2004/11/23(火)07:59
百聞は一見に如かず
瞬間、思い出したのはベトナム旅行だった。
一緒に行った友達が、英語が堪能で、且つ海外旅行経験が豊富。
失恋旅行に独りでオーストリアのYHで一ヶ月過ごしてきたような人だったので、
ついつい、身分不相応の旅行プランをたててしまった。
お互い、この国は初めてだ、というのに、あたかも常連のようなプランを。
どこに行っても、観光客狙いの物乞いに囲まれる中、払いのけ、無視し、歩いていった。
移動手段は全て、徒歩か公共の乗り物。
これが、計画だった。
予定通りの乗り物に乗り、移動し、歩いているハズが、どうも様子がおかしい。
考えてみれば、地元の公共の乗り物の最新情報も手に入れなかった我々も愚かだった。
気がつけば、地図のどこに自分たちがいるか分からなくなっていた。
静寂。
あれだけいた物乞いは、ピタっと消えていた。
かわりに広がるのは、路上に座りこんでいる人々だった。
脇には鍋などの日常用品。
明らかに人のと思われる排泄物の数々。
異様な臭い。
腹の底が瞬間で沸騰し、蒸気が喉を駆け上がってくる息苦しさ。
鼓動の痛み。
消える表情。
手足の血のめぐりが変わり、感覚がなくなってくる。
これが、人の中に眠る、防衛本能、という奴なんだな、後から思った。
からみつく視線を断ち切り、どこをどうやって歩いたのか、いまだに分からないのだが、我々はタクシーに飛び乗り、
且つ、偶然にも、そのタクシーが良心的なタクシーだったため、無事に、メインストリートまで戻ることが出来た。
それは、娘が来期から行く予定の知的障害施設の見学で起こった。
入院中で行けなかった、うちと、もう一人の計二組で行ってきた。
働いている保育士に準じる者たち、は、中年がほとんど。
園長は2年前、環境課から異動してきたばかりの、人だけは良さそうな人で、
現場の人間に頭が上がらず、後承諾ばかりしている。
教室などの出入りには鍵を必ずかけて、という規則の形骸化。
嫌な予感を覚えながら、最後。
来年、所属する予定の『自閉症以外の障碍児の教室』に入り、一緒に昼食をとって帰った。
食事中の、すぐ真隣に、なんの被いもなく、置かれっぱなしの、おまる二つ。
職員たちは声もなく、まだ、一人で食べられない子供の口に、もくもくとスプーンを突っ込む。
気持ち悪いほど静寂した、食事風景。
たまに聞こえるのは、子供のうめき声のような音と、職員の、忘れた頃に聞こえる、ぼそっとした子供たちへの声かけ。
我々がいる時でさえ、こうだ。
いなければ、推して知るべし、だろう。
この子たちは娘より発達が遅いから、娘の刺激にはならないかな…と、ちょっと考えはじめた時、
一人の女の子が私に寄ってきて、膝を触り見上げた。
その瞬間。
背筋がぞぞぞぞっとし、眠っていた危機意識がむくっと顔を上げた感じがした。
今、私を見上げている無表情な子供。
この子は、『娘』だ。
家に帰ったら親に甘え、笑顔を取り戻し、悪さもする。
片言ながらもしゃべり、私の腕を取り、連れまわす。
こぼしながら食事をとり、「おいちぃ」と、ホッペに手を置く。
発達が遅いながらも、彼女のペースで成長してくれている、可愛い大切な私の娘。
目の前にいる子供は、娘よりも発達が遅いのではないのではないか。
ここの空気が、この子を、こうさせているのではないか。
家に帰れば、娘のように、走りまわって、にぎやかに暮らしているのではないのか…??
市場原理の働かない場所で、異動されて、すげ変わる素人上司に権限はなく、中年のスタッフが惰性で行っている療育所。
こんなところに、娘は入れられない。