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夏風

2007/09/15
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カテゴリ:ロスチャイルド
ネオコンとは、サバタイ派=フランキスト

ロスチャイルドは、サバタイ派=フランキスト


サバタイ・ツヴィは「イスラム教やキリスト教などの内部に、彼らの味方のふりをして入り込み、内部から腐らせていき、無力化させて最終的には崩壊にいたらせる」という詐欺的な方法論を説いた自称メシア。

ヤコブ・フランクは「この世の悪が満ちたときにメシアが現れる」という救世主思想を「この世の悪や不幸を人為的に頂点にまで満たして、この世を破壊し尽し、メシアを到来させる」という終末思想に転換させた自称メシア。

このサバタイ派とフランキストが合体して、終末思想を持ったユダヤ人たちがキリスト教やイスラム教、仏教などにも入り込んで暗躍を続けている。


トーラー(モーセの律法)

現在のユダヤ教というものは多種多様なものとなっています。

ですから、『これがユダヤ教だ』と言い切ることはできないのですが、基本はこれです。

すなわち【「モーセの律法」を守っている人たち】

これが、本来のユダヤ教徒なのです。

つまり、トーラーを純粋に受け入れている人たちのことです。

ここで疑問が出てくると思います。

では、トーラーを信じないユダヤ人が存在するのですか?

この疑問です。

実は、トーラーを信じない、つまりモーセを認めないユダヤ人というものが、この世には存在するのです。

なぜこのようなことになっているかと言いますと、これはファリサイ派というものの成立と関わりがあるのです。

ファリサイ派というものは、ユダヤが滅ぼされてバビロン(カルデア)の地に捕囚されていった時代に、バビロンの宗教の要素を教義に加えた宗派なのです。

バビロンの宗教というものは、もちろん聖書の神が忌み嫌っているものです。

この時点では、ファリサイ派はミトラ教などの要素を取り入れてトーラーを解釈していただけだと思われます。

しかし、このことがエルサレムの第二神殿の崩壊後に大きな破壊と変革をユダヤ教に及ぼす土壌になっていたのです。



ファリサイ派VSイエス

聖書を読んでいる方なら誰もがご存知のようにファリサイ派という宗派は、イエスから激しく叱責されている集団なのです。

それゆえ、イエスに対して憎悪を燃やしていた集団です。

使徒たちの宣教により、続々と同胞のユダヤ人ばかりか、異邦人においてさえイエスがメシアであることを信じるようになっていく状況を見て、彼らファリサイ派は、自らの立場への危機感と焦りを感じていたでしょう。

(このあたりのことを調べたい方は、「ヘロデの呪い」という本を調べると詳しい知識を得られると思います。)

つまり、ファリサイ派というものは、この頃から現代に至るまで「反イエス・キリスト」であり「反クリスチャン」なのです。

このことは、ユダヤ人問題を考えるときには、どうしても基礎的な知識として知っておかなくてはいけない事柄といえると思います。



ユダヤ人は不自由だったのか

エルサレムの第二神殿が崩壊した後、ユダヤ教の本流がファリサイ派になったことは述べました。

ファリサイ派は、神殿に依存しない教義をもっていたためです。

逆に、神殿に依存していたサドカイ派は、ほとんど姿を消したのです。

さて、この後、ユダヤ人はどうなっていったでしょうか。

一般的な日本人の考えでは、ユダヤ人はヨーロッパ各国に散らばっていき、その先々の国々で迫害に遭い、ゲットーに閉じ込められていたのだろうくらいに考えている人がほとんどですが、実際にはそうでもなかったようです。

ユダヤ人への迫害は、10世紀くらいからいくつかの地域で記録があるのですが、通常の生活において、必ずしもユダヤ人は不自由ではなかったらしいのです。

ゲットーの設置が正式に記録に登場するのは1516年のヴェネチアが最初のことです。

それ以前は、都市の中でユダヤ人が集まる居住区があったのですが、これは単に同胞が集まるユダヤ人街、あるいはコミュニティーのようなものです。

これを知っていないと、中世のユダヤ人について大変な思い違いをしてしまうのです。

彼らは、エルサレムの第二神殿崩壊後も、ユダヤ教を常に変革し、同胞同士で連絡を取り合って生きていたのです。



ラビとタルムード

さて、ファリサイ派は、ますますラビの権威を増長させて、ラビによるユダヤ教というものを作り上げていきます。

古くからのユダヤの伝承である「口伝律法」を文書化して、さらにその「口伝律法」についての注釈を合わせて編纂したものが「タルムード」とよばれているものです。

つまり、タルムードとは第二神殿崩壊後に、ラビたちの思想やアイディア、律法解釈をひとつにまとめた書物と考えればわかりやすいのです。

トーラーが、直接神からの啓示によって書かれたものであるのに対して、タルムードは、人間の知恵の集大成といったところです。

であるからして、このタルムードの内容は、ラビの権威を褒め称えるだけではなく、神よりもラビの権威を上に置こうとする不遜な文言も含まれているようです。

すなわち、以下のような文言がそれに当たるのです。

●「ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い」(ミズナ、サンヘドリン、10の3)。

●「ラビの命令は聖書の命令よりも重要である。ラビの命令に従わない者は誰でも死に値し、沸騰している糞の地獄の中で、ゆでられる懲らしめを受けるだろう」(エルビンErubin 21b) 。

●「もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず」(アシ法師)。

●「地獄に行ったラビは一人もいない」(ハギガー27a)。

そして、きわめつけの文言はこれです。

「あるラビは神と討論し彼を打ち負かした。神はラピに負けたことを認めた」(パパメツイア59b)。



カライ派について

神からいただいたモーセのトーラー(聖書)よりも、タルムードの方を重要視するラビ的ユダヤ教に対抗して、神のトーラーのみを重視すべきである、と主張する、本来的なユダヤ教ともいうべきカライ派というものが登場してきます。

一時期は、このカライ派は相当に人気があったようですが、徐々に姿を消していくこととなります。

現在、このカライ派は、ユダヤ教の中では少数派です。

なぜそうなってしまったのか、その原因や理由は、よくわからないのです。


続く








Last updated  2007/09/15 02:42:13 PM
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