なのです。「粗っぽくても良い、たくさん描けと言ってます。描けないのはただ怠けているのです。日本人留学生は上手に描こうとするからスピードが遅い」ともおっしゃっていました。確かに、3年生までは日本人は見かけますが、卒業となると少ないですね。

ニューヨーク出張のたび、私はジュニア(3年生)、シニア(4年生)に特別講義をしてきました。授業が終わると受講生たちは教壇に集まり、自分のポートフォリオを私に見せますが、全ての学生のスケッチブックには1ページに同じようなデッサンが必ず数体描いてあります。既製服の歴史の長い米国では1つのネタを膨らませて一体感のあるコレクションを創作する教育だからでしょう。

リゾー学部長の時代、パーソンズにはCRITIC(批評家)という名物講座がありました。リゾーさんが著名デザイナーや大手アパレル企業の企画室を説得し、学生にアトリエワークを体験させる実践カリキュラムでした。学生は7、8人のグループに分かれ、ダナキャランはじめセブンスアベニューのデザイナーの下でアシスタントデザイナーになったつもりで創作を始めるインターンシッププログラムです。

最初はブランドの理念、歴史、デザイン哲学をデザイナー本人から教わります。次に学生は売場で実際に販売されている商品をチェック、デッサンに入ります。デザインがまとまった時点でデザイナー本人からアドバイスを受けて修正し、トワルを組みます。トワルが完成するとアトリエで実際に使っている素材が提供され、サンプルが完成した時点でデザイナーの批評を受ける仕組み。

「原価の高いレースをふんだんに使ったら小売価格はどうなると思う?」、あるいは「ダナキャランがこんな服つくるわけないでしょっ!」と、デザイナー本人からきつい指導を受けますが、一方でデザイナーは一連の作業を通して自社に合いそうな才能を発掘、卒業間近にスカウトします。CRITICはデザイナーを目指す学生を実践で鍛えると同時に学生と企業のお見合いでもあるプログラムでした。

CRITICで完成したサンプルは年度末のガラショー(業界リーダーが千人以上ブラックタイで出席するファッションショー。1億円以上の収益金は奨学金にまわる)で発表、STUDENT OF THE YEAR(最優秀学生)が選ばれます。このプログラムを引っ張ってきたのがリゾー学部長、彼が退任してまもなくCRITICはなくなりました。彼の人材を育てようとする情熱と教育理念に共感し、著名デザイナーも大手アパレル企業も協力を惜しまなかったということですね。

リゾーさんとはたびたび会食しました。CFDA(米国ファッションデザイナー協議会)のスタンハーマン会長を紹介してくれたのも彼でした。普通に会話しているときはほんとに優しい目線のおじさん、でも話が教育のことになるや表情は一変、怖い先生の顔になるのがとても印象的でした。米国ファッションデザイン界の偉大なメンター、ご冥福をお祈りします。






Last updated  2019.04.24 16:11:23
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