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竹林館 空飛ぶ びぶりおてっく

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PB013

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2013年07月10日
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夏本番の暑さとなりました。みなさま、熱中症は大丈夫でしょうか? ここ、大阪も街が燃えているかのような暑さです。さて、毎年夏になると終戦記念日をはさんでどうしても思い出すのが、戦争のこと。そんな夏に標記のような詩集を出版しました。田村照視詩集『雲の嶺―わたしの第二次大戦』です。田村さんは小学生のころ、戦前から敗戦で引き揚げてくるまで北朝鮮におられました。その子どもの頃の記憶の中に焼きついた風景を詩として描いたものです。この詩集の素晴らしいところは、子どもの記憶として描かれているため、押しつけがましくなく、北朝鮮の友だちや人々との楽しい交流も描かれ、また、悲惨な場面も救われているような気がします。田村さんは丁寧に記憶を辿りながら、長い時間をかけて書き上げられました。「あなたはそこにいなかった、だからこそ伝えたいことがある」そんなキャッチコピーを作りました。命からがら引揚船で日本へ帰った感動、一番最後に置かれたひとこと「ああ、平和はいい」の重さが心に沁みます。ぜひ手にとってご覧ください!

少年が北朝鮮で体験した
敗戦前後の現実を回想する叙事詩。
波乱に満ちた道のりを
飾り気なく物語り、うったえる。

                有馬 敲

―――――――――――――――
 日韓併合から三十五年過ぎた昭和二十年、第二次大戦の敗戦まで、わたしたち家族六人は北朝鮮に住んでいた。

 敗戦を知らされたのは八月十六日。電線が通じていないため、前日の玉音放送があるというニュースすら流れなかった僻地である。

 いまでは当時のことを書く人も少なくなっていくばかり、歴史の本流は多くの映像や書誌にあるが、北朝鮮の辺鄙な農村での風俗や習慣のなかで、どのような暮らしであったか、敗戦前後をいかに生きのびたか、感受性の強い少年期の証言者として、ありのまま脳裏に残る衝撃的な数々の断片をまとめた。 
                               (「はじめに」より) 
―――――――――――――――

       引揚船「徳壽丸」のなかは
       悪臭に満ちていた
       甲板には溢れんばかりの人が集まり
       祭り前夜の賑わいを見せるが
       まだ明けきらぬ 暗く冷たい
       冬の海

       やがて見えてくるであろう
       日本の陸地
       生死をかけて切り抜けてきた人びとは
       進行方向に向かい つま先立ち
       前方を見ている
       たかぶる感情を抑えるかのように
       白い息を吐きながら

(「引揚船」より)


ISBN: 978-4-86000-259-6 C0092
サイズ:A5判変型
頁:120ページ
製本:ハードカバー
出版日:2013/7/11

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最終更新日  2013年07月10日 16時44分19秒
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