祇園精舎の鐘の声・諸行無常の響きあり 本当の意味
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ どういう意味ですか?祇園精舎(インドのお釈迦さまのお寺)の鐘の音は、「永久不変なものはない」といっているように聞こえる。沙羅双樹(ツバキの一種。お釈迦さまが死を迎えるとき白くなって枯れた。)の花の色は、栄えている者が必ず落ちぶれるという意味を表している。思い上がったふるまいをする者は長くは続かない。それは単に春の夜に見る夢のようだ。荒々しい強者もゆくゆくは滅びてしまう。それは、いかにも風が吹くと飛んでいく塵と同じだ。 と、いう訳になりまして、「栄華はつづかない。栄えていてもお落ちてゆく。」という意味です。平家物語の冒頭、平氏が没落していく様を表しております。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127274707何故、今回このテーマなのかと言うと、ユダヤ関係が好きな方が結び付ける傾向があるため敢えて取り上げてみました。祇園精舎については一切ユダヤとは無関係だと思います。後付、こじつけで言い変えられたということは言えます。ユダヤ関連に関しての情報は十分に気を配って下さい。事実・真実をすり替えてユダヤに取っての有利な解釈を主張してきます。この詩はあくまでも釈尊の教えに基づいての詩であると思います。「平氏が没落していく様を表しております」と同時に我々の身に当てて考えるべき覚りであります。ネット等で調べてみると文上での解釈が多く見受けられます。詩としてではなく、あくまで釈尊の覚りとして文底で自分なりの解釈をしてみたいと思います。祇園精舎の鐘の声中インドの舎衛城(しゃえじょう)の南にある祇陀(ぎだ)太子の林苑に鳴り響く鐘の音というのは、諸行無常の響きあり 今日は今日という日の鐘の響きであり、明日はまた今日とは異なった鐘の響きをまた響かせることでありましょう。(この世とは常に変化し続けている)沙羅双樹の花の色「沙羅双樹」は釈尊の入滅されたとき側に生えていた木の名前で、釈尊が亡くなると余りの悲しさゆえに、木々や草花までもが白く枯れたという今生において、生けとし生ける物は必ず死が訪れるのである。盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず今生の栄など朝露の如く、宇宙の時間から見れば瞬きの如く、いつまでも続くものではない。仮に、今生に於いてもし栄が途絶えなかったとしても、その栄は、死後に持って行けることはない。(地位・財産・名誉等は死んだ後、全て持って行かれないものばかり)ただ春の世の夢のごとし今生というのは、ただただ夢の如しである。あっという間に人生というものは終えてしまうのであり、心地よい春を感じている間にも刻々とやがて訪れる苦しい死が一歩一歩近づいているのである。たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じどんなに長者であろうとも、どんな地位や名誉を従えようともそのようなものは死後には通用しない。逆にどんなに貧乏であれ、生活が貧しかろうとも「死」はみな平等であり、必ずこの世に生を受ければ一人一人に訪れるのである。それを知って・感じて尚且つ一生掛けて追い続け地位・名誉・財産を貪るはまさに愚かである。つまり「心こそ大切にしなさい」という教えであります。人は必ず一度は死ぬのであります。私たちは朝露の如くに、あっと言う間の人生です。放埒に生きるのか、崇高な人生を歩むのかは全て自分次第であると思います。今現在。大変な世の中であり、理不尽なことだらけであります。どうか、腐らず、諦めず、自身を奮い起こして進んでいきましょう!