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2011.10.22
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福光43
 山本伸一の逮捕・拘留は15日間に及んだ。釈放されたのは、1957年(昭和三十二年)七月十七日の正午過ぎであった。
 文京支部日本橋地区の会員たちは、今度は、その喜びと、不当な権力との闘争の決意を胸に、勇躍、弘教に奔走した。
 その結果、“一班一〇闘争”を掲げた文京支部は大躍進を遂げ、なかでも、日本橋地区は、浜通りの同志の奮闘が原動力となって、八十世帯の弘教を実らせ、全国模範の優秀な地区に名を連ねたのである。
 福島県の地区員は、磐城や小名浜、勿来など、浜通りに集中していた。第二代会長・戸田城聖が逝去した五十八年(同三十三年)の夏季地方指導では、中通りにも弘教の戦線を広げていくことになった。その先陣を切ったのは、菅田歌枝と鈴村アイであった。
 草創期、同志は皆、“世間は休暇の最中でも、広宣流布に休みはない!”と、炎暑に挑むように、意気盛んに活動を展開していったのだ。そこに創価学会の強さがあった。
 八月のある日、菅田と鈴村は、中通りの鏡石に出かけた。鏡石は、砂利の運搬業を始めた鈴村の夫が、仕事でよく来る場所で、ここに何人かの知人がいたのである。菅田は、小学校に入学前の長男・信を連れていた。
 二人の婦人は、「折伏を成就させるまでは、帰らない決意で行ってきます」と、地区部長の島寺丈人に元気に宣言して、鏡石へ出発した。
 ところが、訪ねてみると、どの家も、けんもほろろの応対であった。五軒、六軒と回るうちに、だんだん気落ちしていった。
 菅田は、鈴村に言った。
 「折伏が簡単なわけがないもの、挫けるわけにはいかないわ。『よからんは不思議わるからんは一定とをもへ』(御書1190)との決意でいきましょう。!」
 苦労なくしては、道は拓けない。汗と涙で岩を穿つ作業が、広宣流布の開拓なのだ。





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Last updated  2011.10.22 11:20:47



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